2023/05/09-2023/05/21
2023/05/09 火曜日
資料として取り調べ映像を見る。テキサスで起きた事件の取り調べで、容疑者がテキサス・レンジャー(テキサス州公安局に属する法執行官)の熱狂的ファンと知った担当刑事が、本物のテキサス・レンジャーに依頼して、取り調べ室に来てもらうのだ。
「ハロー、テキサス・レンジャーのジョン・ホランドだ。調子はどうだい?」 ホランドはしっかりテンガロンハットをかぶっているし、ピチピチのカッターシャツにピチピチのブルージーンズで、もちろんカウボーイブーツ姿だ。全身、ピッチピチである。ギラギラのテキサスおじさんだ。
容疑者は明らかに喜んで、興奮し「エヘヘ……本物のテキサス・レンジャーさんなんだよね? 本物を見たのは初めてだなあ……」という感じで、ぐにゃぐにゃになって、ペラペラ話す。大変面白い映像だったんだけど、私には別のことが気になった。テキサス・レンジャーのジョン・ホランド。この人、どこかで見た覚えがある。急いで調べてみたら、ビンゴや!!!
有名な人だった。シリアル・キラーも捕まえてるし(サミュエル・リトル)、強引な取り調べで記事にもなっていた。地元ではスターなんだろう。そもそも、レンジャー自体、簡単になれるものではないから、古くからテキサス男子の憧れの存在なのかもしれない。日本で例えるとどんな存在なんだろう。西部警察だろうか(ホランドは大門か? しかし今どき誰が知っているのか、大門を?)
こんなどうでもいいことを調べつつ、夜まで翻訳。しばらく翻訳漬けだ。いま、琵琶湖は一年で最も美しく、過ごしやすいシーズン。それなのに家に籠もって翻訳だ。楽しいからOKだよ。
2023/05/10 水曜日
メンタルクリニックにずいぶん前から通っている。今日は、私の次に患者さんがいなくて先生が暇だったようで、診察が長くなった。
「それで、お兄さんのことはどう思ってるの?」
「可哀想だなって思ってますよ。まだ若かったし、生活も大変だったろうし、病気もしてたし。もっと助けてあげればよかったなって思いますよ、さすがに」
「でも、全然助けてなかったわけではないんでしょう?」
「そうですね。賃貸契約の保証人にもなったし、葬式も出しちゃったし……」
「それで十分じゃん、あはは」「そうですね、あははは」
先生は優しい人だと思う。でも先生は、私が兄の死について本を書いたことを知らない。それを知ったらどう思うだろうか。ただでは転ばない女だと思うのではないか。計算高い妹だと思うのでは?
クリニックの帰り、駅のホームでワンピース姿の女性が分厚い本を読んでいた。ただそれだけのことなのに、周囲の景色が霞むほど彼女が輝いて見えた。私が本に関わる仕事をしているからではないと思う。彼女には特別な雰囲気があった。彼女が手にしていた、分厚い本にも。
2023/05/11 木曜日
最近移動時にはQuiet comfort(ヘッドホン)が手放せなくなった私だが、山科駅前にある志津屋のガラスに映った自分を客観的に見て怖かった。オーディブルで今現在訳している本を聞きつつ、ペッパーカルネを買いに行くところだったわけだが、ちょっと気をつけようと思った。クワイエットモード(ノイズキャンセルモード)にしていると、没入感が強すぎるのかもしれない。自分しかこの世にいないみたいな雰囲気になっちゃうんだよね。まるで聞き込み中のデカじゃんって思った(ちょっとかっこいい)。
2023/05/13 土曜日
雨。今日は翻訳の続きを……と思っていたのだが、左手が痛くて一日休むことにした。朝からTikTokでパニーニおじさん(と私が勝手に呼んでいる男性)の配信を見る。ナポリにあるCon mollica o senza? という店で、大人気店だ。別の有名店で働いていた彼だが、TikTokで配信を始め、店に客が殺到するようになり、上司に配信をやめろと言われて独立した。今はオリジナル店の店主として毎日山ほどパニーニを作っている。
あのザクザクの大きなパンはどうやって焼くのだろう。バジルソース、たっぷりのモツァレラ、大きなオリーブ、ドライトマト、生ハム、サラミなどをどっかんどっかんと挟んでいく。それを大きな包装紙でくるくるっと巻いて(あのかわいい包装紙!)、スマホを構えて撮影する客に手渡す。なにが楽しいのかわからないのだが、とにかく見てしまう。シンプルだけど、一発当てたらすごい! みたいなビジネスに憧れてしまうのだ。
2023/05/14 日曜日
思いがけず、息子たちそれぞれから、母の日のプレゼントをもらう。ちゃんとしたものをもらったのは今回が初めてじゃないかな。この喜びは一生忘れないと思う。
2023/05/15 月曜日
『射精責任』(太田出版)の原稿を戻した。『LAST CALL』(亜紀書房)の翻訳を進めた。『The Real-Life Murder Clubs』(大和書房)の翻訳を進めた。『村井さんちの生活』(新潮社Webマガジン「考える人」連載)を(途中まで)書いた。『すばる』(集英社)の連載(『湖畔のブッククラブ』)原稿を書くために『死体とFBI』(早川書房)を読んだ。うーむ。FBIが証拠隠滅なんて話は聞くが、今度は殺人かーい!
