これが生活なのかしらん

この連載について

まさかこれが自分の生活なのか、とうたがいたくなるときがあります。

それは自分にはもったいないようなしあわせを感じて、という場合もあれば、
たえられないほどかなしくて、という場合もあるのですが、
それはもちろん自分の生活であるわけです。

その自分の生活というものを、つまりは現実を、
べつだん、大げさにも卑屈にもとらえず、そのまま受けいれたとき、
みえてくるのは「ほのおかしさ」ではなかろうかと思います。

ままならない生活にころがる「ほのおかしさ」を私はずっと信じています。

第3回

ほんとうはやさしい子

2023年9月23日掲載

☆このたび、9月23日に小原晩さんのエッセイ集『これが生活なのかしらん』が刊行されます。

 ひとり暮らし、ふたり暮らし、三人暮らし、寮暮らし、実家暮らし……

 いままでのさまざまな暮らしについて綴ったエッセイのなかから、

 発売を記念して1つの詩と5編のエッセイを公開いたします。

 第3回は、前作『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』でも登場した小原さんのお兄さんの学生時

 代のエピソード「ほんとうはやさしい子」です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ほんとうはやさしい子

 五つ上の兄がいる。
 母、親戚、その他もろもろから、ここ十五年くらい「ほんとうはやさしい子なんだよ」と言われつづけている兄である。
 兄は中学二年生のとき、いきなりグレた。
 制服のズボンはお尻が丸ごと見えてしまうほど下げてはき、前髪でMをつくり、眉毛はシャープペンシルで書いたのかと思うほど細くて薄かった。
 ある日の兄は友だちと授業をサボって、ポテトチップスを食べながら学校の廊下を練り歩き、授業中の後輩の教室にいきなり入って、
「お前ら腹減ってんだろ、食う?」
と言いながら大笑いしていたらしい。
 中学一年生までは坊主がすこし伸びたくらいの短髪で、眉毛はごんぶと、だれが見ても気のよさそうな素朴な少年だったのに。思春期とは稲妻である。
 そんな兄はおそらくいきなりモテはじめた。
 うちは両親が共働きだったので、夕方まで家には誰もいなかった。その隙を狙って、兄はよく女の子を家に呼んでいた。
 小原家には、『親のいないとき異性を家に入れるべからず』という決まりがあったので、私は小学校から帰宅し、どうやら女の子が来ているようだと勘付くと、仕事中の母にメールして、チクった。兄はその度にこっぴどく叱られていたが、懲りることはなかった。
 兄は女の子を隠す方法を模索するようになり、女の子の靴を自分の部屋に置いたり、私が帰ってくると、「二階に上がってくんなよ」とひとこと吐き捨てたりした。私は何故か「負けねえよ」と思っていて、母にメールで「あいつ怪しいぞ」とまたチクった。仕事に追われる母と負けられない戦いの真っ最中である妹は力を合わせて、兄の不実を暴く方法をあれこれと考えたが、結論としては「思い切って扉を開けちゃおう」ということになり、二階に上がってくるなと言われたことなどお前の妹なんだから忘れるに決まっているだろという奇妙に晴れやかな顔で「お茶いる?」と言いながら扉を開けてみた。そこには真っ赤な髪の女の子が座っていた。ビンゴ。兄はまた、こっぴどく叱られた。
 そういう兄と妹の戦いはしばらくつづいたが、私が驚いたのは扉を開けるたびに、いろんな髪色の女の子が座っていることだった。ある日はイエローグリーン、またある日はうっすらブルー、またまたある日は桃色。どうやら兄はかなりモテているか、日ごとに髪色を変える女の子と付き合っているらしい。
 兄は中学三年生になり、高校受験のため塾に入って必死に勉強して、どうにかこうにか合格し、四日ほど通学して、退学した。
 結果として社会人になった兄は、ときどき酔っ払って家に帰ってきた。
 ある晩、小学五年生だった私はなかなか寝付けずに、ベッドの上で丸まったまま、深夜一時を過ぎてもまだ起きていた。
 すると、ガチャと玄関が開く音がして、酔っ払った声が階段をのぼってくる。
 ふすまを一つ隔てた兄の部屋の電気がついた。
 どうやらだれかと電話しているらしい。
 私は息を潜めて聞き耳を立てた。
 隙間から光がもれている。
「まあね、俺とお前はレモンティーなんだよ」
(おれとおまえはれもんてぃー?)
「だからね、レモンティーってこと」
(えっ、レモンティー?)
「いや、わっかんないかな。俺がレモンで、お前がティーなわけよ」
(おまえがティー)
「俺だけだったら、ただのレモンでしょ。お前だけだったら、ただのティーじゃん」
(……ただのティー?)
「俺とお前が一緒になってはじめて、レモンティーになれるわけよ。わかっしょ?」
 いいや、なにもわからない。
 兄はきっと電話相手に愛していると伝えたかったのだ。しかし何度も聞き返されていることからわかるように、全く伝わっていない。
 その後も必死に、「俺とお前はコンポ」「俺が本体でお前がスピーカー」「ふたり揃わなきゃ音は鳴らない」などと言っていた。
 その後、兄はだらしないまま大人になり、私はそのせいで何度か散々な目にあった。
 しかし、その度に、学校で嫌なことがあって落ち込んでいる私の背中をいきなりグーで殴りつけてから、「お前を泣かす奴は俺がぶっ倒す」とすごく真剣な顔で言ったあの日の兄を思い出す。どうして、背中を殴る必要があったのかは全くわからないが、当時中学生だった私はなんだかうれしかったのだ。
 そのことを思い出すたびに、もしかするとほんとうはやさしい兄なのかもしれないという疑念が生まれる。ほんとうはやさしい兄の、思う壺である。

 四川風麻婆豆腐に負けている お前のにいちゃん本当は優しい

☆書籍の紹介ページはこちらhttps://www.daiwashobo.co.jp/book/b10033028.html

著者プロフィール
小原晩

一九九六年、東京生まれ。
二〇二二年、自費出版にて『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を刊行。

原稿を書くときはいつもアイスコーヒーとカルピスを用意します。
白いものと黒いもの、甘いものと苦いものがあるとなんとなく落ちつきます。