老いのレッスン

この連載について

「高齢化」が社会問題として語られるようになって久しい現在。約3割が65歳以上の高齢者で占められる日本は今後ますます高齢化が進むと予測され、若者の社会保障の負担増や経済の衰退など、数々の課題が声高に叫ばれています。
また、男女ともに平均寿命が80歳を超える現代では個人が「老い」とどのように向き合うかも重大な課題となっています。
社会全体の「老い」、そして個人の「老い」と、人類が経験したことのないフェーズに進み続けています。
先の見えない時代だからこそ、社会と個人の両面から「老い」とはなにかを考え、どのように老いと向き合っていけばよいかを思想家と武道家の2つの顔をもつ内田樹氏と模索していきます。

第5回

「中年の危機」の乗り越え方

2024年8月29日掲載

〈担当編集者より〉

 内田先生、こんにちは。

 第4回のお返事も大変楽しく拝読しました。誠にありがとうございました。

 先生のお家のお墓が2か所あり、ご自身には縁のない土地にあるお墓を守ることになったというお話、非常におもしろいですね。いまは墓守の役割を押し付け合い、墓じまいをする家が増えてきたと耳にするのですが、「お参り」がなぜ長く人々に受け入れられ、行われてきたか、よくよく考えなければならないと感じました。

 それから、生物学的な死の前後27年かけてゆっくり死ぬというお話、とても心強い考え方だと思いました。少々子どもっぽいかもしれませんが、私は死ぬのが本当に怖いと思っていて、先生が書かれている、まさに「自分の死について考えない、考えたくないという人」です。先生のおっしゃるような生と死が地続きで、緩やかなものだというイメージをもつと、なんだかその不気味さや空虚さが和らぐような気がしました。

 さて、ここまで先生と「老い」をテーマにやりとりさせていただいていると、先生の達観された死生観に圧倒されます。

 そんな先生に質問なのですが、これまでに人生を振り返り、「自分の人生はこれでよいのか」と不安を感じたり、焦ったりした時期はありましたでしょうか。

 というのも、近年「ミッドライフ・クライシス(中年の危機)」という言葉をよく耳にします。「第二の思春期」とも呼ばれる、主に30代半ば~50代が陥るメンタル不調で、半数以上の人が経験するとも言われるようです。

 仕事で自分の実力や限界が見えてきたり、子育てがひと段落したりして、憂鬱さや無気力感を覚えてしまうというメンタル不調のようです。

 もし同様の不調に陥ったご経験がおありでしたら、ぜひその乗り越え方を教えていただきたいです。あるいは、そのような焦りや不安を感じたことがないとしたら、それはなぜなのでしょうか。

 また、半数の人がミッドライフ・クライシスに直面するとのこと、それ自体に焦りや不安を感じてしまいます。そもそも「老いるとはそういうもの」なのでしょうか。あるいは、半数の人がそういった危機に陥るのは「異常」な状況なのでしょうか。

 先生のお考えをぜひお聞かせください。

 こんにちは。

 今回は「中年の危機」についてですね。

 これはたぶん誰にでも訪れるものだと思います。だから、別にそれほど心配するには及びません。でも、対処の仕方にはいろいろ出来不出来がありそうです。その話をします。

 ふつうの健康状態の人であれば、体力というのは子どもの頃からかなり長期にわたって「右肩上がり」で向上してゆきます。定期的に運動する習慣を失うと、20代から体力は衰え始めますが、ふつうの人はときどきお腹の脂肪をつまんでみたり、信号を渡る時に息切れがしたりすると、「おっとこうしちゃいられない」と散歩をしてみたり、ジムに通ったりしますので、劇的な体力低下ということは、なかなか起きません。

 でも、「それまで何の努力もなしにできたことができなくなる」という日が誰にも必ず訪れます。それまで持てたものが持てない、それまで越えられた塀が越えられない、それまで回せた瓶のふたが回せない……これには例外がありません。これはかなり衝撃的な経験です。「努力すれば、何とかなる」というのは経験則としてはそれまではたいていの場合妥当してきたのが、それが妥当しなくなるんです。

