バディ考~世界は二人組で満ちている!

この連載について

バディ(buddy)。辞書的には、相棒、仲間、親友を意味する言葉であり、それ以上でもそれ以下でもない。しかし、映画やドラマ、マンガなどのフィクションにおいて「バディもの」と言えば、固い絆で結ばれた「特別なふたり組」を期待させるものであり、「ブロマンス」と呼ばれる男同士の親密な精神的繋がりに心奪われることもしばしばだ。
で、これはバディについての連載なんだが、ただバディにうっとりする目的で書かれるものではない。特別なふたり組について考えることにより、現実世界での恋人や夫婦といったふたり組のありようをアップデートできるんじゃないか、できるといいな、きっとできるよ、という気持ちで書いていくつもりだ。
バディをフィクションとして消費し、「ああ楽しかった」で終わるのではなく、現実に応用可能な概念として深掘りしてみたらどうなるか。古今東西新旧さまざまな作品を挙げながら分析・考察していく。男同士のバディだけを取り上げるつもりはない。男女バディ、女バディ、あるいはもっと別の形があるかも……人間関係を新たな可能性へと押し開かんとするバディ研究にお付き合いいただければ幸いである。

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バディはなぜクセの強い車に乗るのか?

2021年10月10日掲載

バディものとして知られる映画を鑑賞していて気づいたことがある。なんか、クセの強い車に乗ってるバディたち、多くないか!? いまからいくつか例を出すので、一緒に確認して欲しい。

まずは、80年代のバディムービーとして必ず名前の挙がる『48時間』。冷酷非道な脱獄囚を捕まえるべく、刑事のジャック(ニック・ノルティ)がホシと繋がりのある服役囚レジー(エディ・マーフィ)を48時間だけ刑務所の外に連れ出し、ともに捜査をする物語だ。

同作に登場するのが、ジャックの所有するキャデラック。色褪せたボロボロの車体で、手入れをされた形跡が一切ない。幌をたたむとオープンカーになるコンバーチブル型なのだが、つねにオープン、つねに丸見え。しかもジャックの運転がめちゃくちゃ荒い。見た目も動きもまわりの車から明らかに浮いている。

同作には続編『48時間PART2 帰って来たふたり』があって、刑期を終えたレジーがジャックとふたたび行動するのだが、久し振りの再会に際し、ジャックは前のキャデラックと同型のものをまた購入したと語る。ボロ具合まで同じなので、買い換えた意味があるのかどうかわからない。レジーもジャックのこだわりに困惑しているように見える。ボロ車を荒々しく乗り回すのがオレ流ということなんだろう。

兄弟のちぎりを交わした男ふたりのバディっぷりをコミカルに描いた名作『ブルース・ブラザーズ』では、自分たちの育った孤児院を立ち退きの危機から救うため、バンドでひと儲けしようと企むジェイク(ジョン・ベルーシ)とエルウッド(ダン・エイクロイド)のブルース兄弟が、警察から払い下げられた車に乗っている。警察車両の時点ですでに目立っているのに、めちゃくちゃデカいスピーカーを乗っけて街を走るシーンまである。悪目立ちしようとおかまいなしなのが小気味いい。

『ブルース・ブラザーズ』はもともとコメディ番組「サタデー・ナイト・ライブ(SNL)」のコーナーから生まれた映画だが、同じくSNL発の映画に『ウェインズ・ワールド』がある。ウェイン(マイク・マイヤーズ)とガース(ダナ・カーヴィ)は自宅の地下室から放送されるケーブル番組「ウェインズ・ワールド」の人気MC。年齢こそ大人だが、中身は完全に小学生。ふざけてばかりの親友ふたり組である。

そんな彼らが乗り回しているのが、水色の小さな車。AMC・ペーサーという車種で、現地では女性に人気があったという。確かにコロンとしていてかわいらしい。日本で言うとスズキの「ラパン」みたいな感じだろうか。つまり「雄々しくない」車なのである。

ところが、この雄々しくない車には、「フレイムス」のペイントが施してある。海外の映画やドラマでイケてる子や不良の子が乗っている車にド派手な炎のペイントがしてあることがあるが、あれが「フレイムス」だ。ぶわーっと炎が出ているのがクールなのだが、ウェインたちの車はなんせ小さいので、炎もごく短い。前輪の横からちょろっと出ているだけ。クセが強すぎるあまり、かわいい方面に突き抜けてしまっている。お願いだからググってみて欲しい。

『メン・イン・ブラック』は、宇宙人の絡む案件を一手に引き受ける秘密組織「MIB」の面々が魑魅魍魎を相手に大活躍する王道エンタメ映画。MIBのベテランK(トミー・リー・ジョーンズ)と彼に見出された新人J(ウィル・スミス)の凸凹コンビが短期間で一気にバディ化していく様子がたまらない。

ふたりが出動時に使うのが、Kが運転するフォードLTDクラウンビクトリア。これをはじめて見たJは、「宇宙のハイテクを集めて車はオヤジ趣味かよ」と言う。カクカクとしたデザインが今となってはクラシックでカッコいいが、まだ若いJから言わせれば立派なオヤジ車だ(余談だが、MIBの黒づくめの服装は、『ブルース・ブラザーズ』が元ネタと言われている。言われてみればたしかにそっくりだ)。

