ある翻訳家の取り憑かれた日常

第24回

2023/12/16-2024/01/05

2024年1月11日掲載

2023/12/16 土曜日

義父が聞いてほしいことがあるというので、買い物ついでに義実家へ。もちろん義母のことなのだが、夜中の徘徊時間が長く、義父まで眠ることが出来ないとのこと。特に何をやるでもないようなのだが、紙類を集めて、洗濯ばさみで留めて、それをあちらこちらへと移動させているそうだ。私が先日、あまりにも紛失が多いため、義父と義母の大事な書類(例えばマイナンバーカード、保険証、診察券など)を一箇所にまとめておいたのだけれど、どうもそれが気に入らなかった、あるいは違和感を持ったらしく、書類がふたたびバラバラになって、どこかへ紛れ込んでしまったらしい。部屋を見渡すと、壁に沿うようにして置かれた大量のamazonのダンボール。amazonで注文することなどないはずなのに、謎が深まるこのamazonダンボールをどうにかしなくてはならない。物を集め出すというのも、認知症の症状のひとつらしい。それにしても、ここ数年で義母は変わった。不思議と嫌な気持ちはしない。認知症前の義母に比べたら、今のほうが穏やかで、ずっといい。本人の気持ちはわからない。すべて忘れることは、救いなのか、それとも。

2023/12/17 日曜日

ハリーの便に血のようなものが混じったため、大急ぎで動物病院へ。私が(ハリーが)通っている地元の動物病院は、年中無休で数名の獣医が勤務している病院なのだが、私が最も信頼しているのはロッキーチャック先生だ(もちろんあだ名は私がつけた)。知っている人は知っている、あの山ねずみのキャラクターにそっくりな先生だ。

ロッキーチャックがいるであろう日を狙って行くものの、彼の勤務日はどうもランダムなようで、最近あまり診てもらえてはいなかった。しかし本日はラッキーで、診察時間開始直後に突撃したために、すぐに診てもらうことができた。先代犬も診て頂いていたので、顔を合わせれば、ああ、こんにちは程度の感じである。よくよく考えてみればロッキーにお世話になって十年以上経過しているということになるのだな。

「いつ見てもパンパンやな、君は」と言われたハリーは、待合室にある動物用体重計で測ったら52キロだった。1キロ痩せたよ。

「それで今日はどうなさいました?」
「それが、ハリーの便に血が混ざりまして。ちょっと汚くて申し訳ないのですが写真を撮影してきました」(こういうことをするんです、動物の飼い主は)と言い、私はiPhoneをロッキーに見せた。ロッキーは写真をまじまじと見たあとに、「ああ、これはたぶん腸壁が剥がれてきてしまっているんですね」と言い、それから何やらいろいろと説明し、一週間分の薬を処方してくれた。会計、1万円。

2023/12/18 月曜日

ハリーは大変賢い犬なので、薬を飲ませるのに苦労する。私の手元をしっかり見ているので、私が何か怪しいものをおやつの中に突っ込むのがわかるのだ。最終手段はハリーの大好物のカステラのなかに上手に仕込んでなんとか飲ませるのだが、それでも、二度に一度は錠剤だけより分けて上手に吐きだしている。薬を飲ませたら、一日で状態は良くなってきた。さすがのロッキーチャック。

2023/12/19 火曜日

燃え尽きたのかもしれない。元気が出ない。

今年最後の訳書、パトリシア・マッコーネルによる『The Other End of the Leash: Why We Do What We Do Around Dogs』の翻訳がとうとう終わったこともあり、どっと疲れが出たようだ。もう英文は見たくないな……。とはいえ、初校ゲラが戻って来たら、正月もなくチェックが待っている。フリーランスに正月はないのだ。

2023/12/20 水曜日

思いがけずショックな電話があった。受話器を落としそうになるぐらいびっくりして、唖然としてしまったのだが、自分の日記だというのに内容を書くことはできない。いつか書ける日が来るかもしれず、その時は思い切り書こうとは思うが、今はだめだ。それにしても、人生は、何があるのかわからない。山あり谷あり沼地あり。

2023/12/21 木曜日

ハリーがNHK WORLDのReading Japanというコーナーで紹介されることになった。日本の読み物を海外に紹介するプログラムらしいのだが、早速海外在住の友人たちにFacebook経由で伝えると、喜んでくれた。しかし、私の若いころを知っている友人らからすると、あまりにもソフトな内容で驚くのではないだろうか。そもそも、私が何をやっているのかなんて、ほとんど誰も知らないのだ。

2023/12/22 金曜日

息子たち、ようやく終業式。休んでいいのに休めないのは、いつもの悪いくせだ。年末ということもあるだろうけれど、気がはやる。こういうときは歩くか、早く寝るかに限る。両方やろう。

