バディ考~世界は二人組で満ちている!

この連載について

バディ(buddy)。辞書的には、相棒、仲間、親友を意味する言葉であり、それ以上でもそれ以下でもない。しかし、映画やドラマ、マンガなどのフィクションにおいて「バディもの」と言えば、固い絆で結ばれた「特別なふたり組」を期待させるものであり、「ブロマンス」と呼ばれる男同士の親密な精神的繋がりに心奪われることもしばしばだ。
で、これはバディについての連載なんだが、ただバディにうっとりする目的で書かれるものではない。特別なふたり組について考えることにより、現実世界での恋人や夫婦といったふたり組のありようをアップデートできるんじゃないか、できるといいな、きっとできるよ、という気持ちで書いていくつもりだ。
バディをフィクションとして消費し、「ああ楽しかった」で終わるのではなく、現実に応用可能な概念として深掘りしてみたらどうなるか。古今東西新旧さまざまな作品を挙げながら分析・考察していく。男同士のバディだけを取り上げるつもりはない。男女バディ、女バディ、あるいはもっと別の形があるかも……人間関係を新たな可能性へと押し開かんとするバディ研究にお付き合いいただければ幸いである。

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事件もケンカもなくても、バディになれる

2021年11月10日掲載

「ブルーマンデー(憂鬱な月曜日)」という言葉がある。土日が休みのひとにとって、仕事や学校がはじまる月曜日は確かにつらい。また一週間がはじまるのか……。わかっていても、毎度ブルーになる。だってつらいものはつらいから。

ブルーマンデー現象に対し、この国では「サザエさん症候群」という言葉があてがわれることがある。他国の方にはなんのこっちゃわからん言葉だろうなと思い、ためしに「世界一高精度な翻訳ツール」と銘打っている「DeepL翻訳」にかけてみたところ、直訳の「Sazae-san Syndrome」ではなく「Sunday night depression」と訳出された。おお、これならば意味が通じる。なんか感動。

『サザエさん』の初回放送は1969年10月5日の日曜日。そこから放送され続けて今年で52周年だ(ちなみにギネス記録です)。火曜夜に再放送回が流れていた時期もあったが、基本的には日曜夜の番組である。愉快なホームコメディなのは間違いないのに、放送が日曜夜だったばっかりに、視聴者をもの悲しい気持ちにさせ「症候群」まで引き起こすとは。明るいのか暗いのか、もはや謎。改めてすごい番組だと思う。

日曜夜と言えば、もうひとつ忘れてはならないのが『ちびまる子ちゃん』だ。こちらの初回放送は1990年1月7日の日曜日。92年9月末から2年半ほど休眠期間があるけれど、それ以外はずっと『サザエさん』の前枠でがんばっている。こちらも相当な長寿番組だ(原作は今年35周年だそうですよ)。「サザエさん症候群」のような名前こそついていないが、たぶん「ちびまる子ちゃん症候群」派のひともいるんじゃないだろうか。

核家族世帯や単身世帯が当たり前の現代において、祖父母・両親・兄弟姉妹によって構成される家族は、もはや一般的とは言いがたい。つまり『サザエさん』と『ちびまる子ちゃん』は古き良き日本の家族を描いた一種のファンタジーである。しかしながら、ノスタルジックな気分に浸って終わりじゃ困る。なんたって、両作品にはめちゃくちゃ尊いバディが出てくるのだから。

『サザエさん』のバディ、それは言うまでもなく「磯野と中島」――サザエさんの弟である磯野カツオとクラスメイトの中島弘(なかじま・ひろし)だ。そして中島と言えば、「おーい磯野、野球しようぜ!」である。ひまさえあればカツオを誘い野球をしている男子、それが中島だ。野球がしたいからカツオを誘いに来るのか、カツオを誘いたいから野球をやるのか、どっちなんだろう。どっちもなのか。

中島には浪人生の兄と厳格な祖父がおり、両親は健在とのことだが、詳細不明。公式情報が少なすぎるがゆえ、半分わたしの妄想になってしまうが、中島家には、小学生男子と遊んでやれるひとがいないっぽい。家に浪人生がいるというのも、なかなかに気をつかうシチュエーションだし、その上、祖父が厳格とくれば、友だちと家で遊ぶという選択肢は消滅したも同然。いつもワイワイガヤガヤしている磯野家に足が向くのも当然という気がする。

