まだまだ大人になれません

この連載について

30歳過ぎたら、自然と「大人」になれると思っていた。
でも、結婚や出産もしていないし、会社では怒られてばかり。
友達を傷つけることもあるし、恋愛に一喜一憂しているし、やっぱり自分に自信が持てない。
「大人」って何なんだ。私ってこのままでいいのか。
わかりやすいステップを踏まなかった人間が、成熟するにはどうしたらいいのか。
35歳を迎えた兼業文筆家が、自意識と格闘しながらこの世で息継ぎしていく方法を探す等身大エッセイ。

第8回

セルフケアに欠かせない能力

2025年2月28日掲載

いくつになってもうまくできないものがある。

セルフケアだ。

身辺をととのえて暮らすこと全般といったほうが正しいかもしれない。運動は長いこと嫌いだったし、酒を飲んでは二日酔いで大後悔するし、深夜のコンビニスイーツがやめられないし、メイクを落とさないまま寝てしまうし、買った服はすぐ汚れる。今日も、年明けにセールで買ったキルティングスカートの表面が5ミリほど破れて、中の綿材がのぞいているのを発見してしまった。鬱である。ここのところ頻繁に着ていたし、脱いだあとしばらくリビングに放置することが多かったので、知らぬ間に猫にひっかかれてしまったのかもしれない。

ソーシャルメディアの影響で、社会が要求してくる「ととのえる」のレベルは年々上がっていると感じる。そして、歳をとって、そのプレッシャーはさらに増している。若かった頃は多少ガサツでも大目に見てもらえていたが、歳をとると、「ととのっていない」人は、不審がられる。ととのえる、が義務になってくるのだ。トトノエル・オブリージュ。しかも、指摘される機会は大幅に減る。おそろしい。先日、几帳面で尊敬している友人が「私とあなたの関係だから言うんだけど、今日、顎のところ、ファンデ塗り過ぎて粉ふいているよ」と教えてくれて、ありがたかった。自分では、肌のムラやシミが目立つと考え、それを隠すことで頭がいっぱいになっていたのだが、かえって、粗のある顔になっていたということだ。

「大人ってね、良い化粧品使ったりおしゃれな服着たりするより、なんでも、清潔にすること、丁寧にすることのほうが効果的なんだよ。デフォルトがきたなくて、だらしなくなっていくんだから」

彼女は友人の中でも指折りの「ととのえている」パーソンだ。おしゃれ着は必ずネットに入れて洗うし、首元がよれないようにゴムで縛って洗濯するし、襟の化粧シミを落とすための超音波ウォッシャーも持っているという。超音波ウォッシャーという言葉を最初聞いたとき、エセ科学では……と疑ったのだが、超音波が発生させる気泡が破裂するパワーで汚れが落ちるらしい。科学やばすぎる。私も取り急ぎ、その場ですすめられた、「洗濯王子」の本をKindle Unlimitedでダウンロードした。

厄介なのは、どれだけ自分や身辺をととのえたいという気持ちを持っていても、知識がないと、手や足が出ないことだ。そもそもどのようにととのっておらず、何をすればいいか、わからない。最低限の運動をして、毎日風呂に入って、髪をかわかして、日焼け止めを塗って、毎日服を着替えて、脱いだ服を洗って、バレエのレッスンに行って、美容院、眉サロン、ネイルサロンにも行っている。これでも、かなりがんばるようになったつもりだった。しかし、「服は、毎日洗うと痛んじゃうものもあるよ」と言われた。うすうすわかっていたけどね! 何をいつ洗うか細かく判断するより、毎回洗っちゃった方がラクだと思って、やっちゃっていた。自分の生活のなかにところどころ、「そこに気を遣うよりこっちに気を遣った方がいい」ことが、たくさん隠れている感じがする。

きっと、頻繁に会うパートナーや、一緒に住んでいる家族がいれば、その人に助けてもらうことができるのだろう。男性の場合、それでなんとかなってしまうことは多そうだ。先日、坂元裕二脚本の「ファースト・キス 1 ST KISS」という恋愛映画を見た。松たか子演じる主人公が、冷え切った関係となった結婚15年目の夫について、かつて夫を好きだった女性から「偶然会った彼のシャツの襟元が黄ばんでいて、悲しかった。この人誰にも気にかけられていないんだって」と非難を受けるシーンがあった。たしかに、「気にかけてくれる相手」の存在は、ケアにとって重要だ。また、自分で気づきづらい「非ととのい」があるのも事実だ。しかし、これには結構モヤモヤした。配偶者の存在はケアのために有利に働くけれど、ケアの責任を負ういわれはないように思う。自分で自分の心身をケアできない人間が安易にパートナーシップを結んだから、互いを思いやれない・話し合えない結婚生活につながったのでは? 私は、自分で自分のシャツの黄ばみに対処できる人間に今からなってやる……。そんな、映画の本筋と関係ない決意を固めてしまった。

やってるつもりになっていた「ととのえ」を見直したい。そのためには……洗濯も学びたいけど、ひとまず土台だ。ボディだ。ふと思い立って、マシンピラティスのマンツーマンレッスンに行くことにした。これがかなりの感動体験だった。