 自分の無能力や機能不全を受け容れて、それと「折り合う」ことができるためには「人間というもの」についてのかなり深い洞察が必要です。そして、若い頃から、老人たちの書いたものをこまめに読んできて、想像的に「疑似的老人」になったことのある人なら「初めての経験だけれど、微妙に既視感がある」というかたちでこの衝撃を受け止めることができるかも知れません。

 でも、ふつうの人は若い時から「疑似的に老人になってみる」という想像力の使い方をしません。だいたい周りの誰もそんなことを勧めないし。でも、これはやっぱりかなり重要な教養だと思います。

 前の方で漱石の号の由来についてちょっと書きましたけれど、明治時代くらいまでの知識人青年たちは「老人のふりをする」という風儀をそれなりに伝えていたようです。そういう知的伝統があった。どうして「そんなこと」をしなきゃならないのか、よくわかりませんが、賢そうな先人たちがそういう技巧をなかなか鮮やかに駆使していたのを見て「かっこいいなあ」と思ったのかも知れません。

 たしかに、若いくせに妙に老成したことを書くのってかなり知識と技術が要ることはたしかです。僕が日本の「疑似老人」の鑑だと思っているのは幕末の儒者の成島柳北(なるしまりゅうほく)という人です。僕がくらくらっとなるくらいですから、柳北をモデルにして「爺いのふり」をした青年たちは明治時代には山ほどいたんじゃないかと思います。

 柳北は幕府の奥儒者の家系に連なる人で、柳北自身も若くして将軍の侍講となりました。柳北はあまりに頭がよくて、かつ歯に衣着せぬ人だったので、将軍家茂の教育に当たって言いたい放題のことを言ったので(「今の三百諸侯などいざと言う時には何の役にも立ちません」とか)、閉門を言いつけられました。蟄居中に英学を修めた柳北は外交通として再び幕末風雲の中登用されて、フランス式の兵式調練を指揮し、続いて外国奉行となり、参政として会計の副総裁に任じられました。そして、慶喜の大政奉還に合わせてすべての職を辞して家督を養子に譲り、三十二歳で隠居の身となりました。

「是より後のなりゆきは、乞丐(こつがい)となるか、王侯となるか、草野に餓死するか、極楽浄土に生るゝかもはかり難し」という先行きの見えない身となりました。でも、徳川家への恩義は忘れない。「われ歴世鴻恩をうけし主君に骸骨を乞ひ、病懶(びょうらん)の極、真に天地間無用の人となれり、故に世間有用の事を為すを好まず」という柳北の「無用の人」たらんとする決意は武士の覚悟に発するものでした。

 柳北はのちに請われて新たに創刊された朝野新聞の社長となりましたが、別に慨世の健筆を揮うわけではない。ただひたすら雑録に「無用の文」を書き連ねました。でも、読者たちは柳北の膨大な知識を踏まえたどうでもいい話を読むために新聞を争って購読したのでした。それでも苛烈な新聞紙条例によって朝野新聞も発禁処分を受け、柳北も百二十日入獄することになりましたが、獄にあって人々が興奮したり落胆したりする中にあって、柳北ひとりは平素とまったく変わらず飄々淡々と日々を送り、その修養の深さを示したのでした。

 三十歳そこそこで「天地間無用の人」を称し、「世間有用の事を為すを好まず」ときっぱり言い切るというのは、能く俗人のなしうることではありません。柳北ほど出処進退の鮮やかだった人は気骨ある明治人のうちでもかなり珍しいと思います。

 どうして柳北の話なんか始めたかというと、僕は1980年代に森銑三の『明治人物閑話』という本を読んで柳北のことを知り、この人の書くものを読みたいと思ったことがあったからです。僕もその頃はまだ30代で、レヴィナス哲学とフランスの反ユダヤ主義の研究というまるっきり社会的有用性のない研究をしていたところなので、柳北の「世間有用の事を為すを好まず」にがつんとやられたのでした。1980年代と言えば、バブル経済のまっさかり、出版業界は「ニューアカ」ブームで沸きに沸いて時節ですから、その時代に幕末明治のものをむさぼり読むというのはずいぶん反時代的なふるまいだったと思います。でも、「反時代的である」というのは「疑似的老人」であるためには必須のマナーなんです。

