自分も子育てでいろいろ悩みながら、子どもの問題について親のカウンセリングを長年続けてきました。また、地域の診療所で外来診察や訪問診療も担当しています。育児の悩みや家庭でのコミュニケーション、そのほか臨床の現場で出会ったこと、考えたことなどを書いてみます。
ゼッケンは毎年、つけ替えること
学校には独特の文化があり、いろいろなきまりもその文化のひとつですね。あいかわらずネットでは「意味不明の校則」などの記事を見かけます。そういう無用としか思えない決まりに振り回されることが、子どもや保護者を疲弊させます。実は先生だって疲弊しているはずです。それでも、なかなか「楽なほうに」「簡単なほうに」、それらのしきたりが改まっていかないのはなぜなのでしょう。
なんでこんなことをせんとあかんねん!
同僚のAさんの子どもが通う小学校では、体操服に毎年ゼッケンを縫いつけなければならない。「2−3」のように学年とクラスを書いたゼッケンである。裁縫が苦手だという彼女はそれがとても面倒で、嫌になるのだという。「なんでこんな無意味なことをせんとあかんねん!」と彼女が職場で愚痴っていた。関西弁なので、結構きつい響きである。
ゼッケンを縫いつけるのは、以前は毎回おばあちゃん(夫の母親)に頼んでいたらしい。「そんなんぐらい自分でしたらええやん」と誰かが言うと、「私は裁縫がきらいなんや!」と、Aさんがきつめに言い返していた。ちなみに最近は両面テープで貼りつけているそうだ。
体操服に学年とクラスを書いたゼッケンをつける必要は、体育の授業をするうえでは、ない。だから、毎年のように、何人もの保護者が学校にゼッケン制度の廃止を頼んできたそうだが、なぜか一向に改められることなくずっと続いているそうだ。
Aさんいわく、1学年は3クラスあって、娘さんはずっと1組だった。1年生から2年生になったときにはマジックで「1−1」を「2−1」に修正した。「それは、そんなに無理なくできてん」とAさん(いや、無理あるやろ…とツッコミが入っていた)。しかし、2年1組から3年1組なったときには、1から修正された2を、さらに書き換えて3にしたので、上半分がかなり大きい3になってしまったそうだ。(子どももつらかったろうなぁ。)
そして4年生になった。もう体操服も小さくなったので、買い換える時期でもあるのだが、まだ何とかいけるだろうということで、ゼッケンをはずして、体操服に直接「4-2」と書いたそうだ。
その決まりは本当に必要?
子どもがたくさんいる場合など、親のやらなければならないことは、次から次に出てきます。子どもが小学生だったころ、薄茶色い学校からのお手紙をもらってくるたびに、次は何をしなければいけないの?と、私も毎回気持ちが沈んだものです。
Aさんがゼッケンの話をするのを聞きながら、私はそのとき読んでいた朴沙羅さんの『ヘルシンキ 生活の練習』に書かれていたことを思い出していました。朴さんの娘さんの小学校の先生、マリア先生の言葉です。
私が「いやあ、話には聞いていたけど、ほんとまじ全然勉強しないんっすね! 日本だと就学前教育の年齢の子どもが平仮名と片仮名と漢字八〇文字を勉強して、足し算と引き算ぐらいやってますよ。こっちの小学校は昼までしか授業ないし、ユキは「遊びしかやってない」って言ってますし。びっくりっすわー、ハハハハハー!」と言ったところ、マリア先生は例によってとても真面目に「子どもの仕事は遊ぶことなのです」と答えた。
『ヘルシンキ 生活の練習』 朴沙羅 (筑摩書房)253-254ページ
「子どもが望まない技術を強制的に身につけさせるのはときとして要求が高すぎて、大人の満足にのみ結びつく危険があります」
「遊びを通して学ぶほうが、学ぶと思って学ぶことより身につくときがあると私はたちは考えています」
「アカデミックな技術であれそれ以外の技術であれ、六歳や七歳の子どもを長時間座らせて一方的に教え込むのは、害のほうが大きいかもしれません」
「子どもの情熱を持っていく場を大人が見つけるのではなく、子どもが遊ぶなかで自分で見つけられればいいし、見つけられなくともそれでいいではありませんか。幼いうちに何かを強制されて「これは嫌だ」と思うのは悲しいことです」
「小学校三年生(=日本で言うと一〇歳前後)くらいまでは、他の人と一緒に過ごす技術social skill、毎日の生活を自分で整える技術daily routine skill、遊ぶ技術playing skillを可能なかぎり数多く練習するのが大切です」
……等々と諭されてしまった。
フィンランドのように、小学校低学年の間は、子どもはとにかく学校に来さえすればそれでOKという姿勢で、学校が子どもを受け入れてくれたらどんなにいいでしょうね。保護者のストレスはかなり少なくなるでしょう。この本のほかの箇所では、「朝ごはんも食べさせなくていい。着替えもパジャマじゃなければいい。ただ学校に来られたらいい」と言われたことが書かれていました。子どもに対して学校は「どうぞ来てください」という姿勢なんですよね。もちろん制服はないし、既定の体操服もないとのこと。ましてゼッケンなんて。
日本は違います。こんなに不登校が増えても、こんなに少子化になっても、言い方は悪いのだけれど、お上の言うことは聞くものですよ、と言わんばかりに、役割のわからない体操服のゼッケンを毎年つけ替えさせるような、面倒なしきたりすら変えてはくれない。文句ばかりを書くのは本意ではないけれど、こういうところで書いておかないと、今でもそんなことが行われているということを、まったく知らない人もいると思うので書きました。
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第1回小言を言わないということ
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第2回鼻血の教訓
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第3回誰が息子に現実を教えてくれるのですか
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第4回子どもを本当に励ます言葉
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第5回今のままではダメなんですか?
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第6回乾燥機は使わないで
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第7回ある幸福な一日
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第8回吹雪の中を
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第9回この子はどんな形の木になるのだろう
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第10回鼻クソを拭かせてください
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第11回徳島で一番の蕎麦
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第12回迷ったり悩んだりするあなたを信じます
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第13回なぜ子どもが話をしてくれないのか
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第14回孫もワンオペ
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第15回誰の気持ちが中心になっていますか?
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第16回これだってすごくジェンダーな状況だよ!
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第17回お父さん!お母さん!キャンプに行きませんか?
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第18回規則正しい生活
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第19回子どもの成長を尊いと感じること
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第20回とうちゃんのようになりたいと思います
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第21回娘が家にお金を入れない
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第22回お父さんをどうしたらいいでしょう?
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第23回結果ばかりにこだわる子ども
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第24回山空海温泉のこと
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第25回子どもの機嫌をとることへの罪悪感
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第26回ごはん一杯おかわりするならゲーム15分
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第27回理由も聞かずに味方になる
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第28回いわゆるゼロ日婚約の知らせ
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第29回子どもを叱るとき暴力はダメ
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第30回「豚の珍味出てる」というLINE
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第31回ゼッケンは毎年、つけ替えること
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第32回反抗期を長引かせる方法
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第33回この不幸を手放したくない?
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第34回あえて甘えさせるという育児のぜいたく
1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。京都大学医学部卒業。文学博士(心理学)。4人の男の子の父親。
現在は、奈良県・佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事する。20年以上にわたって不登校やひきこもりなどの子どもの問題について、親の相談を受け続けている。
著書に『子どもを信じること』(さいはて社)、『子どもが幸せになることば』(ダイヤモンド社)、『去られるためにそこにいる』(日本評論社)、『子どもの不登校に向きあうとき、おとなが大切にしたいこと』(びーんずネット)がある。