子育てに迷う

もくじ
この連載について

自分も子育てでいろいろ悩みながら、子どもの問題について親のカウンセリングを長年続けてきました。また、地域の診療所で外来診察や訪問診療も担当しています。育児の悩みや家庭でのコミュニケーション、そのほか臨床の現場で出会ったこと、考えたことなどを書いてみます。

第38回

あけましておはよう

2025年1月17日掲載

末っ子が5歳のときの正月元旦のことです。いつものように彼がいちばん後に起きて階段を下りてきました。食卓につくと、みなの顔を見渡してから、「あけましておはよう」とすこし小さな声で言いました。ちょっと自信がないような、でもなにか誇らしいような、独特の表情でした。妻や私、兄たちもみな「おはよう!」「おめでとう!」と彼に声をかけて、一気に新年になったような、明るい華やかな空気になりました。お正月には、いつもと違うあいさつをするのだ、ということを理解して、今日がその日だと、朝起きたときに彼は思いついたのでしょう。そして、勇気をだして口に出してみたようでした。

もちろん、末っ子も、毎年正月を経験していますので、「あけましておめでとう」のあいさつも何度も言ってきたはずです。しかし、それは家族から言われたのと同じ言葉を、なにも思わずに返していただけだったのでしょう。それが新年のあいさつだということは、彼はわかっていなかったはずです。そして、年齢が上がって、季節やカレンダーの知識が増えてきた。お正月には、この言葉を使うみたいだな、とある程度わかったうえで、はじめて口に出してみた。「あけまして」は合っていたけれど、その下は「おはよう」になってしまった。でも、それがかえって新鮮でした。家族のみなも同じように感じたようでした。お正月ということや、みんなの特別な雰囲気を、末っ子も幼いなりにしっかりと感じているらしいことが、よく伝わってきました。「おはようじゃなくて、おめでとうやろ」と訂正するようなことは、兄たちの誰もしませんでした。弟が彼なりに考えて発した大切な言葉へのリスペクトをみなが持ったようでした。それはなかなか素敵な雰囲気で、子どもというのは、こんなにも言葉を大切にするのだなぁと、しみじみと感じた出来事でした。元旦にはいつも思い出します。

そのころ、こんなこともありました。私の弟の家に末っ子と私で遊びに行ったときのこと。末っ子は、従姉たちとゲームをしていました。私は弟夫婦といろいろ話をしていました。しばらくして、末っ子が私のところに近づいてきて、ヒソヒソ声でたずねました。「ねえ、〇〇(弟の奥さんのニックネーム)は父さんの妹?」
私たちが話をしているなかで、弟の奥さんが私のことを「お義兄さん」と呼んでいたのを、少し離れた所から彼は聞いていました。父さんには弟はいる。でも妹はいなかったはずじゃないか。〇〇は言葉の使い方を間違えているんじゃないのか? 女の人が「お兄さん」と呼びかけるときは、その女の人はその男の人の「妹」なんじゃないの? などなど。彼は不思議に感じたのでしょう。

そして、ここがとても面白いと私は思ったのですが、この謎は相手の前で大きな声でたずねることではないようだと彼なりに感じ、だから、自然と声が小さくなった。間違えたら恥ずかしいとか、そんなこと知らないの?と言われたらどうしようとか、そういう感覚ももちろんあったのでしょう。しかし、それに加えて、兄とか、妹とか、そういう大切なことなのに、自分が知らなくて大人たちが知っている特別な仕組みがありそうだと、彼は子どもなりに感じた。それは、なんというか「おそれ」のようなものではないかと思いました。自分も幼いころに、同じような場面で、大人たちの話に疑問を感じたけれど、いつものように「なんで?」とは聞きにくいと感じたことが、何度もあったことを思い出しました。

時候のあいさつや儀礼、しきたり。そして家族の呼び方のシステムなど。そういうことに対して、幼い子どもが感じる疑問や違和感。「これは何かがあるな」と気がつくこと。そうやって子どもが世の中に出会っていく場面に立ち会えることは、親の醍醐味のひとつだと思います。

もくじ
著者プロフィール
田中茂樹

1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。京都大学医学部卒業。文学博士(心理学)。4人の男の子の父親。
現在は、奈良県・佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事する。20年以上にわたって不登校やひきこもりなどの子どもの問題について、親の相談を受け続けている。
著書に『子どもを信じること』(さいはて社)、『子どもが幸せになることば』(ダイヤモンド社)、『去られるためにそこにいる』(日本評論社)、『子どもの不登校に向きあうとき、おとなが大切にしたいこと』(びーんずネット)がある。