2023/03/18-2023/03/31
2023/03/18 土曜日
用事があったので午前中に車で家を出た。帰り、夫の実家にお土産を持って立ち寄る。夫は「自分が食べさせたいと思う食材」を買って行く。私は「温めるだけで食べられる、二人が好きなお惣菜とスイーツ」を買って行く。この差は結構大きいよ、ごめんやけど。ほんまにごめんやけど。
帰り際に義母が小さなメモ帳を私に手渡し、「これ、あなたのお仕事のノートでしょ?」と言うので、なんとも思わずに、新品に見えたそのメモ帳を受け取った。そのようにして物を渡されることが多いのだ。空箱やレシート、お菓子、古いバッグなど、義母はなんでも私に手渡す。今回もそんなことだと思った。しかし家に戻って中を見てみると、義母自身のメモだった。数ページにわたってバスの時間や電話番号が書いてある。
駅出て少し直進 左折
ファミリーマートを右に見て
ガソリンスタンドを直進
眼科を右折
薬局を左折
橋を左折
まっすぐ
読んですぐに、道順が書かれていることがわかった。最寄り駅から義母の自宅までの道順だ。忘れないようにメモしていたのだろう。4年前の日付で、なんだか義母の言動がおかしいな? と思うことが増えてきた時期と重なる。
8/21 日
一番つらい日。
パパは朝ごはんも機嫌良く食べていたのだが、終わって仕事にとりかかり台所に立ったとき、ふらついてびっくりした。日赤病院へ。それからはよく覚えていない。
これは、4年前に義父が脳梗塞で倒れた日の記録だ。当時、夫も私も義母の異変に気づいていたものの、認知症だという確信は持てていなかった。しかしこの日を境に義母はどんどん調子を崩した。
車のキーをどこかにかくして(保管のつもりが)出てこない。
つらい つらい つらい!!!
明日パパにでんわしてもらって、車屋さんに新しいキーを作ってもらいたい。
キーのことでつらい思いをした。家中の引き出しをあけて探すも出てこない。
恐ろしいことだが、義父が入院してしばらくの間、義母は車に乗っていた。しかし、9月までには私たちに説得され、乗ることができなくなった。しかし、キーにはこだわった。車はわが家に移動させたが、嫁と息子が車を盗んだと税理士さんに電話をされ、めちゃ困った。今となっては笑い話だ。
この頃とみに脳の老化現象があらわれて頭がぼんやりしている。自分でもつらい。
早くパパに家に帰ってきてほしい。退院が待ち遠しい。もの忘れがひどくつらい。
義母自身も、失われていく記憶や変わっていく自分にちゃんと気づいていたのだ。
さて、私は実はもう一冊、日記帳を持っている。これは実母が亡くなったあと、実家で見つけて持ち帰ったもの。1ページ目には、私と夫のケータイ番号。2ページ目からは、ほとんどすべて兄に関する記載だ。
タカ(兄のこと)に「うな鐵」で上うな丼をご馳走になり、はじめての味でとても美味しかった。ありがとう。
「うな鐵」とは、私の実家の近所にある(今現在も営業しているらしい)うなぎ屋のことで、私と父は頻繁に通っていたのだが、「はじめての味」と書いているあたり、父は母を一度も連れて行かなかったのではないかと疑っている。そして、間違いなく兄のことも連れて行ってはいない。うな鐵での食事は私と父だけの習慣のようなものだった。土曜日の夕暮れ時、カウンターに座る父と私。父はうなぎの肝の串焼きで生ビールを飲んでいた。父のスカイブルー色のシャツ。灰色のコーデュロイのズボン。店の入り口にかかるすだれの向こうの夕焼け空。私は特別な娘なのだという、幸せな思い(今思えば歪みきっているが)。
母も兄も、私と父が土曜の夕方に二人だけでうなぎ屋に通っていたのは知っていたけれど、知らないふりをしていたはずだ。兄がその禁断の場所に母を連れて行き、上うな丼を食べさせたのは、父へのレジスタンスではなかったか? などと考えた。我ながらどうでもいい考察だ。
しかし、この喜びの「上うな丼」の記載から先は、兄に対する怒濤の資金提供の記録となっている。よくもここまで……とため息が出る。むしろ、尊敬すらしてしまう。どうやってかき集めたのだろう。こんなに強固な共依存関係、映画でも登場しない。恐ろしくてページをめくる手が止まってしまう……わけはなくて、思い切りめくりまくって全部読んでいる。こんなにすごいものを残してくれて、ママありがとう、そして止めてあげられなくてすいませんと思っている。
母がここまで兄に資金を注ぎ続けた理由はわかる。兄は母がそうするまで絶対に諦めないからだ。私が過去に起きた、自分のなかの何かに引っかかるできごとを絶対に忘れないのと一緒で、兄にも「絶対」がいくつもあった。
