まさかこれが自分の生活なのか、とうたがいたくなるときがあります。
それは自分にはもったいないようなしあわせを感じて、という場合もあれば、
たえられないほどかなしくて、という場合もあるのですが、
それはもちろん自分の生活であるわけです。
その自分の生活というものを、つまりは現実を、
べつだん、大げさにも卑屈にもとらえず、そのまま受けいれたとき、
みえてくるのは「ほのおかしさ」ではなかろうかと思います。
ままならない生活にころがる「ほのおかしさ」を私はずっと信じています。
屋上へ行きたい
☆このたび、9月23日に小原晩さんのエッセイ集『これが生活なのかしらん』が刊行されます。
ひとり暮らし、ふたり暮らし、三人暮らし、寮暮らし、実家暮らし……
いままでのさまざまな暮らしについて綴ったエッセイのなかから、
発売を記念して1つの詩と5編のエッセイを公開いたします。
第2回目は、友人のりんごちゃん、めろんちゃんとの賑やかな三人暮らしの
様子を描いた「屋上へ行きたい」です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
屋上へ行きたい
屋上ってのぼれるのかな。
リビングのソファーで横になりながら、私がそうつぶやくと、
「どうだろう」
「しらないしらない」
「ちょっといってみたい」
「いきたいいきたい」
とフローリングの上で転がっているりんごちゃんと、ひとり掛けソファーで丸まっているめろんちゃん。
それじゃあ、いこうじゃないかあ! と私はソファーで横になったまま拳を上につきあげると、あとのふたりも転がりながら、丸まりながら、拳をぐっとつきあげた。
私とめろんちゃんはスニーカーをはき、りんごちゃんはサンダルをはいて、準備万端である。玄関を開けると、どこからか、焼き魚の匂いがする。酔っ払いの歌声が、遠くのほうから聞こえる。螺旋階段をどんどんどんどんのぼっていくと、フェンスにゆく手を阻まれた。目線ほどの高さである。どうやらその奥にも、階段はつづいている。
「どうする?」
「うーん」
「いってみる?」
「いってみよういってみよう」
「いってみます」
私たちはフェンスをよじのぼることにした。
両手で同居人のお尻を押し上げ、みんなの力をあわせてフェンスのりこえる。
錆びてささくれたところと肌がすれて、微かな傷が、血が、赤が。
「ああ! 長ズボンはいてきたらよかった!」
「長ズボンって」
「デニムって言いなさい」
「ジーンズって言いなさい」
「パンツって言いなさい」
「長パンツはいてきたらよかった!」
ついに私たちはフェンスを乗り越え、階段をのぼっていくと、そこにあらわれたのは、見上げるほどおおきな、ものすごい雑草たちだった。それらは、もうれつに生い茂り、からみ合い、夜の風にうねっている。まるでジャングルだ。屋上のジャングルだ。
しかしながら、そこにもフェンス(私の背よりもうんと高い)が立ちはだかっていたので、それ以上はあきらめた。
明るい部屋に戻ると、私たちの服は土ほこりで薄汚れて、肌のところどころは傷つき、一日中外で遊び呆けた子どもみたいだった。
☆書籍の紹介ページはこちらhttps://www.daiwashobo.co.jp/book/b10033028.html

一九九六年、東京生まれ。
二〇二二年、自費出版にて『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を刊行。
原稿を書くときはいつもアイスコーヒーとカルピスを用意します。
白いものと黒いもの、甘いものと苦いものがあるとなんとなく落ちつきます。