「高齢化」が社会問題として語られるようになって久しい現在。約3割が65歳以上の高齢者で占められる日本は今後ますます高齢化が進むと予測され、若者の社会保障の負担増や経済の衰退など、数々の課題が声高に叫ばれています。
また、男女ともに平均寿命が80歳を超える現代では個人が「老い」とどのように向き合うかも重大な課題となっています。
社会全体の「老い」、そして個人の「老い」と、人類が経験したことのないフェーズに進み続けています。
先の見えない時代だからこそ、社会と個人の両面から「老い」とはなにかを考え、どのように老いと向き合っていけばよいかを思想家と武道家の2つの顔をもつ内田樹氏と模索していきます。
後輩に指導するときに、なによりも大切なこと
〈担当編集者より〉
内田先生、こんにちは。
第5回のお返事、誠にありがとうございました。
「中年の危機」の危機は誰にも訪れる可能性があるということで、ますます「老い」の先取りの必要性を感じました。先生ご自身も不調を経験されたことがあったとのこと、大変驚きました。貴重なご経験談をありがとうございました。
このような形で何度かやりとりさせていただいて、現代における「老いのレッスン」の難しさをますます感じています。例えば、お返事に「隠居」というお言葉がありましたが、言葉の意味は知っていても、それがどんな生活なのか具体的なイメージがもてません。子どものころはテレビなどで「隠居」の言葉を聞く機会がまだあり、ドラマでも隠居生活をしている登場人物がいたような記憶がありますが、近年はめっきり見聞きしません。超少子高齢社会の「人生100年時代」においては「老いさせない」圧力がかかっているような気がしてきました。
さて、「老い」から少し離れた話題になってしまうかもしれませんが、ぜひ先生にお伺いしたいことがあります。
それは「自分より歳の若い人との接し方」です。
私自身の話になって恐縮なのですが、30代に入り、歳の若い人たちと一緒に仕事をする機会が増えてきました。ともに学び合い、切磋琢磨していく仲間だと思っていますが、そうはいっても「先輩」的な振る舞いを求められていると感じる場面もあり、難しさを感じることがあります。
例えば、何かを教える場面で偉そうな感じに見えないかな?と気になったり、気づいたことを伝えるときに鬱陶しく思われないかと不安になったりします。遊び仲間であれば、お互いに遠慮なく物を言い合えますが、仕事の付き合いとなると、気を遣って言えないことがたくさんあるだろうなと思って、ますます振る舞い方が分からなくなります。
かといって、過度に気を遣ったような振る舞いをしてしまうと、それはそれでかえって気を遣わせてしまいますし……。
こういった悩みは同世代と話すと「あるある」で、「後輩をする」よりも「先輩をする」ほうがよっぽど技術が要ると感じています。
自分よりも歳の若い人と接するとき、どのようなことに気をつければよいのでしょうか。世代関係なく、ともに学び合う気持ちのよい雰囲気の職場をつくるためには何が必要なのでしょうか。ぜひ教えていただけないでしょうか。
こんにちは。
今回は「老い」から少し離れて、「先輩」としてどう「後輩」に接するか、というお訊ねです。これも長く生きてきたから、さまざまな経験がありますので、それをお話しすることにします。
僕はこのような立場になったときに、あまり思い迷ったことがありません。僕の基本方針はわりとシンプルで「親切にする」ということです。ほとんどそれに尽くされていたと思います。
知識であれ、技術であれ、あまり「教える」ということはしませんでした。どんなことでも基本は「自学自習」ですから、自得してもらうしかないというのが僕の考えです。ですから、こちらの仕事は「自得しやすい環境を作る」ということになります。どういう環境を設定すると、人は学ぶか。これはこれまで刑部さんと本を作ってきた「教育」論とも重なる問いですね。
教育論で僕が語ってきたのは、学びが起動するために子どもが「武装解除」できる環境を整えることのたいせつさでした。「温室」の中にいて、どれほど無防備になっても、決して傷つけられないという保証がない限り、子どもは「自己防衛」の構えを解きません。でも、「自分を守りながら、自分の限界を超えて踏み出す」ということはできないんですよね。これは無理なんです。