「絶対に」諦めない。
「絶対に」黙らない。
「絶対に」止まらない。
亡くなってから三年にもなろうというのに、現在も彼を確実に止める努力をしているのは、この私。終(しま)えたと思っていた兄が、イマイチ終えていない。
2023/03/22 水曜日
草津のジュンク堂へ。今まで何度もただのお客さんというか、本を買う人として立ち寄っていたのだが、ご挨拶をさせて頂くのははじめてのこと。あれだけ棚が並ぶ書店が近くにあることは、本好きにとってありがたいことだ。私の書いた本をたくさん並べて下さっていた。ありがたい。知り合いの翻訳家の訳書も何冊かあった。頑張れ、翻訳書(そして翻訳家のみなさん)。生き残ってくれ。
ジュンク堂訪問後、彦根の平和堂(滋賀県で大変有名なスーパーマーケットチェーン)本社へ。まさか本社にお招きを受けるなんて大事件が我が身に起きるとは思ってもみなかった。系列の平和書店で新刊の『ふたご母戦記』(朝日新聞出版)を大プッシュして下さるとのことで、担当編集者の日吉さんと営業の方と三人でご挨拶に伺ったのだ。
ドーンと大きな本社ビル。ここはテキサスか。
滋賀県在住の平和堂愛好家主婦としては、大興奮のできごとだった。そのうえ、社長(!)の『赤い稲妻』(!!)と命名されたかっこいい車で彦根を案内していただき、彦根の平和書店にもご挨拶させていただき、滋賀県民として最高の時間を過ごすことができました。我が身に何が起きていたのか。とにかくみなさん、ありがとうございました。ママ友に「本社行って来た」と報告したら、びっくりしていた。
2023/03/23 木曜日
昨日は平和堂大ツアーでとても楽しかったものの、本日になってメンタルがダウンした。自分の表情が強ばっているのがわかる。これは本格的にまずいのではないかと思って、クリニックの予約を取った。ここ数年、全体的に調子は良かったのだが、5年前に手術してからというもの、肉体的というよりはメンタル的に落ちることが増えた。それも、振れ幅が大きい。これはもしかしたら、更年期障害なのかもしれない。いずれにせよ、学生の時に経験した落ち込みと同じぐらい酷い。トリガーになったできごとは自分でわかっているので、それが解決すれば、なんとか持ちこたえるだろう。メンタルが落ちたからといって、仕事が出来ないわけじゃないので、こういうときは、とりあえずデスクに向かっておくのが正解。こういう、追いつめられた状況で書くほうが、私の場合は良い文章が書ける(ような気がする)。
2023/03/24 金曜日
ダウン。ますますまずいことになってきた。何を食べても味がしない。むしろコロナか? いや、熱はない。クリニックの予約がなかなか取れず、受診が少し先になってしまった。先生に無理を言って、薬だけもらいに行こうか? それとも、地を這うようにして過ごすべきなのか。私の表情が冴えないので、息子たちが気にしているのが伝わってくる。それがわかっていても、表情が消えてしまう。もう無理なのだ。
2023/03/25 土曜日
自分の日記であっても、調子が悪いと書くことは、なんらかのアピールだと思われるだろうか……と、心配しているあたり、やはり私はいま調子が悪い。調子が悪いのだが、とりあえず毎日大人しく寝ていたら、数日前から徐々に上がってくる予感がしてきて、今日は朝起きていきなり暗い気分になることはなかった。寝室の窓を開けて外を見たら、すでに桜が見事に咲いている状態で「いつの間に?」と不思議な気持ちになった。ここ数週間、目に映る景色に色がなかった。こんなに辺り一面春色になっていたとは。振り返ったら真っ黒なハリーが無表情で座って私を見ていた。
2023/03/26 日曜日
夜中に長男から「かあさん、眠れないんだけど」というLINEが届くことが増えた。私自身も高校生の頃から「眠れない」と悩むことが多かったので、長男もそうなのかもしれない。
眠れないと訴える私に「無理に寝なくていいよ。その時は本でも読んでいればいいじゃない。朝になって眠くなったら寝ていいし、その時は学校を休めばいい」と、母が言ったことがあった。ああ、そういうことねと気が楽になって、夜通し本を読み、朝に眠くなり、学校を休んでガーガー寝ていたので、同じことを長男にも伝えておいた。無理に寝なくていいのか、それで気が楽になったと言っていた。
心が優しく、とても繊細な長男。その繊細さで傷つくことがないといい。
ここのところダウン回数が多かった。冬季鬱なのか? それとも春の訪れとともに?
