この世界で恋は地獄

この連載について

そもそも現代という世の中自体が地獄である以上、そこに存在する恋愛であろうと友情であろうと、私たちの人間関係(relationships)は、なんらかの地獄みを帯びている。
新たな価値観を手に入れた私たちの世代は、古い偏見や差別意識から自由になって世界を見ることができる。そんなはずなのに、多様な人間同士の関係性の中にはつねに新しい偏見や束縛が生まれ続けているし、同時に、旧時代的なジェンダーロールやファンタジーにも根強くとらわれてもいる。
生まれた時から絶望的な現実を目の当たりにしている我々の世代は、資本主義思想の害悪と馬鹿らしさに、とっくに気がついている。それでも、強固なシステムの中では「消費」と「生産」の呪縛から逃れることは難しく、我々は人間関係にまでも「利益」と「ステータス」を求めてしまう。こんな世界で、恋愛や友情以外にすがれるものなど私たちにはない。だが同時に、この世界で、それらさえもはや地獄だ。

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「普通に結婚したい」という言葉の呪縛

2023年9月27日掲載

「将来の夢はお嫁さん」という日本語のフレーズに対して、子供の頃から違和感を抱いていた強烈な記憶がある。

その「夢」は、華やかな結婚式で、自分を愛してくれる家族や友人に囲まれながら、綺麗なドレスとメイクをして好きな人と誓いを…というファンタジー的なシナリオを理想として掲げているものなのか。そしてその「お嫁さん」という職業は、「主婦」とイコール関係で結ばれていて、その鉤括弧の中には生まれてくる子供にとっての「母」、ないしは夫にとっての「妻」という役割が含まれているものなのかーー。

何しろアメリカには「お嫁さん」という日本語に値する概念は存在しないので、子供ながらに悶々としていた。今もなお、社会に存在するいびつな結婚観の末にある言葉の用法だと感じ続けている。

そして最近になって直面したのが、この「お嫁さんになりたい」という、子供が抱くようなファンタジーな願望を抱えている人が、大人になっても数多くいるという現実だ。

現代の日本では、結婚をせずに独身で暮らす選択をとる人、パートナーと生活を共にしていても結婚はしない人、同性パートナーで結婚ができない人など、様々な生活の形態が存在する。それでもなお、「婚活」は大きなビジネスとして成立しているし、「花嫁リップ」たる名前の商品もバズるほど売れる。そもそも「入籍」という言葉も、旧来的な儀式を取り入れることが善とされる結婚式自体も、多様化するパートナーとの関係性とは相反する「家制度」に縛りつける価値観である。
結局現代でも、特に日本においては、結婚は数少ない「誰でも実現可能」な「特別」なことであり、そのステータスは魅力的なものであり続けている。それを手に入れるためのビジネスも劣等感も優越感も、社会全体で横行している。

量産型の結婚報告

自分がインスタグラムでフォローしている友人は、半分くらいが日本人、半分くらいがアメリカ人だが、アメリカ人の友達で結婚報告をしている人は片手で数えられる程度であるのに対して、日本人の友達は、アプリを開くたびに結婚報告を見受けるくらい結婚している(ように見える)。
現在自分は25歳だが、キリもよく、ある意味で節目的な年齢といえるかもしれない。アメリカでは(特にリベラル的な価値観が多数派である西海岸においては)25歳で結婚は「早い」部類に入るが、今の日本ではごく普通のことに感じられる。この現象は特に、コロナウィルスの影響が大きいのではないだろうか。
2020年の大学卒業前後から付き合っていて、コロナ禍を乗り越えたカップル(特に同棲していた人たち)は、「困難も乗り越えたし、長い間一緒にいても苦ではなかったし、じゃあ結婚するか」という勢いをつけている。

彼らのインスタグラム上での結婚報告は、

  夜景の見えるホテルの窓際で2人で花束と指輪持ってポーズ
→ 花束と指輪と婚姻届のアップ
→ ベッドに薔薇の花びらのハートに女の子サプライズ
→ メッセージプレートのケーキ+「両家顔合わせ」

というテンプレ型が多く、彼らの結婚前のクリスマスには、

  都内おしゃれスポットのクリスマスツリー
→ (匂わせの定番)デザートプレート
→ わかりやすいハイブランドの何か(ジュエリー、財布等)
→ 謎の窓越しの夜景
→ シャンパングラス2杯

という同質性の高い報告をこぞってしていたことが思い出される。

そして、同時に彼らから感じられるのは、結婚式に対する異様とも感じられる執着だ。式場から花束のリボンの細部まで、とにかくお金と時間とこだわりがつぎこまれている。

一方アメリカでは、景気の悪化、それに多様化と同調圧力の減少によって、「結婚式とはこうあるべき」という理想像が跡形もなく消え去った。
「完璧な1日にしなければならない」という社会的なプレッシャーが馬鹿馬鹿しく感じられるようになり、より「ここにいるみんなにとって思い出の1日」になるように意識された式になっている。たとえそれが質素な式であろうが、豪華で面白い演出があろうが、相当なセレブリティの結婚式でない限りは社会的なジャッジは下されない。

もちろん、日本とアメリカを比較して、その優劣を指摘しているわけではない。アメリカの結婚事情を見てみても、それはそれで多くのゆがんだ社会的な構造や圧力は存在しているが、そのことについては、今後の連載で詳しく見ていきたいと思う。

