とかくこの世は生きづらい ロダンのココロ国語辞典

この連載について

小学一年生、六歳のときに初めて「あいうえお」を習ってから、その十倍近い人生を生きてきた内田かずひろ、五十八才。ひと昔前ならもうすぐ会社を定年する年齢だ。五十才を過ぎる頃には自分もちゃんとしているだろうと若い頃には思っていたと言う。しかし、マンガの仕事もなくなり、貯蓄もなく、彼女にもフラれ、部屋をゴミ屋敷にして、ついにはホームレスになり、生活保護を申請するも断念せざるを得ず…。だが、そんな内田でも人生で学んできたことは沢山ある。内田の描くキャラクター、犬のロダンの目線で世の中を見てきた気づきの国語辞典と、内田の「あいうえお」エッセイ。この連載が久々のマンガの仕事になる。

第12回「し」

2023年10月30日掲載

僕には独自な死生観があった。

例えば誰かが生きている間は、時間は縦に繋がっていて、その人は縦に繋がった時間の一番上の「今」にしか存在しない。過去のその人は、積み重ねられた下の「今」にいるから存在出来ないのだ。だから、別れた恋人だったら別れた状態でしかなく、絶交した友人だったら絶交した状態のままだ。だけど死んでしまうと時間の流れが止まり、縦に積み重なっていた時間が全て横一列に並んで、現在も過去も関係なく、それまで生きていたその人の全てが同等に存在することが出来るという解釈。

しかしある時、社会学者の宮台真司さんの対談を読んで、自分の死生観は独自なものではなく、100年前の日本人の時間感覚や死生観に通じるものであることを知った。
そして、その対談の中で宮台さんは、こう語っている。

「過去も過ぎゆかないんです。過去にあったことは、もちろん過去に過ぎないけれど、今も思い出せる限りで、『別れた人もそこにいる』わけです。」

死別だけではなく、もう会えなくなった別れた恋人や友人も、思い出せる限りで、今そこにいるのだ!
かつて、素敵だった恋愛や友情は、決して失われてはいなかったのだ。

そう思えば、悲しさも少しは和らいで、そこから生きる力をもらえる。

僕は、きっと思い出に支えられて生きている。

●「宮台真司と読み解く『孤独死と自己責任論』——特殊清掃の現場で起きていること」
https://logmi.jp/business/articles/321369

著者プロフィール
内田かずひろ

1964年、福岡県生まれ。高校卒業後、絵本作家を目指して上京。1989年「クレヨンハウス絵本大賞」にて入選。1990年『シロと歩けば』(竹書房)でマンガ家としてデビュー。代表作に「朝日新聞」に連載した『ロダンのココロ』(朝日新聞出版)がある。また絵本や挿絵も手がけ、絵本に『シロのきもち』(あかね書房)、『みんなわんわん』(好学社)、『はやくちまちしょうてんがい はやくちはやあるきたいかい』(林木林・作/偕成社)、『こどもの こよみしんぶん』(グループ・コロンブス・構成 文/文化出版局)挿絵に『みんなふつうで、みんなへん。』(枡野浩一・文/あかね書房)『子どものための哲学対話』(永井均・著/講談社)などがある。『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!!』(森京詩姫・著/竹書房)では「怪人トンカラトン」や「さっちゃん」などのキャラクターデザインも担当した。