翻訳作業が遅れているのがとても気になるので、今日から作業に戻ろうと思う。とにかく、目の前にある仕事を、着実に進めていくこと。いつものリズムを取り戻すこと。その先に、必ずゴールはある。
2023/03/27 月曜日
カータンと打ち合わせ。4月1日に東京でトークショーがあるのだ。
カータンはご両親の介護という体験を通して、多くのメッセージを読者に送り続けている。どれも、くすっと笑えて、泣けて、そして「これでいいんだよね」と、介護に100%の正解なんてないのだと教えてくれる。今日はZoomでKADOKAWA担当編集者の伊藤さん、よみうりカルチャーの湯本さん、カータン、そして私というメンバーで打ち合わせ。カータンとは、実は2回目のZoom。前回も思ったのだけれど、カータンは底抜けに明るいようでいて、実は繊細な面も持ち合わせている方なのだ。そして美人だわ。日本のアナ・ウィンターと呼びたい。
2023/03/29 水曜日
昨日あたりから徐々に調子が戻り、翻訳作業も進んでいる。原稿を書くことは出来ているのだから、あまり過剰に狼狽えないようにしているけれど、こんなにメンタル面で落ちてしまうのは、学生の時以来だ。やれやれ。4月のカレンダーが埋まった。5月は少しゆっくりめに暮らしたほうがいいので、(外出のスケジュールは)ブランクにしたい。できるだろうか。できるはずだ、俺ならば。
2023/03/30 木曜日
調子が戻る。ひたすら翻訳。預かっている四冊、今年中に仕上げるべく、今日も今日とて、一行一行、じりじりと進んでいる。しかし、エッセイの調子が悪い。あまり言葉が浮かんで来ない。
友人から、アルバイト先(飲食店)にやってくるガチ恋おじさんの話を聞いた(本人に書いてもいいか確認して了承を得た)。同僚の女性(40代)に、恋をしているであろう50代の男性が、週に一度、必ず店にやってくるのだという。同僚の女性は、彼の気持ちを知ってはいるが、普通に接客をしているという。50代の男性も、特に彼女に話しかけるだとか、彼女を誘うだとか、そういうことは一切しないそうだ。ただただ、二人の間には特別な空気が流れているという。友人曰く、「色はついていないんだけど、なんとなく薄いピンク色の空気が漂っている」ということだった。それは恋じゃね? という話になって、友人は「そうだよね。まさか40代と50代ってあり得ないって昔は思っていたけどさ、実際、あるんだよね、こういうこと」と言っていた。実際に交際に発展すると、うまくいかなかったりするかもしれないけど(何様)。二人に幸あれ。
……ガチ恋といえば、こんな話がある。
80歳の老人が営む居酒屋があった。客はほとんど常連で、誰もが店のルールを知っていた。そのルールとは「飲み過ぎないこと」、「痴話げんかをしないこと」。カウンター数席とテーブル席が1セット(4席)の小さな店で、親父さんと呼ばれる高齢の店主が夜な夜な現れる客(95%が男性)を言葉少なに相手するような店だった。親父さんには誰も文句を言わなかった。親父さんが、もう帰れと言えば、どんな酔っ払いでもチンピラでも、そそくさと店を後にした。そんな親父さんの店に突然、若い女性が手伝いとして働き出した。名前はエイミー。親父さんの孫だという。背がすらりと高く、肩の下まで伸びた黒髪はゆるく波打ち、艶があった。大きな茶色い瞳に、通った鼻筋、形の整った唇。誰が見てもエイミーは美人だった。それも、非の打ち所がないほどに。
アメリカ人男性と結婚した親父さんの娘とともに2歳で東京からNYに渡ったが、大学に進学した年に両親が離婚。その後、親との関係がうまくいかなくなり、大学を休学して、突然祖父を訪ねて日本に来た。数週間の滞在の予定という話だったが、80歳という高齢になっても一人で働く祖父の姿を目の当たりにして、エイミーはなんとなく店を手伝いはじめた。
孫娘に最後に会ったのは、彼女が2歳のときだった。もう二度と会えないだろうと引き裂かれるような思いで送り出した。自分の年齢を考えれば、エイミーと過ごすのも今回が最後となるだろう。アメリカに戻るためのチケットはすでに購入してあると聞いていた。働きたいと突然言い出したエイミーに驚いたものの、親父さんはなにも言わなかった。エイミーは喜んで働きだした。
美しいエイミーという女性の登場に、常連客は静かに、しかし激しく動揺した。場末の古ぼけた居酒屋に突然、スクリーンから飛び出してきたような美しい女性が現れたからだ。しかし常連客は、決して騒がなかった。それが店のルールだとわかっていたからだ。誰もが、まるで何も起きなかったかのように、静かに飲むだけだった。最初からそこにいたかのように、誰もがエイミーに普通に接した。エイミーも、特に自己紹介するでもなく、てきぱきと働くだけだった。親父さんも多くは語らなかった。時折、訥々とエイミーに指示を出すだけ。ちなみに、エイミーは日本語を不自由なく話すことができた。ささやくような小さな声だった。常連客のひとりは「アメリカ人ってもっと元気だと思ってたけどな」とぽつりと言った。親父さんがギロリと睨むから、客はそれ以上何も言えなくなった。エイミーは滅多に笑わなかったが、時折見せる笑顔は、煙で煤けた店内を一気に明るくするような美しさだった。
