小学一年生、六歳のときに初めて「あいうえお」を習ってから、その十倍近い人生を生きてきた内田かずひろ、五十八才。ひと昔前ならもうすぐ会社を定年する年齢だ。五十才を過ぎる頃には自分もちゃんとしているだろうと若い頃には思っていたと言う。しかし、マンガの仕事もなくなり、貯蓄もなく、彼女にもフラれ、部屋をゴミ屋敷にして、ついにはホームレスになり、生活保護を申請するも断念せざるを得ず…。だが、そんな内田でも人生で学んできたことは沢山ある。内田の描くキャラクター、犬のロダンの目線で世の中を見てきた気づきの国語辞典と、内田の「あいうえお」エッセイ。この連載が久々のマンガの仕事になる。
けんか

僕には五才下の弟がいて、子どもの頃はよくケンカをした。弟が幼稚園生の頃、ケンカをすると相手は僕一人なのに「きさまら~!」と言って怒った。
それはテレビのヒーロー物で、主人公が複数の敵に囲まれた時に言うセリフだった。
昭和育ちの僕らは、そうやってテレビから、いろんな言葉を覚える事が多かった。ドリフターズの「8時だョ!全員集合」のギャグは翌日から小学校で定番のギャグになったし、コマーシャルのセリフもすぐに日常会話に取り入れられた。
それが今やどうだろう?
皆が同じテレビ番組を観ている時代ではなくなってしまった。
言葉は、主にネットから広がっていく時代になった。
その時、ありがちなのは例えば漢字で「読めるけど書けない」という状況が生まれる。また、ルビがふってないので、読み間違いのまま覚えてしまうことも多い。
僕はずっと「珈琲を淹(い)れる」というのをルビのない文章で「珈琲を淹(た)れる」と覚えていた。ある日、珈琲を淹れる友人の前で「珈琲、たれてるんだ」と言って「はい?」と発覚したのが46才頃だった。
それというのも以前、水だし珈琲の器具で珈琲を淹れる様子を見たからだった。
当時、いつもと違う駅から家に歩いて帰ろうとして、道に迷って歩き疲れて、偶然辿り着いたのが「水だし珈琲」の専門店であった。そこには巨大な水だし珈琲の器具が何台も置いてあって、まるで化学の実験室のようでもあり道に迷ったこともあって、夢の中のお店みたいだった。
その水だし珈琲の器具から珈琲が、一滴一滴たれて落ちていく様子を見て、珈琲は淹(た)れるものだと覚えてしまったのだ。
またそのお店に行ってみようと思ったけれど当時はネットも普及してない頃だったので、どこにあったのかわからず、やっぱりあれは夢だったのかも知れないとずっと思っていたけれど、珈琲が「たれる」そのお店は間違いなくちゃんと実在していた。
「タータン珈琲」
http://www.tartan-coffee.com/
1964年、福岡県生まれ。高校卒業後、絵本作家を目指して上京。1989年「クレヨンハウス絵本大賞」にて入選。1990年『シロと歩けば』(竹書房)でマンガ家としてデビュー。代表作に「朝日新聞」に連載した『ロダンのココロ』(朝日新聞出版)がある。また絵本や挿絵も手がけ、絵本に『シロのきもち』(あかね書房)、『みんなわんわん』(好学社)、『はやくちまちしょうてんがい はやくちはやあるきたいかい』(林木林・作/偕成社)、『こどもの こよみしんぶん』(グループ・コロンブス・構成 文/文化出版局)挿絵に『みんなふつうで、みんなへん。』(枡野浩一・文/あかね書房)『子どものための哲学対話』(永井均・著/講談社)などがある。『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!!』(森京詩姫・著/竹書房)では「怪人トンカラトン」や「さっちゃん」などのキャラクターデザインも担当した。