今日も今日とて、文字だらけだ。いろいろな人に「原田は誰だ」とか「原田はどうなる」と質問されるが、私ですら、コーヒーを飲みながら、家事をしながら、原田のこれからに思いを馳せている。みんなの原田はどんな原田なんだろう。私のなかの原田には六角みが増してきている。
2023/05/16 火曜日
今日は一日休んだ。朝、少しだけ原稿を書いたが、それからはずっと休憩……というかネットショッピングだ。調子が戻るとショッピングも戻って来る。私はここ数十年来のネットショッピングファンで、よなよなネットの大海を彷徨い、役に立つのか、それとも立たないのか、よくわからないものを買い続けている。そんな私が販売(リニューアル)を今か今かと待っているものがある。iPad miniだ。iPadは発売直後から様々なモデルを買ったが、サイズ、容量、すべてにおいてNo.1はiPad mini。間違いない。リニューアルは来年初頭らしいが、今から我慢できずに待ち続けている。
2023/05/17 水曜日
義父が弱々しい声で電話をしてきて、これから先、どうしたらいいんやと私に聞く。
私と夫が結婚する前、私が母子家庭の家の娘と知った義父は、面白半分で私をフランス料理店に連れて行き、皿が出される度に「こんなもの、食べたことないやろ?」と大声で聞くという謎の意地悪をした。いくら私が母子家庭の家の子だからといって、(27歳にもなっている女に)こんなことするなんてと思ったが、そんな義父も今年91歳。そして、これからどうしたらいいんやと私に聞いてくる。今までの人生の反省でもしたらどうや(アウチ!)。
2023/05/18 木曜日
膳所駅近くにお気に入りのパン屋があって、その店舗内のイートインスペースで時間を潰すのが最近のマイブーム。パンは美味しいし、コーヒーも美味しいし、電源があるしで最高。今日もQuiet Comfortで周囲の音を完全に消した状態で資料のドキュメンタリーを視聴した(『シリアルキラー・プロファイル -アメリカ史上最狂の5人-』)。30分程度時間を潰し(Quiet ComfortとiPadがあれば、どこでも映画館だ)、すぐ近くにあるお馴染みのメンタル・クリニックへ予約時間ぴったりに到着。
「どう? 元気になりました?」
「はい、かなり元気になりました」
「それはよかったねえ」
「はい、おかずも徐々に増えてきました」と答えたら先生は大笑い。前回の診察で「家事をするのが死ぬほどイヤです。やる気が出ません。おかず1種類で限界」と先生に相談していたからだ。
「献立を考えるのが一番大変だって言うものねえ」
「自分がお腹が空いていないときに、美味しい食べ物を作ろうなんて無理な話ですよ。それも毎日。やってらんない!」
再び先生は大笑いし、カルテになにやら書き込んだ。診察終了。次は二週間後。
ちょうど夫が義母の通院の付き添いで近くに来ていたため、とあるフードコートで待ち合わせて合流。近江ちゃんぽんを初めて食べたのだが(滋賀県民のソウルフードなのに、なんてことでしょう!)なかなか美味しい。義母はちゃんぽんが運ばれてきても、あまり反応がなく、一本のモヤシを右に5センチ移動、そして左に3センチ移動のような不思議なことを繰り返し、結局、食べることができなかった。
2023/05/19 金曜日
義母の認知症が瞬く間に進行した。ここ三ヶ月ぐらい、出来ていたことが出来なくなったなと思っていたが、医師曰く、かなり進行したとのことだった。「長谷川式認知症スケール」の点数も前回(一年前)の半分以下。以前は5分程度の記憶の保持は出来ていたと思うが、今はまさに一瞬、一瞬を生きている義母。それなのに、本来の明るい性格は一切失われておらず、認知症患者と思えないほど溌剌としている。
2022/05/20 土曜日
「生誕100年 山下清展」に行ってきた。佐川美術館で開催中。べつに芦屋雁之助を責めたいわけではないが、本物の山下清は『裸の大将』からはほど遠い人だったのだなと改めて思った。山下清作品管理事務所代表の山下浩氏が記した「家族が語る山下清」(図録『生誕100年 山下清展―100年目の大回想』所収)には、清が自分を面白おかしく表現されることに納得がいっていなかった様子が描かれている。
彼のなかにも画家として有名になるために、やらなければならないことと、自分のプライドの間で葛藤する姿があったのだ。ランニングに短パンというイメージを嫌い、普段はスーツ姿だった。清が実際に使用していたリュックサックも、映画で描かれていたものよりはずいぶん小さい印象があった。最も有名な作品は花火の貼り絵だとは思うが、私は「自分の顔」(1950年)の作品の色合いがとても好きだった。貼り絵なのに、タイルのような立体感がある。
清は49歳という若さで亡くなっている。晩年、接待が続き、放浪していたときより体重が増え、血圧も高く、最後は脳溢血だったそうだ。
2022/05/21 日曜日
家に戻った原田は包装紙に包まれた万年筆をバックパックの中から取り出すと、ダイニングテーブルの上に置いた。For youと印刷されたシールを見て、前夜遅くまでエイミーと語り合った時間を思い返していた。
エイミーは原田より6歳年下だった。年下とはいえ、エイミーとの会話は原田にとって、この上なく心地よいものだった。酒の酔いも手伝っていたと思う。自分にしては珍しく、いろいろなことを正直に話してしまったなと原田は少し恥ずかしかった。厨房の奥で仕込みをしていたはずの親父さんが、原田とエイミーのほうをちらりと見て、少しだけ微笑んだのもうれしかった。親父さんに信頼されていると感じたからだ。