身体を硬くして、痛みに対して無感覚になって、何が起きても黙ってやり過ごす…という体制で新しい知識を採り入れたり、新しい作法を会得したりすることはできません。自分を守りながら、自分を刷新するということはできません。できるはずがない。
成長するというのは「自己刷新を遂げる」ということです。「自分を手離す」ということです。「自分を守りながら、自分を手離す」ことはできません。自分を手離してもらうためには、誰かが「自分で自分を守らなくても、大丈夫。私が守ってあげるから」という保証をしてあげなくてはいけません。それが「メンター(先達)」のいちばんたいせつな仕事だと僕は思います。
僕はメンターの一番たいせつな心構えは「親切」だと思います。
僕はこれまで何人かのメンターに就いて修行しましたけれど、最も深い学恩をこうむったのは合気道の多田宏先生と哲学のエマニュエル・レヴィナス先生のお二人です。
お二人の共通点は「とにかく親切」ということでした。
多田先生は古武士のような風貌で、鋭利な刃物のように鍛え抜かれた、挙措に一分の隙もない武道家でしたけれども、僕は一度も先生に叱責されたことがありません。半世紀近くお仕えしてきて、一度もないんです。もちろん、僕は不出来な弟子でしたから、たくさん失敗をしましたし、先生に対してもずいぶん失礼なふるまいをしたことがあったと思います。でも、一度も叱られたことがない。
でも、周りを見渡したら全員そうなんです。誰も叱られたことがない。僕が特別扱いされていたわけじゃなくて、多田先生は弟子を誰一人面罵したり、叱責したりしたことがないのです。
おそらく弟子たちが成長するためには、絶対に萎縮させてはいけないということを多田先生は教える上での基本にされていたと思います。自己肯定感が低い人間がきびしい修行に長く耐えられるはずがない。考えてみれば当たり前のことですよね。
何度も脱皮を繰り返して、そのつどの自分の「居着き」を去って、連続的に自己刷新できるためには、「自分はこの修行を続けられる」という確信がなければならない。そして、その確信を与えてくれるのは何よりも師からの承認です。
自己評価って不安定ですからね。人間はすぐにうぬぼれるし、すぐに落ち込んで自己卑下する。自己評価には安定性がないんです。だから、自己評価を修行の足場にすることはできません(してもいいけど難しい)。それよりは「メンターからの承認」の方がはるかに確実です。自分は「メンターから気遣われ、指導するだけの価値がある人間だと思われている」という自覚ほど心強いものはありません。
だから、メンターは叱らない。
明らかに間違ったことをしたときでも、人前で叱責して、屈辱感を与えるということを多田先生は決してされない。誰かひとりが間違ったことをしている場合でも、個人名でその人を矯正するということはされない。そういう場合は「一般論」を語られる。「合気道について、こういう誤解をする人が時々いる」という言い方で、それをどう修正すべきかを「みんな」に向かって説明される。これはほんとうに効果的な教育法だと思います。だって「みんな」が「先生は自分に向かって言われているのだ」と思うから。「これは自分宛ての個人的なメッセージなのだ。でも、個人名で『違う!』と叱って私に屈辱感を与えてはならないと思って、一般論のかたちで教えてくださっているのだ」と思う。「みんな」がそう思うんです。一人に向かって言うよりはるかに効果的ですよね。そして、全員の前で叱責することを控えてくれた先生のその気づかいに深く感謝する。
「親切であること」が教育上きわめて有効であることを僕が思い知ったのは多田先生のご指導を受けてからです。
エマニュエル・レヴィナス先生もほんとうに親切な方でした。僕が先生に初めてお会いしたのは1987年のことです。その前からレヴィナス先生の訳書を二、三冊出していましたので、それを先生のご自宅にはお送りしていました。だから、「日本に自分の著作を訳しているウチダという若い研究者がいる」ということだけはご存じだった。その細いつながりを当てにパリまで会いに行きました。ホテルの電話帳で番号を調べて、公衆電話からどきどきしながら電話をかけました。「お会いしたいんですけど」と申し上げたら、「土曜日は安息日で来客用に空けてあるから、どうぞおいで」と言ってくださった。
僕が「20世紀で最も偉大な哲学者」だと思っている方にいきなり電話して「会いたい」と言ったら「どうぞ」と言ってくださったんですよ。親切な人だと思いませんか?