ピラティス、かなり流行っているので、知っている人は多いかもしれない。一応説明すると、体の引き締めや骨盤のゆがみを調整することに主眼を置いて開発されたエクササイズ・メソッドだ。ドイツ人看護師のジョセフ・ピラティスが考案したから、この名になったという。第一次世界大戦で負傷した兵士たちのために作られた低負荷の運動メソッドで、ヨガのようにマット上で全身を動かすマットピラティスのほか、自重を支えることができない人をサポートするイクイップメント(機械)を利用したマシンピラティスがある。イクイップメントにもいろいろ種類があるのだが、一般的に普及しているのは「リフォーマー」という、ベッド型の器具だ。バネで動く寝台に寝転がり、フレームに足をかけてびよーんと伸ばしたり、ストラップに手足をひっかけてぐるぐる動かしたりできるようになっている。このリフォーマーで手足を伸ばしている写真には不思議と、単なるマットピラティスよりも、「新しい自分になれる」オーラが漂う。引き寄せられた新たな女性たちがマシンピラティスを始め、「今日もマシンピラティス行った!」といった写真が Instagramのストーリーズにあふれだした。ここ数年のことだ。

実際、マシンピラティスを始めてからぐんぐん痩せた友人もいた。ピラティスの運動負荷はそこまで高いものではないため、短期間での痩身効果はないらしい。ただ、インナーマッスルを鍛えることで基礎代謝が上がるほか、自分の体を意識して食生活などを見直すきっかけになり、ダイエットが捗ることもあるみたいだ。私はここ数年、クラシックバレエに週1で通っているけれど、在宅勤務を主体とした労働環境もあいまって、かなり運動不足の状態だった。バレエのための柔軟性を高めたいし、消えかけていた美意識を取り戻したい。そう思って、グループピラティスのチェーンに入会したのが35歳の誕生月。仕事が忙しくサボってしまう月もあったけれど、引っ越したあとも通うスタジオを変えて通い続けて、半年が過ぎた。基礎的な動きはできるようになったところで、効果を高めたく、マンツーマンの指導に興味がわいた次第だ。

マンツーマンレッスンって、たんに「サボらず通う強制力が強い」「褒めてもらって励みになる」「正しいフォームでできる」程度のものかと思っていたのだが……、びっくりした。もう、別種目と言ってもいいほど、グループレッスンと勝手が違っていた。

セッションは、全身の写真を撮るところから始まる。いくつかのスタジオに行ってみたのだが、どこでも、最初、壁の前に立って、前後左右を向いた写真、前屈をした写真、横を向いて手をあげた写真、後ろを向いて上半身を左右にねじった写真、などを撮られた。この写真をインストラクターと一緒に見て体のくせを分析し、それにあわせて当日のプログラムを組み立てる、というのが基本的な流れだ。私の場合、とにかく前屈がかたい。本当にかたい。バレエのレッスン中も、いつも一人だけ、ゴジラの赤ちゃんが混ざっているような気分になっていた。どうやらデスクワークを続けていると、背面が硬くなることが多いらしい。

最初のスタジオでは、ふくらはぎ〜お尻までの柔軟性を高めるため、1時間、脚に特化したエクササイズを行うことになった。セッションを終えてもう一度前屈をしてみると……指先が断然、地面に近づいている! 血のめぐりがよくなったのか、帰宅しても下半身がぽかぽかしていたのも驚きだった。グループレッスンでは経験したことがない現象だった。

もうひとつのスタジオでは、さらに、股関節のゆがみを指摘された。股関節をうまく屈曲させることができていないのも前屈がつかない原因ではないか、というのがインストラクターの見立てだった。脚から腰にかけて曲げ伸ばしするエクササイズを繰り返し、その間、インストラクターが、骨盤の位置と股関節の向きを修正し続けてくれた。これもかなりの驚きがあった。自分では自然と「まっすぐ」と思っている位置が、だいたい曲がっているのである。しかしほんの少し脚の向きを変えたり、おへその向きを変えたりすると、たしかに、より「まっすぐ」に見えている。あちこちのちょっとした歪みが、全体を大きく崩してしまっていることに驚くと同時に、自分では気づけなかったことをおそろしく思った。

そう。自分の「まっすぐ」がここまで知覚できないというのは、相当な衝撃だった。思考や考え方に関して「認知の歪み」という言葉が浸透しているけれど、体や外見の自己把握についても、歪みは存在している。ありのまま見ようとしても、どこかで脳が補正してしまうのだ。自己認識と現実は、いつもずれている。この「ずれ」の大きさは、セルフケアやととのえのスキルとも、関わっているのではないだろうか。セルフケアやととのえが得意な人は、知識以前に、自己の状態を客観的に把握する能力を磨いているのだ。苦手な自分は、そこから始める必要がある。すぐに、マンツーマンセッションの回数券を購入した。

もちろん、ピラティスのインストラクターは、毎日つきっきりで私の動作を見てくれるわけではない。セッションを通じて、現実と理想のずれを認知する経験を重ねて、それを日常の自己モニタリングにも応用しなければならない。とりあえず、バスを待っているとき心持ち外股になるよう意識したり、頭の位置が肩の上にくるように背筋をのばしたり。少しずつ意識を重ねている。こんなに歪んでいるのに気づいてなかったのは絶望だったけれど、この歳になってもちょっとした工夫で「まっすぐ」を取り戻せるというのは希望だった。

いきなり「ととのった」自分に変身することはできない。セルフケアを意識することは、地道な変化を重ねる過程を惜しまないことでもある。セルフケアを、義務感ではなく、楽しみとして、味わえるようになれますように。

著者プロフィール
ひらりさ

平成元年、東京生まれ。女子校とボーイズラブで育った文筆家。オタク女子ユニット「劇団雌猫」のメンバーとして活動。オタク文化、BL、美意識、消費などに関するエッセイ、インタビュー、レビューなどを執筆する。単著に『沼で溺れてみたけれど』(講談社)、『それでも女をやっていく』(ワニブックス)など。