 老人の衰えとか不能感とか屈託というのはなかなか想像的に追体験できませんけれども、「反時代性」は若者でもわりと簡単に模倣できます。当世を「軽佻浮薄」と見下して、「昔はよかった(知らないくせに)」と慨嘆する……というのは、疑似老人の定型なんです(吉田兼好がまさにそうでした)。

『徒然草』の書法にはあまりなじめなかった内田ですが、成島柳北は「かっこいい~」と素直に感嘆しました。同じ頃に福澤諭吉や勝海舟や永井荷風のものをこまめに読んだのも、「隠居の書法」というものを会得するための「老いのレッスン」の初級編だったのだと思います。そう考えると、僕はずいぶんと若い頃から「老いのレッスン」に励んできたわけですね。知らなかった。

 その頃はどうして「こんなもの」ばかり読んでいるのか自分でもよくわかりませんでしたけれども、それから40年経って考えるとわかります。周りに「老人のふりをしてみる」人なんか誰もいなかったし、勧める人もいなかったのですが、何となく「こういう作業は大人になるためには必要だ」と思ったのでした。

 話が例のごとくあらぬ彼方に逸脱しましたけれども、お題は「中年の危機」でしたね。「中年の危機」というのは、それまで一度も経験したことのない「衰え」というものに直面して対処に窮して混乱することだと思います。

 ふつうの人はこの「衰え」を「外部から侵入してきた『悪いもの』」の効果だというふうにとらえます。病気の比喩をあてはめてしまうんです。

 たしかにこれは病気と「戦う」ためには有効な設定です。病気の場合、医者から「これはね、あなたの生活習慣がもたらした結果なんだよ。病気の原因はあなた自身なの。わかる? 自業自得なの。これは『問題』じゃなくて、『答え』なんだよ」なんて言われたら、治る病気も治りませんよね(たとえその指摘がまことに正しくても)。

 よい医者は、どんな病気でも、そんなふうに自己責任なんか追及しません。病気がまるで(台風や地震のような)自然災害であるかのように、思いがけなく外部から到来したものであって、患者には何の責任もないというストーリーに落とし込みます。決して患者を責めない。

 患者だって、病気になっただけでも相当落ち込んでいるのに、そこに追い打ちをかけるように「自業自得だ」って言われたら、自己治癒力もぐいぐい低下してしまいます。だから、賢い医者は自己治癒力を最大化するような「お話」のうちに患者を拉致し去ります。それは「医者と患者が協力して、悪い病魔と闘う」というストーリーです。これはたしかに有効なんです。

 でも、困ったことがあります。これは「回復する病気」については有効なんですけれど、「老い」については効果がないんです。効果がないどころかむしろ積極的に有害であると言ってよいと思います。

 でも、「老いによる衰え」を「外部から悪しきものが侵入してきたせいで起きた病態」というふうにとらえると、これはかなり危険な展開になります。

 だって、「老い」は不可逆的に進行するプロセスなわけですからね。「老いが治って若くなる」ということは絶対に起きないんです(秦の始皇帝が不老不死の秘薬を求めて徐福を蓬莱山に派遣しましたけれど、徐福は行方不明)。

「老い」は「回復」しないんです。できるのは、その進行のスピードを遅らせることだけです。遅らせることで時間を稼いで、その時間を使って「老い」と折り合って行く手立てを考案する。それだけです。老いとは「折り合う」ことしかできません。老いを「治療」の対象だと考えてはいけません。「老い」を「病」と同カテゴリーのものと考えると、エンドレスの苦役になります。

「折り合う」ためには、「老い」にも言い分があり、立場があり、「老いたくない自分」にも言い分があり、立場があるということを認めるしかありません。両方の言い分をそれぞれ聞いて、それぞれの立場を配慮した上で、「どうですここは一つナカとって」という妥協策を講じる。それが「折り合う」ということです。どうしても「老いの身になってみる」必要があります。相手の言い分やお立場がわからなければ、「ナカ」の取りようがありませんからね。

