小学一年生、六歳のときに初めて「あいうえお」を習ってから、その十倍近い人生を生きてきた内田かずひろ、五十八才。ひと昔前ならもうすぐ会社を定年する年齢だ。五十才を過ぎる頃には自分もちゃんとしているだろうと若い頃には思っていたと言う。しかし、マンガの仕事もなくなり、貯蓄もなく、彼女にもフラれ、部屋をゴミ屋敷にして、ついにはホームレスになり、生活保護を申請するも断念せざるを得ず…。だが、そんな内田でも人生で学んできたことは沢山ある。内田の描くキャラクター、犬のロダンの目線で世の中を見てきた気づきの国語辞典と、内田の「あいうえお」エッセイ。この連載が久々のマンガの仕事になる。
せいちょう

「せいちょう」をテーマに描いたこのマンガは以前、実際に見た光景だった。
白い大きな犬が散歩途中に立ち上がり、飼主のおばあさんの肩に前足をかけていた。支えるのも精一杯といった感じで「やめて! アナタは大きいのよ! もう小さくないのよ~!」と叫ぶように言い聞かせていた。
ワンちゃんの微笑ましい一場面に思えるが、自分を省みると、人間も同じだと思う。
中年以上の人たちで、自分のことを永遠の17歳とか19歳とか高校生とか言う人がいる。若い人はそれを聞いて冗談だとか、「心が老けないようにそう自分に言い聞かせてるのだろう」と思うかも知れないが、ほぼほぼ本気である。
僕の場合も街中で、ふと「おじさん」とか声をかけられたりして「あっ、そうか…そうなんだな、そうだったそうだった…」と、対社会の中での実年齢を思い知らされる場面はあるけれど、一人の時は、油断してると意識がある年齢のままなのに気がつく事がある。
その年齢が僕の場合は、27歳なのだ。
どこからその年齢が導き出されたんだろうと思い返すと、25歳でマンガ家としてデビューして、最初は2ヶ月に6ページの連載だったのが、他の出版社の雑誌にも連載したり仕事が少しずつ増えて、出版社の忘年会にも呼んでもらえるようになって、そしたら沢山のマンガ家さんたちに会えるようになって、マンガ家の友だちもできて「自分は本当にマンガ家になれたんだなぁ…」と、しみじみ感じたのが27歳だった。
僕にとって、マンガ家になれたというのは、憧れの職業に就けたと言うよりも、社会の中にようやく自分の居場所を見つけることができたという喜びなのであった。
意識的に「27歳」のつもりはないが、だからきっと、心の中では永遠の27歳を生きているのだろうと思う。
1964年、福岡県生まれ。高校卒業後、絵本作家を目指して上京。1989年「クレヨンハウス絵本大賞」にて入選。1990年『シロと歩けば』(竹書房)でマンガ家としてデビュー。代表作に「朝日新聞」に連載した『ロダンのココロ』(朝日新聞出版)がある。また絵本や挿絵も手がけ、絵本に『シロのきもち』(あかね書房)、『みんなわんわん』(好学社)、『はやくちまちしょうてんがい はやくちはやあるきたいかい』(林木林・作/偕成社)、『こどもの こよみしんぶん』(グループ・コロンブス・構成 文/文化出版局)挿絵に『みんなふつうで、みんなへん。』(枡野浩一・文/あかね書房)『子どものための哲学対話』(永井均・著/講談社)などがある。『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!!』(森京詩姫・著/竹書房)では「怪人トンカラトン」や「さっちゃん」などのキャラクターデザインも担当した。