「それじゃあ、アメリカに戻ったらもう一度大学に戻って、卒業する予定?」
「日本が好きだから、もしかしたら、ずっとここにいるかもしれない」
「え? そうなのか……日本の大学にも演劇を学べるところはたくさんあるはずだから、いいかもしれないね」
「それにね、私、お爺ちゃんのお店が気に入ったんです。お客さんも優しい人ばかりだし……」とエイミーは微笑みながら言って、原田を見つめた。
俺か? まさか、俺のことか? と原田は焦り、そして喜びの余りニヤついてくる顔を平静に保つのに苦労した。
「そうだね、大人しい常連のおっさんばかりだからな」と、原田はかろうじて答え、赤くなった頰を誤魔化すため、両手でバシバシと叩いた。
「いや~、あり得ないよ~」と、原田は一人暮らしのマンションで、包装紙に包まれた万年筆を前に、エイミーの言葉を思い返しながら大いに照れていた。「まさか、あんなに素敵な人が、俺のことを優しいと思ってくれているなんて、それはちょっといくらなんでも……」と赤面しながら立ち上がり、冷蔵庫の缶チューハイを取り出し、勢いよく飲んだ。「はあ、真面目に生きていると、いいことがあるなぁ」
翌週の原田は忙しかった。なかなか成績の伸びない生徒の悩みを聞き、指導に力が入った。性格の穏やかな原田は人気講師で、彼の周囲には常に学生たちがいたから、帰りが遅くなることもよくあった。自分の授業だけではなく、後輩の講師にアドバイスすることも忘れなかった。「先輩、最近、なんだかいきいきしてますね」と言った後輩に対しては、「真面目に生きていると、たまにはいいことがあるんだよ」と原田は答えた。時間を見つけて親父さんの店に行き、エイミーにプレゼントを渡したいと思っていた原田だったが、結局、店に立ち寄ることができたのは、エイミーの誕生日に二人で話をしてから10日後のことだった。
20時、仕事を終えた原田は真っ直ぐ親父さんの店に向かった。暖簾をくぐって中に入ると、いつもの常連たちがすでに座って飲んでいた。原田の席にはいつも親父さんが新聞紙や雑誌をさりげなく置いてくれていたが、その日も無造作に雑誌が置かれていた。原田は常連客らに軽く手を挙げ挨拶すると、「こんばんは」と親父さんに声をかけた。さりげなく店内を見回したが、エイミーの姿はなかった。親父さんがカウンター越しに、原田におしぼりを手渡した。
「とりあえず、ビールで」と原田は親父さんに言ったが、なんとなく胸騒ぎがした。
「はいよ」と親父さんは言い、いつものように瓶ビールの栓を勢いよく抜き、グラスと一緒にカウンターの上に置いた。
原田は迷った。今日はエイミーは休みなの? 親父さんに聞いてみようと思ったのだ。スーツの右ポケットには、彼女に手渡すはずの万年筆が入っている。原田が迷っていると、親父さんが唐突に言った。
「帰ったよ」
原田は言葉を失った。
「エイミーだろ? あいつだったら帰ったよ、アメリカに。先生には言わなかったんだな」
(続く)
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第1回2023/01/19-2023/02/02
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第8回2023/05/09-2023/05/21
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第9回2023/05/22-2023/06/01
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第10回2023/06/07-2023/06/16
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第11回2023/06/17-2023/06/30
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第12回2023/07/01-2023/07/14
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第14回2023/07/29-2023/08/11
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第15回2023/08/12-2023/08/25
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第16回2023/08/26-2023/09/08
翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。
主な著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術
』(CCCメディアハウス)、『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』『ハリー、大きな幸せ』『家族』(亜紀書房)、『村井さんちの生活』(新潮社)、 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)、『更年期障害だと思ってたら重病だった話』(中央公論新社)など。
主な訳書に『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』など。