ある翻訳家の取り憑かれた日常

第4回

2023/03/04-2023/3/17

2023年3月30日掲載

2023/03/04 土曜日

またもやダウン(メンタル)。何も手につかなかった。季節の変わり目は危険ですな。

気分転換しようと、久々に料理本を読む。長谷川あかりさんの『クタクタな心と体をおいしく満たす いたわりごはん』(KADOKAWA)がとてもよかった。実は長谷川さんのツイッターアカウントも大好き。簡単で美味しいレシピがたくさん書いてあって、こんなに書いてくれるなんて親切な方だな~と思う。特に酒蒸しハンバーグは最高だ。わが家のハンバーグはたぶんこれから先もず~っと、長谷川さんちの酒蒸しだと思う。

2023/03/05 日曜日

朝から隅々を掃除。仕事をする気持ちになれなかったので、思い切って方針転換。居室をきれいにすることに集中した。気分がむしゃくしゃするとTikTokでお掃除動画を見ることにしているが、本日もそんな感じで自分の周辺を重点的に掃除した。

整理整頓して、レイアウトを変えて……なんてことは面倒くさいので、今日はごみ袋5枚分の掃除をやると決めて初志貫徹(つまりどっさり捨てた)。途中、ハリーと散歩に出て、よりいっそうの気分転換を図る。どうしても湖で泳ぐと粘るハリーがアスファルトの上に座り込んで全く動かず、難儀した。徐々に気温も上がってきたので、岩を引きずるようにして家に戻った。外耳炎治療中なので、水に入れることができないのだ。

大きな頭をぐっと下げて、上目遣いに私を睨みながら絶対に動かないと粘るハリーが最高に面白い。おでこにしわが寄り、臨時の眉毛ができていた。バスケットボールぐらいの大きさがある(ハリーの頭)。ハリーはややこしい出来事をすべて吸い込んで消去するブラックホールだ。

2023/03/07 火曜日

朝日新聞出版『ふたご母戦記』発売日。足かけ2年ほど月刊誌『一冊の本』(朝日新聞出版)に書いていた子育てエッセイに加筆修正した一冊。子育てについて書くのって、実はちょっと苦手。誤解がないように説明すると、嫌だというわけでは決してなくて、なんだかこう、恥ずかしいのだ。なんなんだろうね、この気持ち。そんなこともあって、担当編集者の日吉さんにはいろいろとご迷惑をおかけしたのであった。

息子たちは来月17歳になるので、そろそろ二人について書くことは辞めようと思う。次は20年後ぐらいでいいかもね。私が生きていたら。息子たちの日々の様子については、実は膨大なメモがある。息子たちからしたら悪夢の記録だろうが、メモのなかからいろいろと着想を得ている。自分宛に書いているようなものなので、息子たちには大目に見て欲しい。

息子たちが小学生、中学生のころは、幼少期の写真を見ることができなかった。つらかった子育てがフラッシュバックするからだ。しかし最近、高校生になってようやく、昔の写真を楽しめるようになった。幼少期の頃の写真とは、子どもたちの身長が自分より大きくなった時点で見るために撮影しているようなものだと気づいた。こんな日々もあったのだから……と確認するために。

2023/03/08 月曜日

集英社『すばる』で新連載が始まった。私でいいのでしょうかと思いながら、掲載誌をまじまじと見ていた。私の名前が椎名誠さんの横に印刷されている。

小学校から高校生まで、私の青春は椎名誠さんと怪しい探検隊一色だ。母も、祖母も椎名誠さんの大ファンだった。二人にこの表紙を見てもらえないのが残念(隣に印刷してもらっただけで大げさだけど、私からしたらとてもうれしいことだった)。

今日は猛烈に翻訳作業をし、太田出版藤澤さんから依頼の『〇〇〇〇』の初稿完成。ふぅ~。なかなかどうしてすごい本だったぜ! 内容を書いたら、どれもこれもネタバレになるので書かないけれど、女として生きていくって結構辛いことあるよなって思いつつ、最後まで無事辿りついたことを喜んだ。巨大なパズルが完成した気分。つまり気分爽快。まったく新しい考え方だし、新鮮だった。アメリカは今、大いに揺れているんだろうな。国際女性デーに仕上がった、出版がとても楽しみな一冊だ。

作業はまだまだ続くわけだが、とりあえず一段落ついたので、今からThe Real-Life Murder Clubsの作業に戻る。数日ごとに亜紀書房依頼の殺人事件本も仕上げに入る。年内、あと何冊だろう。とにかく前に進むしかない。やるしかない。淡々と、やり続けるしかない。大丈夫、俺ならできる。

2023/03/09 木曜日

最近よく、「村井さんは一日何時間作業しているのですか? 家事はいつやっているのですか?」と質問される。詳細はCCCメディアハウスから出版されている『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術』を是非お読みいただきたいのだが、基本的には9時から17時だ。

9時には確実にスタートできるようにしている。これはただ単に私のこだわりというだけで、スタートは何時でもいいのだろうけれど、私自身は9時にスタートできると、とても気分がいい。自分との約束を果たすことができたという気持ちになる。途中で休憩を何度となく(30回ぐらい)挟みながら、とにかく本当に地道に、少しずつ前に作業を進めている。