16区のアパルトマンにうかがって、外の玄関で呼び鈴を押したらドアが空いて、中に入ったら、部屋の前で笑顔のレヴィナス先生が両手を広げて「いらっしゃい」と迎えて下さった。それからたぶん3~4時間先生のお宅にいたと思います。差し向かいでたくさんお話を伺いました。日本からやってきた若い研究者をこれほど歓待してくださるとは、なんて親切な人なんだろうと思いました。このときに「この人に一生ついてゆこう」と思いました。
でも、そういうふうにすっとレヴィナス先生に「弟子入り」できたのは、僕がその前に多田先生に就いて十数年「弟子修行」ということをしていたからだと思います。多田先生は僕にとって「雛が最初に見た親鳥」です。だから、師に仕えるというのは「これまで多田先生に仕えてきたようにすればいいんだ」と思っていた。
日本人にもレヴィナス研究者はたくさんいますけれど、「レヴィナスの弟子」を自称しているのはたぶん僕一人だと思います。それは別に僕がレヴィナス先生と特別に親しいということでもないし、もちろんレヴィナス哲学を深く理解しているということでもありません。レヴィナス先生のことを「親切なメンター」だと信じ切っているということです。先生は僕を導き、僕を成長させてくれる先達だと信じ切ってるということです。こんなのはもちろん一種の「関係妄想」です。でも、それでいいんです。師弟関係というのは、この関係妄想をレバレッジにして進行するものだからです。
師の学殖について、師の技量について、こちらに十分な知識があり、そこそこのレベルまで達していなければ弟子入りできないということはないんです。修行というのは「先達の背中を見て、その後をついてゆく」というだけのことです。だから、師と弟子の間の「距離」なんて問題にはならないんです。師のめざす方向をめざして自分も歩むだけです。
よく使う喩えをここでも引けば、「京都行きの新幹線」に乗っているなら、修行者は豊橋で息絶えても、三島で息絶えても、品川で息絶えても、「修行した」ということに違いはないわけです。まるっきり初心者に毛が生えた程度のレベルで人生を終えたとしても、それを悔いて「こんなことなら初めから修行なんかしなければよかった」と言うような人間は修行者にはいません。
なんだかご質問の趣旨から脇にそれてしまいましたね。「後輩」にどう指導をしたらよいかというご質問でした。ですから、僕からのお答えは「親切にする」ということです。それで十分だと思います。行くべき方向だけきちんと指示できれば、「具体的に何ができるか」ということには副次的な意味しかありません。行くべき方向がわかっていれば、あとは自学自習してくれるんですから。「先輩」の仕事はその営みを支援することだけです。
僕は自由が丘道場で稽古をしている頃に、よく後輩たちから「内田先輩と組んで稽古していると、自分がうまくなったような気がする」と言われました。うるさく欠点をあげつらうということをせず、よいところをほめてあげたからだと思います。だって、欠点を具体的に指示しても、治らないんですから。ふつうはよけいに硬直して、「うまくやろう」としてぎごちなくなるだけで。それよりは、「ああ今日の稽古は楽しかったなあ。また明日も来よう」と思ってもらう方がいい。稽古は決して裏切りませんから。
仕事の場合でも、結局は場数を踏んで、修羅場を経験し、心がはずむような成功も経験して、知識と技術を自得する以外に上達する道はないんです。だから、「仕事は楽しいなあ。また明日も来るぞ」と思ってくれるように働く環境を整えることが一番効率的だし、一番らくちんだと思います。
僕は凱風館を「日本で一番快適な合気道専用道場」として設計してもらいました。とりあえず物理的に「(うっかりすると)自分の家にいるより、凱風館にいた方が快適」であることを目指しました。夏も冬もエアコン効いてるし、畳は手ざわりがよいし、いい匂いがするし、トイレもシャワーも清潔だし……。だから「また来よう」と思ってもらえることが修行にとってきわめて有効であると思ったからです。
場所として快適であり、かつ人間関係でも快適である。誰も叱らないし、競争も査定もない。ただ、淡々と自分のために修行することができる。そういう場所を整えることが、上達のための捷径であると僕は信じています。40年間人に教える仕事をしてきた結果、僕が得た結論はそれです。
刑部さんが「先輩」としてやるべきことは、「後輩」たちが仕事場を「明日も来たい」と思える楽しい場所にすること。これに尽きると思います。それほど難しい仕事ではないと思いますよ。がんばってください。
1950年東京都生まれ。神戸女学院大学名誉教授、芸術文化観光専門職大学客員教授。東京大学文学部仏文科卒、東京都立大学人文科学研究科博士課程中退。専門はフランス文学・哲学、武道論、教育論。主著に『ためらいの倫理学』、『レヴィナスと愛の現象学』、『寝ながら学べる構造主義』、『先生はえらい』など。第六回小林秀雄賞(『私家版・ユダヤ文化論』)、2010年度新書大賞(『日本辺境論』)、第三回伊丹十三賞を受賞。近著に『街場の米中論』、『勇気論』など。神戸市で武道と哲学研究のための学塾凱風館を主宰。