気になるひと

この連載について

このたびは大和書房で連載をやらせてもらうことになりました。担当のFさんに声をかけていただいたのは3年前で、怠惰な私のせいで本当に申し訳ありません。特に何かを物申したいわけでもなく、ただちょっと心に引っかかることを、なんとなく成仏させたい一心で文章を書いています。「結婚して、子どももいて、いいじゃん幸せじゃないですか」とか言われます。「じゃあカネをくれ」と思います。たぶんそういう方は多いのではないでしょうか。特に人生の役には立たないけど、一瞬だけ笑って、すぐさま忘れてほしい。私の中の「気になるひと」。あなたの気になるひとではないかもしれません。パートの休憩中、バックヤードで一緒にソフトサラダ食べながら店長への愚痴を聞き流す感じで、ひとつよろしくお願いします。そして、今度こそ、連載が初回打ち切りになりませんように。

第1回

まずはそう、銭湯絵師見習い騒動

2019年4月22日掲載

“セルフプロデュース”なんて言葉が当たり前に使われるようになり、猫も杓子も「世間に自分をどう見せるか」にやたらとらわれてしまう時代になっております。

日本人は、謙虚な気質なんだそうです。それが果たして本当なのかどうかは別として、自分で自分のことをはっきりと言葉にして褒めづらい国民性は確かにあるんでしょう。だから自ら言わずとも、匂わせたり、誰かに言わせようとしたり。そういったセルフプロデュースにおいて、この「どう見せるか」と同じくらい重要になってくるのが「どこにいるか」です。

というわけで、銭湯絵師見習い騒動です。

江戸っ子なので事件や炎上があると血が騒いでしょうがない、生まれも育ちも川崎の女。さらに昭和の未解決事件ファイルとして名高い「名前・椎名桜子 職業・作家 ただ今処女作執筆中」が脳裏に焼き付いている世代としては、この手の「やりすぎセルフプロデュース」問題にはどうしても魂が震えてしまう。必ずやメッキは剥がれ、受けた恩恵とは比べものにならないほどの代償を支払いかねないこの錬金術。椎名桜子及びICONIQときどき佐村河内の悲劇を超えてもなお、なくなる気配はないわけですが、ちょっと今回の銭湯絵師は「やりすぎセルフプロデュース」とは違う側面を持っていると思えてなりません。

置かれた場所で咲きまくるひと

世はまさに銭湯ブーム。なくなる一方だった銭湯文化はふたたび注目を浴び、「家にお風呂がないから行く」という名目を、「好きだから通う」という趣味嗜好が大きく上回るようになりました。銭湯といえば、あのどでかい富士山に代表される銭湯絵。それを手がける職人は、今日本で数人しかいないのだそうで、そこに彗星の如く現れたのが今回の銭湯絵師見習いでした。東京藝術大学大学院で学びながら、モデル業をこなし、さらに銭湯絵の第一人者に弟子入り、「美人すぎる銭湯絵師見習い」としてたびたびメディアに取り上げられるように。

写真がまたね、完璧なんですよ。

老齢の師匠の隣に、頭にタオルを巻きTシャツに作業ズボン姿のスラリとした女性が寄り添うように立つ。「その美貌をもってすればもっとウェイウェイな所でウェイウェイされるでしょうに、銭湯という大衆的かつノスタルジックなジャンルにわざわざやってきて、師匠の元で厳しい修行に励もうとする」女性と、損得勘定では動かない(※イメージです)職人気質のおじいちゃん。誰が考えたかは知りませんけど、完璧な組み合わせだとため息でますね。

おそらくこの見習いさん(およびそのバックの方々)は考えたと思うんです。この資源を最大限に活かすのは、自分をどこの場所に置くのが適切か。絵が上手なタレントの座は八代亜紀と工藤静香ががっちり掴んで離さない。華やかな場所では相当なレベルでないと埋もれてしまうだろう。そこで「美人であることをなるべく隠す形で美人を際立たせる」という、ウォーリーを探せ方式をとったのではないでしょうか。ウォーリーが場に埋もれようとすればするほど、人々はウォーリーを血眼で探そうとするのと同じ。よくよく考えると特にウォーリーに興味はないのに、です。怖い。ウォーリー怖い。

最後のサブカル「銭湯カルチャー」

その「簡単に見つけてもらえる場所」だったのでしょう、銭湯の世界は。考えてみたら銭湯(というか、銭湯カルチャー)って、最後のサブカルって感じしませんか。それほどメジャーではなく、携わっていてめちゃめちゃ儲かりますって感じではないけど、でも独特の立ち位置があるからプライドと承認欲求は満たされる。滅び行くものを守っているという、快感もある。古典芸能や伝統工芸ほど堅苦しくなく、「物」ではなく「概念」で語れる銭湯は、まさにサブカル人たちの最後の楽園なのかもしれない。実際に銭湯に従事されている人より、その周辺であーだこーだ語ってる人のほうが何倍も偉そうに見えますもん。町歩き雑誌などで実際に取材すると、店主は「いやあ厳しいです」しか言わないのに。

イチ生活の場所だった銭湯を「文化」と名付け、もやもやっとその周辺を漂っていた人や技術を束ね、その主に収まる。なんでも「銭湯界」には「重鎮が」いらっしゃるそうです。「銭湯界の重鎮」・・・・・・これ最初に聞いたとき、ちょっと笑っちゃいましたよ。だって、「銭湯界」もよくわからなければ、そこの「重鎮」ってもっと意味わからないし、まだ私が普段キャッチコピーにしてる「川崎の知の巨人」のほうがかわいい。採用されたことないけど。

狭いシマを取り仕切る重鎮がいて、ふつうに職人してた人が知らぬ間にその論理に巻き込まれ、利害関係が一致した野心家がパフォーマンスを繰り広げる。伝統文化とノスタルジーと芸術と美人。世間の根底にあるそれら「弱点」のベクトルが、奇跡的にガッテンしちゃって生まれたのが「銭湯絵師見習い」なのかなと思うのです。(※ 現在は師弟関係を解消されたとのこと)

それだけだったら別にいいじゃん。その通りです。だけどひとつ計算違いがあったとすれば、この野心家は強すぎる野心と実力のバランスを著しく欠いていた。私は芸術方面とんと疎い(お笑いマンガ道場止まり)ですので、その辺を言及することは控えますが、結局自分の実力以上のものを見せるために、人様の絵をパクるという愚行に走ってしまったのではないでしょうか。セルフプロデュースした「ガワ」と自分の実力。その帳尻を合わせるために。

だから怖いんですよ、やりすぎセルフプロデュース。セルフプロデュースがうまくいけばいくほど、大きな場所でそれを証明しなければならなくなる。月並みな言葉ですけど、結局消耗品としか見てないから、けしかけるほうは。

やっぱこれ、椎名桜子っていうより小保方さんですね。小保方さん、どうしてますかね。元気にしてますかね。割烹着、パステルカラーの研究室……既存イメージの破壊は一時大きなパワーを生み出しますけど、最後はやっぱり本質が問われてしまう。喜ぶのも世間なら、叩くのも世間。できることなら、一生誰も探さないウォーリーでありたいですね。でもお金は欲しい。どうしたらいいの。そんなことを考えながら、今日もただ酒を飲み、1日が終わりました。

著者プロフィール
西澤千央

1976年生まれ。神奈川県出身。
実家の飲み屋手伝い→ライター。「Quick Japan」(太田出版)や文春オンライン、「GINZA」(マガジンハウス)などで執筆。ベイスターズとねこと酒が好き。子どもは2人。谷繁元信に似ていると言われたことがあります。