中島にとってカツオは大切な野球仲間であり心の拠り所だとして、じゃあカツオはどう思ってるんだという話だが、実はカツオも中島をけっこう頼りにしているのである。2020年に放送された「 カツオは成長期」(No.8162)は、その最たる例。サザエから「子どもじみてるわね」と言われたカツオが、中島の家に逃げ込む回である。なぜサザエがカツオに子どもじみてるなんて言ったかというと、空き地でキャッチボールをするときに、カツオは汚れるのも気にせず遊ぶけれど、中島は母親に洗濯の手間をかけさせまいとして、なるべく汚れないように遊んでいることが発覚したからである(やはり中島は気づかいの子ですね)。

姉さんにキツいことを言われたカツオは、すぐさま中島の家へ向かったわけだが、弱ってる自分、ヘコんでる自分をさらけ出せる相手が中島をおいて他にいないというのが胸熱である。突然やってきたカツオをすぐ家に上げてやる中島もいいやつすぎて泣ける。ただの野球仲間じゃ、こうはいかない。少なくともうちのおかもっちゃん(夫)が草野球仲間とこんな風になっているのを見たことがない。磯野と中島の間には、野球によって繋がれながらも、ときに野球を超えていくような心の動きがある。

一方、『ちびまる子ちゃん』のバディは、まる子とたまちゃんこと穂波(ほなみ)たまえである。フジテレビの公式サイトによると「まる子の思いつきや発言をいつも真剣に受け止めてくれる優しくまじめな性格」とあり、この時点でもう尊い。やんちゃな相棒に困りつつも決して全否定しないのは、バディもののお約束である。

まる子は社交的な性格なので、たまちゃんを最愛のバディとしながらも、別の生徒とも仲良くしている。かなりクセの強い野口さんとでさえ、お笑いを愛する同志として親しく付き合っているくらいだ。広い意味での親友候補はけっこういそうなまる子だが、最後はやはりたまちゃんのところに戻ってくる。

ふたりの友情物語と言えば、アニメ第2期第5話の「たまちゃん大好き」が有名だ(あまりにもよくできた回なので、学校教育の現場でも使われています)。ふたりが一緒にタイムカプセルを埋めようとするが、すれ違いが起こってしまい、計画が頓挫して……というストーリー。仲よしのふたりがけんかをする珍しいエピソードとしても知られている。

最終的にふたりは仲直りをして、タイムカプセルを埋める。そこには「たまちゃん大好き」「まるちゃん大好き」と書かれた手紙が入っているのだが、ふたりがそのことを知るのは、タイムカプセルを掘り出す何十年も先の話。この「ほんとは好きなのに直接伝えない」というやり方もバディものでよくあるやつだ(大好物です)。

2時間ちょっとで終わるバディ映画なら、あるいは、1冊で完結するバディ小説なら、もっと派手な事件を用意するなどして、ふたりの絆を描くだろう。しかし、何十年も続く放送の中で、永遠に歳をとらないこの子どもたちは、終わらない日常を生きるしかない。派手な展開や毎度のケンカは、彼らにはドラマティックすぎるのだ。

日曜夜のバディたちは、なんでもないような日常の中で、相棒への愛情を育んでいく。「野球しようぜ!」という誘いも、「大好き」と書いた手紙を埋めることも、バディへの愛情表現としては婉曲的(えんきょくてき)だ。だが、それでいい。ひとはなんでもない日常を生きながらゆっくりとバディになれることを、これら国民的アニメは教えてくれる。

※「カツオは成長期」(No.8162)…姉であるサザエに親友・中島と比較されて落ち込むカツオが、比較された相手である中島の家に逃げ込む話。
サザエは中島を褒めたが、中島の祖父は挨拶のできるカツオを褒めたため、二人は互いの成長と友情を確認して終わる。

著者プロフィール
トミヤマユキコ

1979年、秋田県生まれ。早稲田大学法学部、同大学大学院文学研究科を経て、東北芸術工科大学芸術学部講師を務める。手塚治虫文化賞選考委員。朝日新聞書評委員。大学では少女マンガ研究を中心としたサブカルチャー関連講義を担当し、ライターとしても幅広く活動。
著書に『40歳までにオシャレになりたい!』(扶桑社)、『夫婦ってなんだ?』(筑摩書房)、『少女マンガのブサイク女子考』(左右社)などがある