「失敗は悪」という考えを捨てる――大事な茶碗を割ったとき、あなたならどうする?(『鶉衣』第1回)
作品:『鶉衣』より「物忘翁伝」
「大切な茶碗を割ってしまった!」
ただの茶碗ではない。お抹茶に使う茶碗で、年代ものらしい。しかも、大切な人からいただいたもの。あ~あ。普段から扱いには気をつけていたのに、私ったらなんて不注意。
……なんてことはないでしょうか。
江戸時代の俳人である横井也有(やゆう)は、割れた茶碗についてこんなことを書きました。
割れる前の完全な、丸い茶碗は、たとえば天地がまだ分かれていない「太極」のようなものである。太極は、宇宙の元始とも呼ばれる玄妙の極致。そんな素晴らしい茶碗がふたつに割れてしまった。
が、ふたつに割れたことによって、「陰」と「陽」の二気が生まれたのである。
あ、一応、説明しておくと、古代中国で生まれた陰陽思想というものがあります。それによると、世界・万物は「陰」と「陽」のふたつの「気」によって作られているというのです。
たとえば夜が陰なら昼は陽。地が陰なら天は陽。月は陰で太陽は陽。そしてマイナスは陰、プラスは陽という具合に、あらゆる事象を陰と陽のふたつに分けて考えます。
男女もそうです。女性が陰で、男性が陽。
太極は完璧で素晴らしいのですが、そこに「男・女」という陰陽が生まれたことによって、あらゆるものを生み出すことができるようになりました。割れた茶碗は、陰陽の二気になったことによって、何かを生み出し得る存在になったというのです。
俳人、横井也有は吉田兼好の『徒然草』も引用します。
兼好法師も「月は隈なきをのみ見るものかは」といったではないか。月は曇りがないものだけを見るものだろうか。いやいや、そうじゃないだろう。仲秋の名月の夜に雨が降ったとしても、降る雨の向こうに、《あるはずの見えない月》、「無月」のことを慕うのもオツなものだよ、と。
そして、月には満月だけでなく、三日月もあるし、半月もある。新月といって見えない月もある。つまり満ち欠けがある。茶碗が割れることによって、その真理も感得できた。
満ち欠けがあるのは月だけではない。あらゆることには満ち欠けがある、それに気づけたのはなんともラッキーではないか! これも茶碗が割れたおかげだよ。
……などと、茶碗が割れただけで、ここまでいうのです。
しかも、しかも、だよ! と也有はいいます。
この世の中には「金つぎ」という技術がある。割れてしまった茶碗も金つぎによって、お茶席でふたたび使うことができるようになった。すごいでしょ! と。
仏教には「会者定離(えしゃ・じょうり)」という考えがある。「この世で出会った者には、必ず別れがくる」、そんな思想だ。
が、見ろ! 茶碗はちゃんとくっついたではないか。太極が男女の陰陽となって別れても、そのふたりが夫婦となって、交わりをして、多くの子どもを産むようなものだ。仏教を創始したお釈迦さまも「参りました」というに違いない。
茶碗だけではないぞ。太刀にもあざのような黒い影がある「あざ丸」という名刀がある。笛にも折れてしまった「蝉折(せみおれ)」という名笛がある。
これらはその傷ゆえに名器たり得るのだ。
「どう捉えるか」で「結果」が変わる
そんなの詭弁だよ、こじつけもいいところだ! なんて思う方もいらっしゃるでしょう。ま、ちょっと気を静めて。
その前に、この文章を書いた横井也有という人についてお話をしておきましょう。
「横井也有なんて聞いたこともない」
そういう人も多いでしょう。古典の授業でも習わないし、歴史の教科書にもほとんど登場しませんしね。
横井也有は前著『古典を読んだら、悩みが消えた。』でも取り上げた松尾芭蕉の一門の人、俳諧師です。ただ、芭蕉は江戸初期の人ですが、横井也有は江戸中期、ふたりの間には100年以上の開きがあるので面識はありません。
しかし、也有は芭蕉の「俳諧」的な精神をよく受け継ぐ俳諧師なのです。
俳諧的精神とは、世の中を「俳」と「諧」で読み直すことをいいます。「俳」というのはふたりでするお笑いのこと、「和」のお笑いです。あ、「和」というのは、ここでは仲良しという意味で使っています。そして「諧」も諧謔(かいぎゃく)、つまりお笑いです。「俳諧」は漫才と落語のようなものです。「和とお笑い」で世の中を読みかえる、それが俳諧的精神なのです。
起こってしまったことを元に戻すことはできません。割れた茶碗は元の茶碗には戻せない。しかし、それをどう捉えるか、どう読み解くかによって、気持ちは変わります。
ここでちょっと寄り道をして、アルバート・エリスという心理学者が創始した心理療法のひとつ、「論理療法」※を紹介させてください。
「ABC理論」とも呼ばれるもので、《出来事(A)》を《どう受け取るか(B)》によって《結果(C)》が違ってくるという理論です。いまの認知行動療法の先駆けになった理論ですが、私はこちらの方が好きです(それについては最後に書きます)。