2023/12/23 土曜日

せっせと近所のコンビニでバイトしている次男が青い顔をして戻って来た。

「もしかしたら俺、失敗したかもしれない」と、不安そうな顔で言う。次男はとても面白い子だが、今まで何度も私をとことん驚かせ、そして時に泣かせてきた。だから、じわじわと胸に広がる不安を必死に抑えながら話を聞いた。次男曰く、お客さんが何かの料金を決済したのだが、その処理作業がうまくいっていないような気がするというのだ。店長はいなかったのかと聞くと、その日は店長が休んでおり、先輩の従業員がいたもののレジ以外の場所で作業をしていたらしい。レジにいたのは次男だけで、悪いことに、昼時で、レジ前はお客さんの長蛇の列だったらしい。最近近所で大がかりな建築工事が行われており、作業員のお客さんが増えたと聞いていた。

「それで焦ってしまって、処理で間違えた気がする」と頭を抱え込む次男を見て、「そういうときはすぐに報告したほうがいいよ」と私は言った。

「店長に、『お休みのところすいませんが、決済の処理でミスをしてしまったような気がします。とても心配ですので、チェックして頂けないでしょうか』とかなんとか、書いたほうがいい」と言うと、「そうだよね」と答えた次男は、早速店長のLINEにメッセージを送っていた。

「俺、クビかな」と次男が聞くので、「まさか」と答えた。「よほどのミスでない限り、たった一回のことでクビなんてないよ」と私は答えたものの、高校生のアルバイトをクビにするぐらい、そう難しいことではないよなとも思った。遅刻もドタキャンもせず、一生懸命働いていたのに……。

2023/12/24 日曜日

起きてきた次男が、「やっぱりクビかもしれない」と言う。なんで? と聞いたら、店長からLINEの返信が来ないらしい。

「ふーん」と、そんなのたいしたことじゃあないよという雰囲気を醸し出しつつ答えるも、心のなかでは「これはまずいのでは」と思っていた。夫には昨夜、次男がやっちまったかもしれない件についてすでに伝えていた。夫は本当に珍しく、「なんて可哀想なんだ」と次男に同情していた。「万が一クビになったら、あいつ、自信を失ってしまうやろな。本当に気の毒や。どうしてやればいいだろう、まだ17歳なのに」などなど、酷く同情しているのだ。ナンダこの人、珍しく子どもに同情していると不思議に思ったのだが、そのあとの話を聞いて納得した。夫は学生時代にアルバイトを三度もクビになった経験があるらしい(ちなみに私は一度もない。店長になってくれと言われたことはある)。

夫の悲哀に引っ張られ、私もどんどん次男のことが気の毒になってきた。自分自身のことだったらどうでもいいが、やはり子どものこととなると話は別だ。夕べも心配で寝付きが悪かったのだが、夫は朝の4時に目が覚めてしまい、そこからずっと考えていたらしい。夫と私は、コソコソと小さな声で、いつになく対応策を話し合った。

夕方、青ざめた次男がリビングにやってきて、「店長からLINEが来た」と言う。「どうなった!?」と慌てて聞くと、「明後日の昼に、店に来てくれって。店長とマネージャーから話があるって」

私と夫はさりげなく目を合わせた。次男はクビになるのだと確信した。

2023/12/25 月曜日

三年前に亡くなったママ友の命日で、お宅にお邪魔してお線香を……と、琵琶湖女子会(と命名されたママ友会)メンバーで話し合っていたものの、どうしても気分が上がらず、結局、私は行くのを断念した。残りのメンバーが行ってくれた。申し訳ないと思いつつ、どうしても家から出る気持ちになれなかった。次男のこともあるのだが、とにかく疲れが抜けないのだ。心のなかで手を合わせた。ごめんね、今度お墓に会いに行きます。

2023/12/26 火曜日

朝、起きてきた次男に、「もし大失敗していて、残念ながらクビになったとしても、今まであなたが頑張ってきたのは、母さんも父さんも、本当によくわかってるからね」などと声をかけた。泣きそう。

次男は、何度も頷いていた。夫は特に何も言わなかったが、私には「もし弁済が必要だったら俺たちで払おう」と言っていた。朝ご飯を食べることができないほど落ち込んだ次男は、昼前になって、ノロノロと身支度を整え、コンビニに向かった。行ってらっしゃいと声をかけたあとも、私はその後ろ姿を二階のリビングの窓からずっと見ていた。

肩を落とした次男の後ろ姿を見ていたら、じわじわと涙が出てきた。可哀想だと思った。真面目に働いていたのに、たった一度のミスでこんなことになるなんて。17歳の高校生には厳しすぎる現実なのでは!? 

次男は、左に曲がればコンビニ、右に曲がれば駅というT字路に行き着くと、そこで歩みを一旦止めた。私は心のなかで「逃げちゃダメ! 問題に立ち向かわなくちゃ!」と叫んだ。しばらく逡巡していたように見えた次男の背中だったが、意を決したように左折し、コンビニに向かっていった。私はその場を離れることが出来ず、次男が戻ってくるまで窓のところで待とうと決めた。

15分後、次男の姿が見えてきた。ものすごい早足で歩いている。まるで競歩だ。表情は見えないが、相当急いでいることはわかる。トイレか? まさか、誰かを殴ったか!? どういうことだ、なぜ急いでいる!!

