コンプレックス プリズム

この連載について

 劣等感とはいうけれど、それなら誰を私は優れていると思っているのだろう、理想の私に体を入れ替えることができるなら、喜んでそうするってことだろうか? 劣っていると繰り返し自分を傷つける割に、私は私をそのままでどうにか愛そうともしており、それを許してくれない世界を憎むことだってあった。劣等感という言葉にするたび、コンプレックスという言葉にするたびに、必要以上に傷つくものが私にはあったよ、本当は、そんな言葉を捨てたほうがありのままだったかもしれないね。コンプレックス・プリズム、わざわざ傷をつけて、不透明にした自分のあちこちを、持ち上げて光に当ててみる。そこに見える光について、この連載では、書いていきたい。

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わたしのセンスを試さないでください。

2020年2月2日掲載

 ステッカーを買って、MacBookに貼ろうかななんて考え始めたら背中らへんに汗が出る。あえて片方の袖が長くて、あえて片方の肩がでている服、しかも首をこちらから通すこともできるんですという説明を受けながら、いろんな着方ができる服、というのが本当に怖い、恐怖、と繰り返し思った。iPhoneケースもAirPodsもおしゃれなケースにするのが一番怖い。できるだけ変なケースがいいし、もはやその焦りでケースを個人輸入するまでに至った。オシャレになりたいわけでも、ダサくなりたくないわけでもなくて、「へえ、そういうのをオシャレって思うタイプなんだね」という思考にとにかく晒されたくない。わたしのセンスを試さないでください。センス最強決定戦に勝手に参加させないでください。どうして、人はそれぞれ好きなものが違うのに、でもある程度は同じ美しさやかっこよさの評価基準を持ってしまっているのだろう。完全にそれぞれの好みが違っていればこんな決定戦に呼ばれることはないのに。最上の好きなものを見つけて幸福なにんげんが、最強かは知らないがわたしの目指すものです。

 ダサいという感覚、センスがいいと言う感覚が、あきらかに人によって違うのに、どうしてあんなにも堂々と他人に指摘できるのかわからない。「ダサい」と言うことで、また別の人間から「こいつわかってへんなあ」と切り捨てられる可能性って高いのに、どうして、やっていけるのか。こわくないのか?
 ひとが、ダサいと平気で言うのはなんなのだろう。本人はそれを選んできたのに、どうして他人がそれを否定できるのだろう。そりゃ、自分はそれを着ないなあ、とかあるのかもしれないけど、誰も着ろと言ってない。自分も着てみたい服をどこからか見つけてきた人がいたら「えー、すてき!」って言いたくなるのはわかるけど。それだって、「それを選ぶあなたっていいセンス」ではなくて、「私もその服好きだわ~!キャピ」でいいのではないか。センスがあるなしで人を評価しようとする限り、あなたもまたその目で誰かに見定められてしまう。好きなものを好きというだけで選ぶことが困難になる一方なのだけれど、しかしそれでもセンス最強決定戦は続いていく。

 服をもっと好きになればいいのだ、と私は思う。だから思う。もっとめちゃくちゃに服を好きになって、見る人が「もうこの人は世界の基準など無視している!」と思うほどに服に狂えばよいのだ、と思う。服が好きだ、猛烈に好きだし、狂っていると言えるほど買うけれど、でもそれが、センス最強決定戦から逃れるためだ、というのもあながち嘘ではない気がしている。こんなことがなければもしかして、服をここまで好きにはならなかったのではないかって。iPhoneケースだって、ケースがすごく好きな人みたいにずっと検索して、これだという珍妙なものを探し出した。ケースにこだわる人、みたいになっている。本当は、センス云々の戦いから脱出したいだけだったのに。

 ファッションというのは他人に見せるものだから、他人への圧であることはたしかなのだ。どんなに好きなものを身につけていても、それが好きな私です、という自己紹介にはなってしまうし、どうやってもそのことを加味したコミュニケーションが行われる。かわいい服を着ている人にはパンケーキ食べに行こうかというのに、大人っぽい服を着ている人にはむしろお酒のほうがいいのかな?と勝手に推測してしまう感じ。そしてそれをどこかで許している空気がある。だって服は顔とか体型と違って、ある程度自由にえらべるものだから。え、本当か?わたしはこの感覚がマジでわからない、あれだけダサいとかセンスあるとかいう視線で満ちたこの世界で、ほんとうに服は「自由」なのか? 服で、その人の感性や趣味を知ることができると思っている人はあまりにも能天気すぎないだろうか。服を自由に選べるのは、服に魂をかけている服狂いだけである。選ぶ、という猶予をあたえているからこそ、余計に不自由になっていく。何を選んでも背後から「あ、それを選ぶんだ~」という声が聞こえるこの世界よ、去ね!

 そういうわけでわたしは服狂いとなった。自由にできるお金のほとんどを服に使うし、服を探すためなら何時間でも歩き回れるし、私はだから自分をめっちゃ服が好きだと信じているしとても楽しんでいるけれど、本当はそれだけじゃないんじゃないかとどこかでずっと思っている。狂うほど好きになるほうが、ほんといろいろ楽と、正直思ってしまうんです。本来なら服が好きなわけでもないひとも、服に対して自由であるべきだし、それを許さないこの世界こそわたしは嫌い。どうか、わたしのセンスを試さないでください。愛などなくても服を自由に、選べる世界で、狂気を捨てたい、以上、最果タヒでした。

著者プロフィール
最果タヒ

詩人。中原中也賞・現代詩花椿賞。最新詩集『愛の縫い目はここ』、清川あさみとの共著『千年後の百人一首』が発売中。その他の詩集に『死んでしまう系のぼくらに』『空が分裂する』などがあり、2017年5月に詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』が映画化された。また、小説に『星か獣になる季節』、エッセイ集に『きみの言い訳は最高の芸術』などがある。