孤食で得たもの

第1回

たかが食事、されど……

2021年6月15日掲載

自分で作ったものをひとりで食べるのがいちばん落ち着く。

それだけのことを書き出すのに、長らく躊躇していた。私の中に誰かと食事をすることこそが幸福で喜ばしいことである、という思い込みがあったからだ。

世間ではおひとり様なる言葉もすっかり定着した一方で、そのしばらく後から使われ始めた「孤食」という言葉が非常にネガティブなイメージを伴って使われてきた。

「孤食」の先には「孤独死」があり、これもまた「そうなってはならないもの」「大変悲惨な出来事」というイメージでもって語られ忌避されがちだ。

昨年突然新型コロナウイルス感染症が流行し、特効薬やワクチンがないまま飛沫感染を防止するために、ひとり黙して食べることが推奨され、感染し発症した者は隔離され、重篤化して死亡する際にも医療関係者以外の人間に逢うこともできなくなってしまった。まさに「孤食」が模範行為となり、「孤独死」が避けようがない可能性として地球上の全人類に降りかかってきた。

ほとんどの人はこの事態に慄き、嘆き悲しみ、早く元の生活に、誰かと一緒に談笑しながら飲食を共に過ごす時間を取り戻したいと願っているように見えた。

時にはそこに今後住んでいられないほどの非難を浴びることがわかっていても、会食に臨んで運悪く?感染発覚して行動履歴が晒される。報道されるたびにそこまで誰かと食べたかったのだなあと、なんとも言えない気持ちになる。やはり多くの人にとって孤食は受け入れがたい行動なのだろうか。

ひきこもりはコロナ禍で

環境や職業、年齢にもよるのだろうが、自分はおそらくコロナ以前と以後での生活様式の変化が少ない部類に属する人間だ。まったく支障がないわけではないし、仕事には確実に悪影響がでているので早く収束してほしい。ワクチン接種によって移動や集会、会食および飲食店の営業時間が自由になることも望んではいる。

けれども。もともと人付き合いが多い方でもなかったところに、都心から地方に移住して引っ込んでしまい、さらにストーカー被害に遭ったことで、この数年は極限まで人に会う機会を減らした引きこもり生活をしていた。

そろそろ少しずつ元に戻していけるかどうか、怯えながらも思案していた矢先のコロナ禍だったのである。これまでの生活から脱却したい、いやしなければならないと思っていたところに、戒厳令じゃなくて緊急事態宣言となったので、粛々と引きこもりを続行したというわけだ。

幸いにも仕事は自宅でしているので通勤もなく、もともと移住して以来自炊中心なので調理器具もだいたい揃っている。飼っているヤギの世話で草刈りを日課にしているために運動不足になることもない。公共機関と縁が切れない子どもや高齢者とも同居していないので、申し訳なくなるくらい生活様式は変わらないのだった。

そもそも孤独死に関しては、独居生活を始める以前、自分が癌に罹患したときからずっと考え続けてきた。ひとりで誰かに看取られずに死ぬことを思っても、特に悲壮な気持ちになることはない。そうなる可能性は極めて高い。病院以外の場所でひとり死ぬ場合にも、腐敗などの物理的要因で死体を処理する誰かの気持ちを滅入らせ、手を煩わせることさえないように手筈を整えられれば、それでよいのでは。

惨めと言われる筋合いもない。いやたとえ誰かにそう思われてもすでに死んでいるのだから別にどうでもいい。そう思い至ることは自分にとって比較的容易であった。もうかなり以前からそういう心づもりで生きている。

よって、もし自分が新型コロナウイルスに感染し、確率は高くはないけれども重症化し死にいたることがあっても、看取ってもらいたい家族はいないのでそこに寂しさは覚えない。症状と後遺症の苦しさは知る限りでも耐えがたく、できれば避けたい、感染したくないし周囲に感染させたくないので予防している。それだけのことだ。

多くの人が望む死は自分と同じではないことは重々理解しているので、コロナ禍での病院での看取りの状況が改善されることを望んでもいる。

孤食を見つめなおす

ところが孤食に関しては、別だ。同じようにはなかなか思い切れない。

離婚をしてからひとりで暮らすようになり、しばらくして煩わしさから解放されてみると、ひとりで食事をすることが寂しくてたまらなくなった。そして寂しく思う自分が悔しく恥ずかしく、それを周囲に察知されないように平気を装いつつ、会食に励んでいた。

以前に屠畜の取材をしていて出会った共食という概念に、囚われていたとも思う。一頭の豚を家族や村落の全員で分かち合って食べることで、共同体の関係性を再確認する。多くの民族が取り入れて来た概念だ。動物を屠ることへの罪悪感をも、分かち合うことができる。非常に腑に落ちるやり方である。それが食の「正義」であると、生きるために他者の生命を奪うことへの罪悪感を払拭する有力な活路なのだとすら、思い込んでいた。

しかし現実の自分はひとりで食べることが日常の九割を占めるようになっていた。鶏だろうが野菜だろうが猪だろうが、奪った生命はひとりで引き受けている。だれとも分かち合わない。いやだれかとシェアすることもある。しかしそれら機会の多くは素材の段階であり、いざ口に入れる時はひとりだ。それでいいのだろうかと忸怩たる想いを抱え込んだ。

けれども時間の経過とともにひとりで食べることに慣れ、馴染んで、当たり前のことになってみると、実は自分にとって心も体もひとりでいること、食べることが、たいへん心地よく楽なものだと気が付いた。後述するが、味覚も冴える。もしかしたら一人で食べる方が自分には向いているのではないか。

そもそも会食が得意でもないのになぜひとりで食べることを恥じてきたんだろう。正気に戻り、冷静にあたりを眺めまわすと、会食を渇望する人たちと同じくらい?たくさんのひとたちが、なんのてらいも逡巡もなくひとり飯を謳歌しているではないか。ひとりごはんを銘打ったレシピ本だけでなく『ひとりごはん』というひたすら一人でご飯を食べる作品が並ぶ漫画雑誌すらあるではないか。恥じていたことが恥ずかしいくらいだ。

こうしてひとり自炊飯を突き進めていくうちに、ちょっと飛躍するけれど、自炊飯を心理療法の一手段としても使えるようになってきた。そんなことを試したのはあなただけですよとカウンセラーの先生にも呆れられた。食べることで負の感情を癒すとだけ書いてしまうと、過食症を連想する方もいるかもしれない。全く別の行為であり、依存性もない。段階を踏んでの説明が必要だろう。確証はないけれど、他の方も試してみる価値のある試みではないかと思っている。

生まれてから五十数年、どこでなにを誰と、どう食べさせられ、かつ食べて感じてきたのかを振り返りながら、現在の試みに繋げてみたい。

著者プロフィール
内澤旬子

1967年、神奈川県生まれ。文筆家、イラストレーター。『身体のいいなり』で第27回講談社エッセイ賞受賞。『世界屠畜紀行』『漂うままに島に着き』『ストーカーとの七〇〇日戦争』『着せる女』『内澤旬子の 島へんろの記』など著書多数。2014年に小豆島に移住。5匹のヤギと暮らす。