私にこの理論を教えてくれた故・國分康孝先生は、講義のときに次のような話を紹介してくれました。
ある大学で講義中に、ひとりの学生が遅刻をして教室に入ってきた。足音も高く入ってきた彼は、バタン! と大きな音を立ててドアを閉めた。これが《出来事(A)》です。
そのとき、他の学生たちは不快な思いをした。これが《結果(C)》です。
ところが、そのときに学生たちに10ドルずつ配った。これを数週間繰り返し、学生たちの脳波を調べると、ドアがバタンと閉まる(A)と、なんとリラックスの脳波であるα波が出始めた(C)というのです。
《出来事》のAはActivating event、《結果》のCはConsequenceです。
ドアがバタン! と閉まるという《出来事》は変わっていないのに、《結果》は変わった。「論理療法」のアルバート・エリスは、これを変えたのはその人の中の《ビリーフ(B)》であるといいました。
「授業中は、ドアは静かに閉めるべきだ」という《ビリーフ》があるから気分が悪くなる。
私たちは自分の《ビリーフ》、「授業中は、ドアは静かに閉めるべきだ」を「当然」だとか、「当たり前」だとか思っています。しかし、何度かの10ドルによってその《ビリーフ》は変わってしまう。そのくらいにいい加減なものです。
そして《ビリーフ》が変われば、気分も変わる。
エリスは、楽な生き方をするためには、自分の中の「べき(should)」を探せといっています。
「大事な茶碗は割るべきではない」、この「べき」が私たちを苦しめているのです。
「忘れっぽい」のはダメなこと?
松尾芭蕉や横井也有のような俳諧師は、この「べき」を「笑いと和」で書き換えようとしました。横井也有の俳諧的な文章、俳文は『鶉衣(うずらごろも)』という本で読むことができます。先ほどの茶碗の話も『鶉衣』に載っています。
そこで今回と次回は『鶉衣』の中からいくつかの話を紹介することにします。
今回はまず「物忘れのおじいさんの物語(物忘翁伝)」を紹介しましょう。
頭がいいとか悪いとかいいますが、現代の試験ではそれを左右する大きな要素は「記憶力」です。これは記憶力がひと一倍「ない」おじいさんの話です。
私事で恐縮ですが、実は私も能を始めるまでは記憶力が悪かった。小学生のときには掛け算九九を覚えるのがクラスで後ろから二番目。ちなみに後ろから一番の子は知的障害を持っている子でした。私は6の段以上が覚えられなかった(いまでも怪しい)。
中学生になってからは英単語も歴史の年代も数学の公式も覚えられなかった。それが能を始めてから突然、記憶力がよくなりました。が、その話はいつかまたということで、早速「物忘れのおじいさんの物語(物忘翁伝)」を読み始めましょう。
「忘れ草が生えている住吉のほとりに、わびしく住んでいる物忘れのおじいさんがいました(わすれ草生ふる住よしのあたりに、住(すみ)わびたる物わすれの翁あり)」
この話は、こんな風に物語調で始まります。
「忘れ草」というのは古典でよく登場する植物です。それを身につけるとつらいことを忘れるという、物忘れの草。住吉は忘れ草の生えているところで有名でした。
そんなところに住んでいた物忘れの翁。
彼は翁、つまりおじいさんだから年を取って健忘症になったんだろうなんていう人もいますが、いやいやそんなことはない。この翁は、生まれつき物覚えが悪かったのです。
若い頃は一応、勉強をしようともした。四書五経を学んだり、漢詩や和歌をつくる会にも参加した。ちゃんと勉強する気はあったし、学んでいる間は「面白い、面白い」と楽しんでもいた。
ところが、翌朝になるとあとかたもなく忘れている。身についたことなどひとつもないのはもちろんのこと、心に残っていることすらほとんどない。
さすがに「これはまずい!」と思い、忘れないうちにメモしておこうと、硯をすって机に向かう。が、春の日は蝶や鳥に心が浮かれて書くことを忘れ、秋の夜は虫が鳴いてうるさいのと、超眠たいのでなかなか書けない。
そんな日を続けているうちに、いつの間にか年寄りになってしまった。
すると、人との約束すら、すぐに忘れてしまうようになった。
でも、自分は若い頃からの物忘れとして有名なので、人も笑って許してくれる。これはこれでラッキーでしょ。
それよりなにより「物忘れ」というのは悪いことばかりではない。
物忘れの人の利点として、この翁はふたつあげています。
ひとつは、同じ話を何度も聞いても新鮮な気持ちでいられること。
年寄りの多くは何度も何度も同じ話を繰り返す。当時は「板がえしの咄(はなし)」と呼んで、やはり若い人たちから嫌がられていました。老人が昔の話をし出すと、「あ、また例の大阪陣がはじまった」と、膝をつつきあってトイレに行くふりをして、ひとりふたりといなくなる。