一行、一行、ただ地道に訳している。淡々と。それしかやっていない。編み物やパズルゲームにとてもよく似ていると思う。私はどちらも好きだ(最近、Triple Match 3Dというゲームに大いにハマっている。翻訳業の人は、Triple Match 3Dはインストールしないほうがいいと思う)。説明がうまくできない喜びが脳内に溢れてくる。対戦ゲームなどでは得ることができない興奮がある。頭のなかで延々とマッチングが続く。

2023/03/12 日曜日

午後、琵琶湖女子会メンバーのKさんから着電。非常に珍しいことなので、何かあったのかと一瞬身構えたのだが、彼女曰く、同じくメンバーだったJさんのご両親がKさんの店(園芸屋さん)に来ており、私に会いたいと言っているということだった。彼女のご両親が私に会いに来てくれた理由は、京都新聞で連載している「現代のことば」だった。

実は、先月の連載原稿に、琵琶湖女子会メンバーで彼女の墓参りに行ったことを書いた。その記事をたまたま読んだ彼女の幼なじみが、記事を持ってご両親のもとにやってきた。
「これ、絶対にJちゃんのことだと思う!」と、その幼なじみの女性がご両親に伝え、記事を手渡し、ご両親はそれを読んでびっくり。そして、彼女が眠る霊苑にほど近いKさんの店に立ち寄り、村井さんに連絡してくれないか? となったとのこと。
「今から、そちらにお連れしよか?」と言うKさんに、私がそちらに行くわ(ジャージだけど)と答えて電話を切った。

Jさんのご両親のことは、ずっと気になっていた。とにかく仲のよい親子だった。子どもたちの行事には必ず顔を出すご両親が、いま、どのようにされているのか、知りたいと思っていた。最後にお会いしたのは葬儀の日。二年ぶりの再会。お二人とも元気そうで安心した。京都新聞の記事を彼女の墓前で読んでくれたそうだ。

「子どものことって、あまり知らないんですよ。どんな子だったのかなって今でも思うんです。でもこうやって書いてもらうと、ああ、こんなこともあったのかって思えて、とてもうれしかったです」と、Jさん母。

こんなこともあるのだね。

2023/03/13 月曜日

とんでもなくショックなことがあった日。文字を読むのも、音を聞くのも、何をするのも嫌になって、できれば消えてなくなりたいと願ったけれど(結構頻繁に思う)、人生、そう簡単にはいかない。一瞬にして消えてなくなることができたら楽だけど、そうはいかないのだ。とにかく、目の前の仕事を淡々と片づけていくことにした。とにかく淡々とやるしかない。そうすれば嵐は必ず過ぎる。

2023/03/15 水曜日

復活。丸2日、一文字も書けなかった。これは今まであまりない状況だったけれど、今日、午後に連載原稿を送ることができ、なんとなく調子が戻って来たような気がする。絶対に原稿を書くことができる秘密をやる元気も出ないという散々な日々。今回はさすがの私も、長期間にわたってダウンしそうだ。何をやっても気分が晴れない。

2023/03/16 木曜日

引き続きダウン。文字を読むのが嫌なので、メールの返信が滞ってきている。ケータイの電源も切ったままだ。ハリーと寝転んでいろいろと考えていた。聞こえるのはハリーのズゴゴゴといういびきだけ。

2023/03/17 金曜日

朝の8時に瀬田駅到着。いつ来ても忙しい駅だ。

1年ぶりの滋賀医科大学付属病院心臓血管外科で検査の日。心臓エコー、心電図、胸部レントゲン。この3月で僧帽弁閉鎖不全症の手術から5年となる。手術後執刀医が「1年でかなり落ちつくはずです。3年もあれば普通の人ですよ」と言ってくれ、その言葉が励みとなった。

確かに、3年後には手術のことなどすっかり過去の話となり、5年経過した今は、私って本当に手術をしたのだろうか? というほどに回復している。今日診察してくれた医師は(ちなみにこの方は、私が入院中、病室にぞろぞろとやって来る医師軍団の一番後ろにいたフレッシュマンだった)、「1年ごとの検査も、10年で卒業でもいいぐらいですね。このままがんばって下さいね」と言ってくれた。

一人で入院し、一人で退院するという謎の目標を掲げた入院だった。そして退院時に瀬田駅前の餃子の王将で餃子を食べて家に戻ると固く決めていた(王将に強いこだわり)。しかし、退院直後、タクシーから降りた瀬田駅前で、目の前にある王将まで歩くことができなかった(じゃあどうやって家まで帰ったのだ? 答えは、這うようにして帰った)。だから、餃子の目標は達成できなかった。実は、いまだに瀬田駅前餃子の王将に行くことができていない。10年目の卒業の日に行こうと思う。

著者プロフィール
村井理子

翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。
主な著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術
』(CCCメディアハウス)、『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』『ハリー、大きな幸せ』『家族』(亜紀書房)、『村井さんちの生活』(新潮社)、 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)、『更年期障害だと思ってたら重病だった話』(中央公論新社)など。
主な訳書に『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』など。