ある翻訳家の取り憑かれた日常

第59回

2025/04/30-2025/05/15

2025年6月5日掲載

2025/04/30 水曜日

とてもせっかちなため、通話の終わりのタイミングに対して細心の注意を払っている。

いままでの人生で、「はい」のタイミングが早いと注意されたことは十回以上ある。派遣社員をしていたときに、営業の男性がものすごく険しい顔で「君はハイを言うタイミングが早いんだよ」と言ったことがあった。私は自分がせっかちだという自覚が十二分にあったため、そう言われた瞬間に心臓が止まりそうになったと同時に、母に言われていたように頭のなかでテンカウントして、静かな声で「……はい……」と答えた。

営業の男性はイライラした様子でタバコを吸って、「そんなことだと、どこでもクビになるよ」と言った。彼の言ったとおり、どこでもクビになった。理由は、ハイが早いだけではなかったはずだが。

カップヌードルは待ちきれなくてイライラすることもあるし、三分待てたためしがない。とにかく常に返事も早いし、インタビューの時ですら回答が早いと言われることがある。家庭科の授業ではスモックを作るのが早すぎて、先生に叱られた。教科書の音読が最高に早いと褒められた。

そんな私だが、この年になってもまだ通話の終わりのタイミングがせっかちになりがちなので、「どうもありがとうございましましたハイ失礼致しますぅぅハイ、失礼します〜」と言いつつ、iPhoneを耳から離して顔の前に持って来て、赤く点灯している受話器マークを右手の人差し指でピッと指して、念のためにその指をぐるぐる5回程度回してから切ることにしている。今日、そうやっているのを息子に見られた。

2025/05/01 木曜日

ゴールデンウィークに入っているが、いつもと変わらずに働いている。翻訳は順調に仕上がっているが、なかなか終わりが見えない。夫が休みでずっと家にいる。だからなんだということなのだが、空気が重い。あと、妙なYouTubeチャンネルを見ているのが非常に気になる。どうみてもAI生成なのだが、夫はいちいち驚嘆している。そのままにして成り行きを見守ることにした。

2025/05/02 金曜日

今日、なぜか祝日だと勘違いしていたのは、夫が休みで家にいるからなのだった。デイサービスに電話して、「すいません、今日って営業されているのでしょうか?」と聞いたら、担当者が「……はい。今日は参加ということでいいですよね?」と不思議そうだった理由は、今日はほとんどの人が働いているからなのだった。

私はフリーランスなので、いつ働こうが休もうが、締め切りさえ守っていれば死にはしないので、こういう細かいところの感覚が鈍ってくる。最近特に、曜日の感覚がいい加減になっている。

2025/05/03 土曜日

でたー! ギャランティーを書いてくれない依頼がキター!

これはインターネットでもよく話題になっているのでまたその話かと言われちゃうかもしれないが、金額なしの依頼があとを絶たないから書くことになる。ご依頼は心からありがたいのだが、金額を最初のメールで書いてくれないと、こちらから確認をするというひと手間が増える。というか、そこが一番大事だと思うのだが、そうでもないのだろうか。

金額の提示がない段階で、受けるも、受けないも、決めることはできない。スケジュールだって確保できない。「金額」と繰り返し書くとまるで守銭奴だが、それじゃなにかい、私は報酬なしで働くというのかい? もう、ほとほと嫌になってきたが、そういう依頼が来る度に「金額を提示してくれないと、返事はできない」とメールを書くことになる。書いた途端に、すごく疲れる。もういや。

2025/05/04 日曜日

最高にキモい連続殺人鬼イスラエル・キーズの事件がドラマ化されるらしい。

キーズの大きな特徴は殺人キット(詳細に書くと、バケツの中にロープとかナイフとかナイロン袋とか、殺人に必要なグッズを詰めたもの)を全国各地の穴に埋めておくというもので、犯行手口は大変気味が悪い。いままで何人を手にかけてきたのかは、本人のみぞ知る。しかし、本人はこの世の人ではない。