しかし、自分だけは毎回、毎回、新鮮な気持ちで聞くので、話す方からすると「本当に話す甲斐のある翁であるよ」といつも満足に思われるのです、と。これがひとつめ。
もうひとつは安上がりであること。物語などを読んでもすぐに忘れてしまうので、いつも新鮮。いまなら映画やドラマもそうですね。だからいつも全く新しいものに向かう心地がする。何度読んでも、何度観ても面白いので、一生に二、三冊の書物があるだけでOK! 心の楽しみは尽きる時がない、と。
デキる人ほど、失敗に怯えて生きている
最後に也有は、中国の郝隆(かくりゅう)という人の故事を紹介します。
七月七日の真昼間、この郝隆は炎天に腹を晒(さら)して寝転がっていた。通りがかった人が「お前は何しているんだ」と尋ねると、郝隆はいう。
「七月七日は虫干しの日。俺は、俺の腹の中にある書物の虫干しをしているんだ」と。
すべての知識は俺の腹の中にある、といっているんですね。イヤな男ですね。
翁はいいます。
こんな男は、他人から何か聞かれたら、必ず正しいことを答えなければならないだろう。だから内心はビクビク、戦々兢々としているに違いない。
それに対して私などは「どうせ、あいつに聞いてもロクな答えはかえってこないだろう」と思われているから、とても気楽なものですよ、と。
これ、いいですね。
またまた私事で恐縮ですが、物覚えの悪かった私は高校に入ったときの最初のテストは、学年で後ろから二番目の成績でした。約450人の学年の後ろから二番目。ちなみに五教科の合計点は14点。一番、最下位の奴は13点でした。
「おそらく先生は自分のことをバカだと思っている」
そう思った。
で、これがとても気楽で、どうせバカだと思われているから、どんなアホな質問でもできる。ちょっとでもデキる奴だと思われていると「こんな質問をすると恥ずかしい」なんて躊躇しちゃう。頭のいいフリをしなければならなかったりもする。
この「デキない奴」作戦は、以降の私の学習法の基本になっています。何かを学び始めたら、最初はデキない奴として始める。そうするとどんどん質問ができて、そしてどんどん伸びていくのです。
これはお勧めです。
さて、この物忘れの翁の歌集には次のような歌が載っているそうです。
「わすれてはうちなげかるるタべかなと物覚えよき人はよみしか」
昔、式子内親王は「わすれてはうちなげかるるタべかな(忘れては嘆いてしまう夕べだなあ)」と詠んだそうだけれども、それは物覚えのいい人の話。最初から覚えてなければ、「忘れる」なんてないよ、と。
いいですね。この気楽さ。
でも、横井也有も最初からこんな気楽な人ではありませんでした。なんといっても武士の、しかも長男として生まれ、藩の事務に関わっていました。実直な公務員だったのです。しかし、病気がちだったこともあり、早めに引退。狭い部屋で簡素な生活を営みながら、「俳諧」にいそしみ、その俳諧的精神を身につけていったのです。
いつからでも心がけひとつで、気楽な、いい加減な人になれるのです。
次回も、横井也有の『鶉衣』から、いくつか紹介したいと思います。
※論理療法
「論理療法(Rational therapy)」は、後に「理性感情行動療法(英語: Rational emotive behavior therapy ; REBT)」などと呼ばれるようになりました。現代の認知行動療法の前身といえるような療法です。
私が、いまの認知行動療法よりもアルバート・エリスが好きなのは、彼が「べき」をなくす、真の実践者、つまり気楽な人だからです。こんなエピソードがあります。
アルバート・エリスは講演などで、その場で希望者を募り、聴衆の前でデモ・カウンセリングをしました。で、それがたいていうまくいかなかった。それでもエリスは動ぜず「私は、高名な心理療法家の心理療法は常にうまくいくべきだ、という《べき》を持っていない」と言っていたそうです。
これも國分先生から聞いた話なので、どこまで本当かはわかりませんが(笑)。「本に書く内容は、常に正しいものであるべきである」という《べき》も捨てよう。
1956年千葉県銚子市生まれ。ワキ方の能楽師として活躍するかたわら、甲骨文字、シュメール語、論語、聖書、短歌、俳句等々、古今東西の「身体知」を駆使し、さまざまな活動を行う。
著書に『あわいの力 「心の時代」の次を生きる』、コーヒーと一冊『イナンナの冥界下り』、『すごい論語』、『三流のすすめ』(以上、ミシマ社)、『身体感覚で「論語」を読みなおす。』(新潮文庫)、『能 650年続いた仕掛けとは』(新潮新書)、『野の古典』(紀伊國屋書店)、『魔法のほね』、『見えないものを探す旅 旅と能と古典』(亜紀書房)など多数。