 でも、「エバーグリーン」とか「生涯現役」とかうわずったことを言っている人たちは、そもそも初めから「老いの身になってみる」という気がありません。完全に敵対関係です。「老い」を認めない。「老い」を許さない。「老い」を撃滅する。

 でも、相手は自分自身の老いですからね。そんなことができるわけがない。

 ですから、早い時期から「老いに備える」必要があります。「老いに備える」というのは、想像力を発揮して「老いの身になってみる」訓練をすることです。そうすれば「老い」を自分の内側に取り込むことができます。想像的に先取りされた「老い」のためのスペースを自分の内側に用意しておいて、そこでほんとうの「老い」が到来するまで、暮らして頂いて、だんだん周囲となじんでもらう。

 前にも書いたように、自我というのは「アパートみたいなもの」だと僕は思っています。いろいろな自分がそこに暮らしている。子どもの時の自分も、青年期の自分も、おっさんになった自分も、病み衰えた自分も、そこに暮らしている。攻撃的な自分も、穏やかな自分も、利己的な自分も、親切な自分も、男らしい自分も、母性豊かな自分も、幼児的な自分も、成熟した自分も、みんな部屋を並べて暮らしている。そんな「アパート」です。誰か一人が「ほんとうの自分」で、あとは克服すべき「未完成形」であったり「不良品」であったり「劣化コピー」であったりするわけではありません。全部、等しく自分なんです。

 だから、自分が何か重大なことについて判断し、決定的な行動をするときには、この「アパート」で住民会議を開くことになります。いろいろと意見が出ます。深刻な対立が生じることもある。でも、まあだいたいみんな同じくらいに不満なところが「おとしどころ」になります。民主主義ってそういうものですからね。満場一致ということはまずない。「絶対こっちが正しい」という方が多数を制して、「それだけは絶対にやだ」という少数派が涙を呑むというようなことがあっては困る。みんなが同じように片づかない顔をして「まあ、その辺が『落としどころ』だわな」と眉根にしわを寄せて腕を組む…というのが民主政におけるものごとの「よい決まり方」です。うちの「アパート」でも、だいたいそうです。

 この住民会議には「想像的に先取りされた内田樹老人」がずいぶん前からメンバーとして参加しています。この老ウチダは原理主義的な物言いをする若いウチダたちに対して、「まあ、そう熱くなりなさんな。世の中はそうそう理屈通りには行かないものじゃて。どうですここは一つ老人の顔を立ててですな……」というような「老人言葉(こんなの誰が使うんでしょうね、ほんとに)」でにこにこ説教をして、「落としどころ」への導きにおいては、なかなか効果的な役割を果たしてきております。

 自分はまだ老人ではないのに、「想像上の老ウチダ」を住民会議に参加してもらうことによって、なかなか渋い、味のある判断を下してきたこともあります。実年齢の内田樹でしたら容易には下せないような決断を「老ウチダ」の忠言に従って下したこともあります。とても助かるんです。

 若い時から「老人のふりをする」というのは別に衒学的であることでもないし、韜晦趣味でもありません。もっともっとずっと実利的なことなんです。それは想像力の訓練でもあるし、民主主義の訓練でもあるし、「他者と共生すること」の訓練でもあります。

 僕が「自分らしさ」というものをありがたがる風潮に対して一貫して懐疑的なのは、「自分らしい人」って、「一軒家に一人で住んでいる人」だと思うからです。たしかに、一軒家に一人で暮らしていれば、合議は必要ありません。今夜のご飯は何にするかとか、トイレ掃除は誰の当番だとか、冷蔵庫にしまっておいたオレのプリン食ったのは誰だとか、そういう話はなくて済みます。ずいぶんと気楽ですよね。

 でも、それって、ある日「もっと自分らしい自分」が登場してきたら、家を明け渡さなければならないということですよね。ですよね? だって、「ほんとうの自分」だけが住む家なんですから。でも、人間はさまざまな経験を積んで、どんどん変わってゆきます。その場合、「自分では親切な人だと思っていたけれど、けっこう邪悪だったわ、私」とか「豪胆だと思っていたけれど、実は腰抜けだったオレ」とかいうこと頻繁に起こりますよね。その場合、どうするんでしょう。「邪悪な私」とか「腰抜けなオレ」が新しい「ほんとうの自分」の一軒家の主人になるんでしょうか。それとも、そんな変な自分は「自分じゃない」からと言って「入って来るな」と押し出すんでしょうか。