さて、常連客のひとりに、週に数回ふらりと現れてはカウンターの隅に座る男がいた。店近くの予備校講師で、30代前半の原田だ。数ヶ月に一度しか散髪しない髪はボサボサで、無精髭が生えていた。黒い革靴の踵はすり減っていた。年中、同じスーツを着ているような男だった。それもしわの寄ったスーツを。予備校では人気の講師らしかったが、仕事にのめり込めばのめり込むほど結婚生活はうまくいかなくなり、数年前に妻とは離婚していた。
いつものように授業を終え、一人暮らしのマンションに戻る前に一杯飲もうと立ち寄った親父さんの店に、突然、若い女性がいたので原田は心底驚いた。孫だと言葉少なに親父さんは言った。孫? どういうこと? どうやったらこの爺さんからこの美女が⁉ 彼女は、ぎこちない仕草で、瓶ビールを自分のところまで持ってきた。名前はエイミーだという。非の打ち所のない美女のエイミーは笑顔を見せなかったが、それでも原田は思った。真面目に生きていると、バツイチの俺にも少しはいいことがあるんだな。もう何年も買い換えていない糸のほつれたネクタイを緩め、原田は自らコップに注いだビールを勢いよく飲み干した。じわじわと体に酔いが回るのを感じながら、ちらりとエイミーの美しい横顔を盗み見て、「ああ、今日の俺は幸せかも」と小さくつぶやいた。
この出会いから数か月後、エイミーと原田は一生に一度あるかないかの恋に落ちる。(つづく……のか?)
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第1回2023/01/19-2023/02/02
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第3回2023/02/18-2023/03/03
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第4回2023/03/04-2023/3/17
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第5回2023/03/18-2023/03/31
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第6回2023/04/01-2023/04/16
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第7回2023/04/17-2023/05/08
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第8回2023/05/09-2023/05/21
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第9回2023/05/22-2023/06/01
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第10回2023/06/07-2023/06/16
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第11回2023/06/17-2023/06/30
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第12回2023/07/01-2023/07/14
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第13回2023/07/15-2023/07/28
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第14回2023/07/29-2023/08/11
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第15回2023/08/12-2023/08/25
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第16回2023/08/26-2023/09/08
翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。
主な著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術
』(CCCメディアハウス)、『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』『ハリー、大きな幸せ』『家族』(亜紀書房)、『村井さんちの生活』(新潮社)、 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)、『更年期障害だと思ってたら重病だった話』(中央公論新社)など。
主な訳書に『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』など。