ぼくらはこうして大人になった

この連載について

若いころに抱えていた違和感を手放さない人は、世間では子供じみている人と見做されるけれど、
手放したつもりがただの見ないふりで、かえってこじらせてしまう人もいる。

私はどうやってこんな自分になったんだろう。そんなことを考えたい大人のための連載。
毎回読み切りですから、気軽に楽しんでいただければ幸いです。

世界から放り投げられた

2023年5月12日掲載

Fとはお互い学生だったころ趣味がよく合った。ディアンジェロやローリン・ヒルのLPを競うように聴いたし、高野文子の圧倒的なよさを夜通し語り合ったこともあった。でも、いま私の目の前にいるのは、自分の息子の出来の悪さを困り顔で話すFだ。

Fの一人息子はこの春に中学2年生になったそうだ。Fに思春期の息子がいるという現実は、なんとなく私の胸を重たくする。Fの息子は部屋の片づけがまるでできないらしい。いまだに人前で鼻いじりをするけど、もう中学生なんだからさすがにやめてほしいと笑いながら言う。

とても退屈な話を聞いている気がする。他人の子どもの話なんて心底どうでもいい。ママ友どうしの会話が尽きないのは、相手の子どもを通して自分の子どもを見ているからだろう。せっかくの休みなのに、こんな時間を過ごすくらいなら家から出なければよかった。

Fの息子は休日も家から出ることは少ないという。一日中自室に閉じこもったままの彼は、スマホでLINEを繋ぎっぱなしにして、1時間に数回という頻度で気が向いたときに二言三言だけ友人としゃべることを繰り返しているそうだ。

いいアイデアに思えた。一人だけど独りじゃない。私はふとさみしくなって、他人と繋がりたいと思うくせに、他人にあまり興味がなく、いざ会うとなると急にめんどくさくなって動けなくなってしまう。だからその距離感はちょうどいいように思えた。

「ごめん。子どもの話ばかりしても面白くないわね」Fは笑いながら言う。謝らないでほしい。子どもの話が面白くないのではなくて、あなたが面白くなくなってしまったのが問題なのだ。

母親になるとみんな退屈な存在になるのか。いや、母親になっても印象が変わらない人はいる。でもFはそうではなかった。日々の家庭生活をがんばっている感じが私には重たい。そんなことを思う私は残酷だろうか。

私と夫が結婚したのは14年前だが、子どもはいない。昨年末に実家に帰ったとき、母が唐突に「とうとうあんたたちには子どもができなかったね」と言った。いかにも深刻で、残念そうな顔で。なぜあなたがそんな顔をするのか。残念かどうかは私が決める。

私に子どもがいないことが、なぜ母にとってそれほどに重大な事なのだろうか。「母になれなかったあんたには永遠に私の気持ちは理解できない」決してそう言われたわけではないのに、私にそう言い放つ母が何度も頭に浮かんだ。

私は母のことを深く理解する機会を失ったのだろうか。永遠に母の気持ちなんてわかりっこないのだろうか。だとすれば母になることで失う認識もあるのではないか。母こそ私のことなんてわかりっこないだろう。

Fもそうなのだろうか。あなたに世間の生活の実相はわからない。そう思っているのだろうか。自分の方がずっと人間の現実を噛みしめている。そう信じているのだろうか。そして私は世界から放り投げられて、何も知らないまま一人で生きているんだろうか。

Fは息子に没頭している。夫はどうだろう。あの人はいつも自分自身に没頭している。でも私は没頭するということがない。私は世界から放り投げられて、今日も否応なく生き続けている実感を、私自身でじりじりと味わっている。

著者プロフィール
鳥羽和久

1976年福岡生まれ。専門は日本文学・精神分析。大学院在学中に中学生40名を集めて学習塾を開業。現在は株式会社寺子屋ネット福岡代表取締役、唐人町寺子屋塾長、及び単位制高校「航空高校唐人町」校長として、小中高生150名余の学習指導に携わる。著書に『親子の手帖 増補版』(鳥影社)、『おやときどきこども』(ナナロク社)、『君は君の人生の主役になれ』(筑摩書房)、『推しの文化論 BTSから世界とつながる』(晶文社)など。朝日新聞EduA相談員。