これらの例を踏まえた上で、前回の話を思い出してみると、ドラマ『MIU404』で志摩と伊吹が乗っていたのは「メロンパン号」だった。他の同僚たちがふつうの警察車両に乗る中、ふたりだけが張り込み用のメロンパンの移動販売車で管轄内をパトロールしていた。やはり、バディが一風変わった車に乗るのは一種の「お約束」と呼んでいいんじゃないだろうか。このほかにも『バック・トゥ・ザ・フューチャー』にはタイムマシンに改造されていたデロリアンが、『探偵はBARにいる』にはボロボロのビュートが出てくるし、『バンブルビー』に至っては、主人公の相棒が車にトランスフォームするロボットときている。たぶん探せばまだまだ出てくる。

で、考えたいのはバディものにおいて「クセの強い車が何を意味するか?」である。まず、変わった車は人々の注目を集めやすい。しょっちゅう見られるし、訝(いぶか)しがられるし、笑われることもある。ポジティヴな印象を持たれない可能性が高い。つまりそれは「世間の目」、もっと言うと「偏見」のメタファーであると言えるだろう。

したがって、そういう車に乗るという行為は、世間様の偏見にどう対処するかの回答だと解釈できるが、違和感を抱くのははじめのうちだけで、やがて慣れてしまうパターンがほとんどだ。よきバディは、偏見になんか屈しない。誰にどう思われようと関係ないのである。

次は車内について考えよう。そこは一種の密室である。大事な話をするのに、これほどおあつらえ向きの場所もない。あと、車は横並びに座れるのがいい。バディには向かい合うより、同じ方向を向くのがよく似合う。同じ目的に向かって進んでいる、という感じがするからだろうか。『メン・イン・ブラック』が特にわかりやすいが、向かい合って食事をしているときは話が噛み合わなくてダルそうなのに、車に乗るシーンにはその手の倦怠感が一切ない。バディが大事な話をするときは、車内に限る。

バディものにおけるこれらの演出は非常に示唆的だ。世間の目というものを気にしすぎても仕方がないというのは、バディに限らず、恋人・夫婦関係にも言えることである。自分と大事なひとの関係が「ふつう」からはみ出すものであったとしても、気にしすぎない方がいい。最初は恥ずかしくても、いずれ慣れるから大丈夫。そう背中を押されているような気持ちになる。

人目が気にならなくなったら、次はふたりだけの空間で会話をすることが大事になってくる。本音を語り、秘密を共有する。見つめ合っては言えないことも、横並びなら言えるかも知れない。ふたりの見つめる先に、同じ目的があるとさらにいい。

そして何より、車に乗るというのは命を預ける/預かることだ。日常の中で発生する何気ない(しかしよく考えるとけっこう重大な)命のやりとり。下手したら死ぬ、というレベルの危険運転でも、相棒を信じられるのはすごいことだ。わたしなんて、去年まで完全なるペーパードライバーだったおかもっちゃん(夫)の運転をいまだに信じていない。どんな運転をされても平然としていられるかっこいい相棒になれるのは一体いつだろう。

車がまったく登場しなくても、バディの素晴らしさを感じられる作品はたくさんある。しかし、なにやらクセの強い車が登場するとき、バディの素晴らしさは格段にはっきりと、誰にでもわかりやすい形で伝わってくる。わたしはこれをバディもの独自の親切設計と呼びたい。

※『48時間』…1982年。ウォルター・ヒル監督、エディ・マーフィの映画デビュー作。

※『48時間 PART2 帰って来たふたり』…1990年、ウォルター・ヒル監督による続編。

※『ブルース・ブラザーズ』…1980年、ジョン・ランディス監督、コメディ、アクション、ミュージカルなど、さまざまな要素が入り混じった伝説の映画。

※『ウェインズ・ワールド』…1992年、ペネロープ・スフィーリス監督、人気テレビ番組「サタデー・ナイト・ライブ」の1コーナーの映画化。

※『メン・イン・ブラック』…1997年、バリー・ソネンフェルド監督、スティーブン・スピルバーグによるプロデュースで大ヒットしたSFアクション映画。

※『バック・トゥ・ザ・フューチャー』…1985年、ロバート・ゼメキス監督、スティーブン・スピルバーグ製作総指揮のタイムスリップするSF映画。

※『探偵はBARにいる』…2011年、橋本一監督。大泉洋主演。

※『バンブルビー』…2018年、トラヴィス・ナイト監督。映画『トランスフォーマー』のスピンオフ作品として制作されたSFアクション映画。

著者プロフィール
トミヤマユキコ

1979年、秋田県生まれ。早稲田大学法学部、同大学大学院文学研究科を経て、東北芸術工科大学芸術学部講師を務める。手塚治虫文化賞選考委員。朝日新聞書評委員。大学では少女マンガ研究を中心としたサブカルチャー関連講義を担当し、ライターとしても幅広く活動。
著書に『40歳までにオシャレになりたい!』(扶桑社)、『夫婦ってなんだ?』(筑摩書房)、『少女マンガのブサイク女子考』(左右社)などがある