殺人キット以外にもキーズの特徴はあるのだが、とてもじゃないけど書く気になれない。FBIのサイトでキーズの供述の様子はほとんどすべて見ることができるが、捜査官が女性に交代した途端に上機嫌になるところが本当に嫌だ。捜査官側も駆け引きとしてやっているのだろうが、いくら拘束されている相手とはいえ、恐ろしいだろう。

そして実は、キーズの犯行そのものが映像として残されている。防犯カメラに残されたものだが、被害に遭った女性が気の毒でたまらないし、事件とはふとした瞬間にすでに始まっているのだと思い知らされる。

事件系の翻訳をするようになって、あまり人を信用することがなくなったが、それでいいのだと思う。キーズについては『捕食者――全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』(亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズⅣ)を担当しているので読んでみてほしい。

2025/05/05 月曜日

事件関連の翻訳が(語弊があるかもしれないが)好きだというと、怪訝な顔で見られることが多い。「好き」という言葉の使い方が悪いのかもしれない。好きというより、のめり込むというところだろうか。とあるミステリー作家が「人の死をエンタメとして消費しているわけではない。事件の概要を知ることで、被害者の人となりを知り、人生を知り、家族を知ることで、悲劇を悲劇として、初めて、しっかりと認識できる」と言っていたが、確かにその通りだと思う。何も知らない状態で生きていくことは当然可能だが、一旦、事件について深く知ると、その被害者の人となりや人生は長く自分の記憶に残ることになる。うまく言えないが、知っていることと、知らないことの間には、差があるように思う。それが殺人事件の内容だったとしても。

そんなことを考えつつ、アメリカの連続殺人事件について調べてしまったこどもの日。うちにはもう、幼い子はいないが、大人の顔をして、まだまだ幼い人たちは私の人生にしっかり存在している。

2025/05/06 火曜日

義父が涙ながらに、「次はいつ来てくれるのか」と夫に聞き、夫は義父に背を見せつつ足早に部屋を出ていってしまった。わかる、わかるよ。

思わず想像した。私の父が、私に対して「次はいつ来てくれるのか」と聞いたらどうしようと。想像したら、一気に涙が出てきた。

父は49歳という若さで死に、私の記憶にある彼はまだ若かった。なにせ、現在の私よりも若いのだ。とても若くて、死ぬには早すぎた。かわいそうに、胃癌に罹ってあっという間に死んでしまった。その父が今も生きていたと仮定して、私に「次はいつ来てくれるのか」と聞いてきたとしたら? いつでも来るよと私は心のなかで答えた。いつでも来るし、いつまでも一緒にいるよ。旅行にも行きたいし、一緒にごはんを食べに行きたい。車でドライブしたいし、どこにでも連れて行ってあげたい。

よくよく考えたら、義父と一緒にしたくないことを、実父とだったら全部やりたい。

2025/05/07 水曜日

義父は何を与えても満足しないモンスターのようになった。どこまでも生命力を吸い続ける巨大なスポンジマンだ。スポンジボブはかわいかったが、義父はどうなの。湯婆婆にしばらく鍛えられたほうがいいのではないか。何を持っていっても、次は〇〇を食べたいと言い(それぐらい許してやれよというご意見もあるでしょう)、一つ何かを直したら、次はあれを直してくれと言う。もう終わりがないのだ。終わりがなくても許すことができるのは、犬だけなんだ(延々とボールを投げてやることができるという意味で)。

2025/05/08 木曜日

『兄の終い』の映画化の情報が解禁になったからだろう(タイトル『兄を持ち運べるサイズに』)、いろいろなところから連絡が入る。同級生からもぽつりぽつりと連絡が入る。みんな元気そうだし、学生のころとまったく変わらない姿に驚いたりする。でも、一番驚きなのは、孫がいる人が徐々に増えている点だ。私には到底理解できない境地ではあるが、孫というのは本当にかわいいらしい。彼女たちの目の前に、孫宇宙が広がっているのがわかる。人生というのはこういうことなのだろうなと、思ったりする。

