まさかこれが自分の生活なのか、とうたがいたくなるときがあります。
それは自分にはもったいないようなしあわせを感じて、という場合もあれば、
たえられないほどかなしくて、という場合もあるのですが、
それはもちろん自分の生活であるわけです。
その自分の生活というものを、つまりは現実を、
べつだん、大げさにも卑屈にもとらえず、そのまま受けいれたとき、
みえてくるのは「ほのおかしさ」ではなかろうかと思います。
ままならない生活にころがる「ほのおかしさ」を私はずっと信じています。
風呂場と町田さん
☆このたび、9月23日に小原晩さんのエッセイ集『これが生活なのかしらん』が刊行されます。
ひとり暮らし、ふたり暮らし、三人暮らし、寮暮らし、実家暮らし……
いままでのさまざまな暮らしについて綴ったエッセイのなかから、
発売を記念して1つの詩と5編のエッセイを公開いたします。
第4回は、小原さんが高校を卒業してすぐの頃に働いていた美容室の寮での出来事を描いた「風呂
場と町田さん」です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
風呂場と町田さん
寮のシャワーはしゃらりーしゃらりーとよわよわしく流れて、全身を濡らすまですごく時間がかかる。それに加えて、足元にはどんどん水がたまってくる。古いマンションだから、配管がつまっているのである。
水位はどんどん上がってくる。すこし泡がたっていて、きもちがわるい。
くるぶしのあたりまできて、これ以上は廊下に水が漏れ出すというぎりぎりのところで、シャワーをとめて、水位が下がるのを待ち、またからだの泡を流す。
毎日、風呂の時間は憂鬱である。
この憂鬱に、町田さんが立ち上がった。
町田さんは渋谷店で働いている、私の唯一の同期である。
仲が良いわけではないけれど、まともな休みもなく、眠る時間も充分にとれず、先輩にはむやみやたらと怒られて、極端に狭い空間で声をひそめて暮らし、毎晩汚れのたまった水に足をつけているのだから、同志ではある。
町田さんは貴重な休日を使って、風呂場をすみずみまで掃除し、あらゆるものをパイプに流し込んで、よくよく放置してから流した。
もうこの風呂場はだめなんだ、こういうものなんだ、と私は、はなからあきらめきっていたのに、おそろしい行動力である。町田さんの情熱に、私はこころうごかされた。見習おうと思った。
古いなりにぴかぴかになった風呂場の水通りはいくらかましになり、町田さんは女子寮のヒーローになった。やり遂げたのだ。おめでとう。そしてなにより、ありがとう。立ち向かえば、流れは変えることができるのだ。
あくる日。水位はぐんぐんくるぶしへ迫り、垢の浮いた白い水が足の甲を覆った。
町田さんは発狂し、涙を流していた。
翌朝、町田さんは自分の部屋(私の向かいの二段ベッドの下段)に「東京の水が合いません」と書いたメモを残して、姿を消した。
☆書籍の紹介ページはこちらhttps://www.daiwashobo.co.jp/book/b10033028.html
一九九六年、東京生まれ。
二〇二二年、自費出版にて『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を刊行。
原稿を書くときはいつもアイスコーヒーとカルピスを用意します。
白いものと黒いもの、甘いものと苦いものがあるとなんとなく落ちつきます。