家まであと10メートルという距離になると、次男は走りだした。顔を見ると、笑っている! ウヒャヒャヒャ! という笑い声まで聞こえてくる。そしてドアを勢いよく開けると、「かあさん!! 俺、クビじゃありませんでした!!!!!」と大声で叫んだ。

結局、次男は何もミスをしておらず、マネージャーと店長に呼ばれた理由は、お正月のシフトの相談だったそうだ。

「俺、クビになると思っていました!」と涙ながらに言うと、店長は爆笑し、マネージャー(年配の女性)は、「村井くん、可哀想に!」と、もらい泣きしていたそうだ。

私も夫も三歳ぐらい老け込んだ。

2023/12/27 水曜日

今年最後の剣道の練習に双子を送っていく。ついでにハリーも連れて行く。犬好きの師範が車まで走ってやってきて、ハリーと記念撮影をしていた。次男のクビ疑惑のために異様に疲れた数日だったけれど、なんとなく気が軽くなって、今日はトンカツを揚げることにした。

2023/12/28 木曜日

おいしいポテトサラダを作ろうと思ったら、じゃがいもを入れすぎないこと、マヨネーズをケチらないこと、キュウリをたっぷり入れること、マカロニも入れること、そしてなにより、リンゴを忘れてはならない!

2023/12/29 金曜日

守山の森へ散歩に行く。全長8キロのコースを2時間かけてハリーと歩いた。

夜、家に戻ってハンバーガーを作った。20個。バンズを調達するのが大変だった。

2023/12/30 土曜日

調子がいまいちなので、朝からハリーとひたすら歩く。湖岸をなぞるようにして歩き、あっという間の二時間。少し気持ちが晴れる。

NHK WORLDのReading Japanで、”A Different Kind of Love” and “Bruises All Over” from the Essay Collection “Be Not Defeated by a Dog” を観てくれた親友のカナダ人がひとこと、「cute」と書いて送ってきた。その言葉の向こう側にあるいろいろな意味に思いを馳せる。私を30年以上知る彼女が、cuteだって!! あんたも変わったねえと言いたかったのだろう。お互い様だよ!

2023/12/31  日曜日

朝からひたすら歩く。大晦日なのに気持ちが少し重いのは、年末に働きすぎてしまったせいだろう。それにしても、今年は本当によく働いた。原稿用紙にして何枚書いたのか、もう数える元気もないほど、書いたような気がする。来年は少しだけペースを落として、じっくりと書くことに取り組みたい。

2024/01/01 月曜日

午後に大きな地震。一階から息子たちの悲鳴が聞こえた。なんという一年のスタートだろう。すぐにテレビを点けると、避難を呼びかける大きな声。SNSを開くと、とんでもない状況になっていた。ここのところ毎年、大きな災害に見舞われているような気がするが、気のせいだろうか。

2024/01/02 火曜日

昨日の地震、そして今日の羽田の事故。年始から大変なことばかりが起きる。

2024/01/03 水曜日

かなり気温が高い。家のなかに閉じこもっていても仕方がないので、ハリーを連れて外に出る。ゆっくりと二時間かけて湖岸を散歩した。

2024/01/04 木曜日

そろそろ原稿のチェックをしなければならないと思い立ち、『The Other End of the Leash: Why We Do What We Do Around Dogs』の初校を読み始める。自分で訳していてなんだが、大変面白い本だなと思いながらチェックを進めるが、この一冊もページ数が多い! 私の人生は文字にまみれている……! 一生、文字からは逃げられないのだろう。

2024/01/05 金曜日

正月も終わって、子どもたちの冬休みも後半に入ったところでぐっと気温が下がった。夏に刈ることが出来なかった庭の雑草は、そのまま枯れてしまった。まるで牧草地だ。夏に生えた草を冬に持ち越すとは夢にも思っていなかったが、もう少し休んだら一気に刈り込んでやるつもりだった。しかしそんな矢先、雪が降ってしまった。

夏に生え、冬に枯れた草に雪が降ると、漬物のような状態になる。想像してみてほしい、庭一杯に広がる漬物の姿を。刈るのも一労、まとめるのも一苦労だ。いずれにせよ、雑草は厄介だから、今年は庭にコンクリートでも打ってやろうかと思いはじめた。

著者プロフィール
村井理子

翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。
主な著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術
』(CCCメディアハウス)、『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』『ハリー、大きな幸せ』『家族』(亜紀書房)、『村井さんちの生活』(新潮社)、 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)、『更年期障害だと思ってたら重病だった話』(中央公論新社)など。
主な訳書に『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』など。