 本当の自分が単体で存在すると考えると、こういう難問に遭遇します。「自分が変わる」ということについて強い抑圧が働く。でも、それって「成熟することを拒否する」ということですよね。

 成熟するというのは、自分の中に幾重にも層があって、複数の声が輻輳しているような、厚みと奥行きのある人格を創り上げることです。だから、「自分らしさ」にこだわることと「成熟すること」は食い合わせが悪いんです。

 成熟するためには、「ほんとうの自分」が一人で暮らしている一軒家に住むより、「いろいろな自分(その中には「かつて自分であった自分」だけじゃなくて、「まだ自分であったことがない自分」も含まれています)が共生している「アパート」でごちゃごちゃわいわい暮らしている方がいいと思いませんか。その方が人間についての理解は深まるし、意見が違う人たちとの合意形成や、理解も共感も絶した他者との共生のための基礎訓練にもなる。僕はそう思いますけどね。

「老いた自分」はその「アパート」のたいせつなメンバーです。そう思って、できるだけ早い時期から住民登録しておく。そうしておけば、「中年の危機」が訪れた時に、実年齢の自分が困り果てても、「まあ、そんな心配することはないよ。わしにも覚えがあるけれどね、あれはなかなかハードな経験だけれど、時間をかければ、だんだんなじむものだから」と肩に手を置いて慰めてくれる(かも知れません)。

 とわかったようなことを言っておりますけれど、僕自身は41歳の時にかなりシリアスな「うつ病」に罹りました。半年近く精神科に通って、睡眠薬や抗うつ剤を処方してもらいました。これは半分以上は「過労」のせいです。39歳の時に離婚して、六歳児を抱えた父子家庭になり、仕事と育児に疲れ切ったところに、神戸女学院大学への赴任が決まり、住んだことがなく、友だちの一人もいない関西で家を探して、引っ越しをして、仕事にもちょっとずつ慣れて、ようやく落ち着いた時に、それまで無理やり抑え込んでいた2年間の疲れが一気に噴き出して、心身ともにがたがたになりました。

 これはまさに「中年の危機」だったと思います。自分には「できる」と思って抱え込んだ仕事の量が体力精神力をはるかに超えていたせいで身体を壊したわけですから。もっと早くに能力の限界について、「これ以上仕事抱え込んだら、倒れちゃうから、この辺でやめとこ」という危機感を持っておくべきでした。でも、それができなかったんですよね。僕がここで倒れたら万事休すという綱渡り的な日々が2年続いて、ようやく「ここまでくれば、もう倒れても大丈夫」という見切りがついたところで発症した。これは仕方がないですよね。もう少し手前で、せめて1年前に「無理にでも休む」ということをしていれば、あれほどシリアスな病態にはならなかったと思います。結果的には小学校低学年だった娘にもずいぶん心配をかけてしまったのですから、「老い」の自覚が足りませんでした。

 80年代から「老いの準備」を始めていたつもりの僕でもこんな具合ですから、その備えがない人たちはたいへんだと思います。

 とにかく早めに「老い」を自分の設定に繰り込んでおく方がいろいろな意味で安心です。そのことを声を大にして申し上げたいと思います。はい、今回は以上です。

著者プロフィール
内田樹

1950年東京都生まれ。神戸女学院大学名誉教授、芸術文化観光専門職大学客員教授。東京大学文学部仏文科卒、東京都立大学人文科学研究科博士課程中退。専門はフランス文学・哲学、武道論、教育論。主著に『ためらいの倫理学』、『レヴィナスと愛の現象学』、『寝ながら学べる構造主義』、『先生はえらい』など。第六回小林秀雄賞(『私家版・ユダヤ文化論』)、2010年度新書大賞(『日本辺境論』)、第三回伊丹十三賞を受賞。近著に『街場の米中論』、『勇気論』など。神戸市で武道と哲学研究のための学塾凱風館を主宰。