「ゴールイン」とか「普通に結婚」とか

結婚にまつわる地獄の言葉は、「将来の夢はお嫁さん」だけではなく、いくらでも転がっている。

たとえば、「ゴールイン」というメディアによる表現は、どれほど多くの人の価値観を害してきただろうか。
結婚というのは「ゴール」ではなく、これからの生活の「始まり」に過ぎない。だから、たった1日の式のために大量のお金を使うのではなく、式に節約して浮いたお金を2人のためのハネムーンにあてたり、単純に生活費にあてることが「普通」という風潮も強まっている。
さらにいえば、離婚だって試合終了じゃなくて、別の何かのスタートなのだから、「結婚」という儀式自体にこれほどのプレッシャーと競争性が孕んでいるのは、何か根本的に間違っている様にさえ感じられてくる。

「普通に結婚して普通に子供産んで普通に幸せになりたい」というフレーズも、相当な地獄だ。
「普通じゃない」自分の現在に感じている不完全さを結婚や出産に投影し、「普通」という存在さえしない概念に強迫観念を感じていることを、「普通」という言葉の偽の普遍性に責任転嫁している。
結婚という制度も、結婚式というイベントも、結婚相手も、産む子供も、一つも幸せを実現するための飛び道具に使ってはいけない。「これさえ条件が揃えば“普通に”幸せになれる」という現実への劣等感を他者を使って紛らわしてはならない。自戒を持って生きないと、何度も地獄が繰り返されてしまうだろう。

「普通に結婚して子育て」してる人が幸せそうに見えるのは、およそ50%生存バイアス(もともと「幸せ」を感じやすい性質か、環境的に特権のある人)で、残りのおよそ50%は「結婚して幸せじゃなかったら恥だから幸せを演出する」という外向き体裁による虚構で、実際はそれぞれの地獄があるのだから、「結婚して子供いれば幸せ」は幻想だ。
「自分はただ普通に結婚して子供欲しいだけ、高望みはしてない」のような、現実主義のつもりか謙遜のつもりかよくわからないことをいう人もいるが、「欲しいのはただそれだけ」みたいな言葉の裏に見えるのは、「これさえ普通にできない人は異常」という偏見や劣等感だ。

同調圧力から生まれる価値観

社会から女性に向けられる「女の子なら、結婚を望んで、子育てをして家庭を持つことを理想と考えるのは当たり前」という同調圧力は、この時代においても相当なものだ。最近日経新聞が発表した統計では、未婚者「結婚後に子持つべき」と考える割合が男性55.0%、女性36.6%だったという。出産をする当事者でもない男性が、女性よりも「子を持つべき」と思っていること自体が、様々な恐ろしさを物語っている様にも感じた。

2017年にHuffington Postが公開した記事で、「なりたいもの1位は「お嫁さん」。
これも、20代のリアル。「ゼッタイ20代で結婚」雑誌『S Cawaii!』がめっちゃ煽ってる!?」というものがあり、大いに話題になった。そもそも、決して結婚すれば全てがうまくいくとは限らない。第一、そんな理想的な相手との間に子供が持てるとは限らない。結婚後に豹変するタイプも多いし、子供が理想通りの子供じゃなかったらどうするつもりなのだろうか? そして大前提として、「他人まかせの幸せ」にすがりすぎること自体が、あまりにもリスキーだ。

「結婚こそが女の幸せ」、そして結婚しなければ不幸、一人だったら不幸というような強迫観念をさらに植え付ける社会の風潮も許し難い。アメリカではセレブや有名人は結婚したとしてもどんどん離婚していくことが一般的だ。およそ半数が離婚するアメリカにおいては、結婚も離婚もさほど(他人にとっては)「ビッグ」なイベントではないのだ。さらには、メディアでは離婚が話題のときに限って結婚関係の悪い側面を見せたりと、離婚が「絶対的悪」であるかのように語られがちだが、離婚できる人よりもDVや束縛など、何かしらの理由で離婚できない方がよほど現実的にはリアルであり、辛い状況だ。

日本のメディアで「理想の結婚」をしている有名人として挙げられる人も、その体裁でビジネスが成り立っているから表向きには幸せそうに見せているだけで、実際は地獄だったりする可能性だって十分に高い。そういうフェイクの現実を理想として見せつけられた若者たちは、当然「結婚」を理想として見続けてしまうだろう。

恋愛や結婚の地獄は、もっとオープンに語られるべきだと私は思う。ここまで挙げてきた「地獄の言葉」に表れるような見栄のための幻想や虚構は、全員を苦しめる。この世を救えるのはリアルの共有のみであり、この連載では恋愛や友情などの現代のリアルなrelationships(人間関係)にまつわる地獄を可視化することで、様々な執念を成仏させたい。

著者プロフィール
竹田ダニエル

1997年生まれ、カリフォルニア州出身、在住。「カルチャー×アイデンティティ×社会」をテーマに執筆し、リアルな発言と視点が注目されるZ世代ライター・研究者。「音楽と社会」を結びつける活動を行い、日本と海外のアーティストを繋げるエージェントとしても活躍。著書に文芸誌「群像」での連載をまとめた『世界と私のA to Z』、『#Z世代的価値観』(ともに講談社)がある。現在も多くのメディアで執筆中。「Forbes」誌、「30 UNDER 30 JAPAN 2023」受賞。