2025/05/09 金曜日

犬にしか読むことができない新聞が、路上にあるらしい。犬が路上でひとしきりクンクンやっているのは、人間には読むことができない犬新聞を読んでいるかららしい。今日もテオは熱心に読んでいた。何か気になることがあったのだろうか。ずいぶん長時間、読んでいたような気がする。

午後になり、武士のように険しい顔で、夫が両親に会いに行っていた。めちゃおもろかった。

2025/05/10 土曜日

テオを連れて長い散歩に出た。ゴールデン・レトリバーという犬種は素晴らしいと改めて思う。テオはリードに決してテンションをかけずに、私の真横をピタリと歩く。何度も私を見上げては、確認している。もちろん、何か面白いものを見つけたら先に行くことはあるが、乱暴に引っぱったりはしない。しかし、あの破壊屋ハリーはどうだった? あの子は渾身の力で人間を振り回し、平気な顔をしていた。そんな嵐の2年程度が過ぎ去ると、嘘のように温厚で美しい犬になった。そして7年で私の前から姿を消した。

2025/05/11 日曜日

母の日。小学生のとき、母の日に実母に送ったブレスレットが、母の葬儀の日、母のタンスの引き出しに入った小箱から出てきた。一緒にその小箱を開けたのは兄で、箱の隅に入っていた指輪を目ざとく見つけて、「これは俺がもらう」と言って瞬く間に持ち去った。

なんでも記憶している妹を持つと、その死に関しても、普段の行いに関しても、文字にされてしまう兄。でも兄ちゃん、私はお互い様だと思っているよ。

2025/05/12 月曜日

朝の六時にヒュロロロ〜という音で固定電話が鳴った。義父からの連絡はすぐにわかる。着信音を尺八に設定しているからだ。

2025/05/13 火曜日

『兄の終い』がタイ語になったという連絡があってしばらく経過したが、今日、Xでその表紙を確認した。タイの人たちにも読んでもらえるなんて! 映画も世界で見てもらえるといいな。オダギリジョーさんもかっこよかったが、柴咲コウさん、満島ひかりさん、その他出演者のみなさんがすごくよかったのだ。本当にありがたいことです。大ヒットしないかな。きっとするよ、大ヒット!

2025/05/14 水曜日

息子が二人とも美容男子で、化粧水やらシャンプーやら、山ほど買っている様子だ。基本的なコスメグッズは持っているようで、日に焼けないように私よりも厳重にUV対策をしている彼らを見ると、時代は変わったと思う。特に眉毛には力をいれており、先日も眉毛サロンの予約をしていた。母さんも行ったほうがいいよと言っていたが、母さんはその時間があるなら、翻訳をしたいですね。眉よりも文字数です。

2025/05/15 木曜日

翻訳中の書籍にフィッツジェラルドの『華麗なるギャツビー』からの引用がある。しかしギャツビーほど邦訳が多い作品もない。野崎、小川、村上訳が有名どころだとは思うけれど、さて、どの人の文章を参考にしよう。どの人の訳も素晴らしいとは思うが、こういうときは一応悩む。『華麗なるギャツビー』は若い頃読んだのだが、良さがあまりわからなかった一冊だ。年齢を重ねると面白くなる作品というのはあるのだが、ギャツビーはどうだろう。ちなみに『ライ麦畑でつかまえて』もよくわからず、そのキャッチーなタイトルだけが深く心に刻まれて今に至る。

著者プロフィール
村井理子

翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。
主な著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術
』(CCCメディアハウス)、『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』『ハリー、大きな幸せ』『家族』(亜紀書房)、『村井さんちの生活』(新潮社)、 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)、『更年期障害だと思ってたら重病だった話』(中央公論新社)など。
主な訳書に『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』など。