コンプレックス プリズム

この連載について

 劣等感とはいうけれど、それなら誰を私は優れていると思っているのだろう、理想の私に体を入れ替えることができるなら、喜んでそうするってことだろうか? 劣っていると繰り返し自分を傷つける割に、私は私をそのままでどうにか愛そうともしており、それを許してくれない世界を憎むことだってあった。劣等感という言葉にするたび、コンプレックスという言葉にするたびに、必要以上に傷つくものが私にはあったよ、本当は、そんな言葉を捨てたほうがありのままだったかもしれないね。コンプレックス・プリズム、わざわざ傷をつけて、不透明にした自分のあちこちを、持ち上げて光に当ててみる。そこに見える光について、この連載では、書いていきたい。

20

何もしたくないわけではないし、できないわけでもないが、しない日。

2023年1月12日掲載

 今日はなんにもできなかった日。しなくてはならないことが山積みなのになんにもできなかった日。朝が来ることをカーテンから滲み出てくる光が知らせる、私は落胆もがっかりも全力ではできなくて、ただ、沼の底に棲みついてしまったんだなあと思う。自分の未来のことについて考えることなどできない、未来がどうなるのかわからない、どうなろうがこの時間に変化が訪れるならそれだけで「まあ、いいんじゃないですかね」というような気持ちにもなる、ねばつきながら。目標を持てとか、持つなとかみんなうるさい。未来が来るとか未来をどうするかとかそういう話がもうしんどい、今をどこまでも心地よくする方法を教えてくれ、まずは時間を止めるべきだと私は思う、未来のために今を鰹節のように削るのはもううんざりだいつまでも、今そのものを丸かじりできず、それがために、だるくてだるくて、たまらなくて、削ることも適当に。

 鰹節とか。
 比喩なんてどうだっていいんだよ、今の時間が充実しないことに、今の私は疲弊をしている。何かを成し遂げたいとかそういう気持ちですべてが満ちたら楽だろうが、そうではなくて、もっとただじっとすることを願っている細胞があって、そういうのに身を委ねて、時間が過ぎていくのを目玉を動かすこともなく、眺めているのだ。私はすごく疲れていて、それはどのみち、何をしようがしまいが変わらないのだけれど、疲れに見合った「経過」がないと、その疲れを支える気力が湧かなくて、とにかく嫌になってしまう。人の痛みとか苦しさを描いた物語が好きじゃない、理由があって傷つく人ばかりだからだ。理由がないせいでしんどさが、ただひたすらしんどさとして襲うことに、疲弊している私がこれらに共感したところで惨めでたまらなくなる。なんにもしてない、なんにもしてないから疲れる、なにかがしたいとか、充実したいとかじゃない、したくない、って気持ちもあって、それがでもそれだけじゃないから、長いため息が出る、そのことを誰もなにも語ってくれなくて、世界はずっと目的と過程と失敗と成功に満ちている。理由なく死んだ目になる時間を、肯定してほしいわけではないが、美しい景色や柔らかいベッドのうえで、日差しを浴びていたら、たぶん、こういう死んだ目の自分さえ、死んだ時間さえ、ちゃんと昇華されていく気がしていて、遠くに行きたいと思うが行くような元気はどこにもない。ただ、この日々は綺麗でも柔らかくでもないなー、ということだけがわかる。わかる。老人になってもこの憂鬱を忘れたくはないな、死が怖いからって生きることは素晴らしい、時間を無駄にしてはいけないと、張り切ることはしたくないな、余命が短くなった頃もどうか、無為な日々を過ごしていてくれ、そうしてため息をついていてくれ。そうでなくては私が私でない気がしてめっちゃ怖い、と、思いながらそろそろと、やらなくてはならない何かをやるのはやめて、就寝をする。
 生きることの辛さみたいなものを描いた作品を読むと、自分のは辛いとかではないのではと思う、どっちかというと「だるさ」なのかもしれず、でもそのだるさが自分を侵食して辛くてたまらない、価値のない徹夜をした時に見る朝の光や、通学路を走る子供たちの背中とか、そういうのをみて、生きるって大変、とかではない言葉が欲しい、と思う。だるいとかめんどうとか、そういうのでもなくて、それらに侵食された私の辛さが辛さとして言葉になってほしいのだ。

☆このたびWeb連載「コンプレックス プリズム」が、再編集と加筆修正をし、書き下ろしを加え書籍化されます。3月18日(刊行予定)。

リンク先:http://www.daiwashobo.co.jp/book/b497715.html

著者プロフィール
最果タヒ

詩人。中原中也賞・現代詩花椿賞。最新詩集『愛の縫い目はここ』、清川あさみとの共著『千年後の百人一首』が発売中。その他の詩集に『死んでしまう系のぼくらに』『空が分裂する』などがあり、2017年5月に詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』が映画化された。また、小説に『星か獣になる季節』、エッセイ集に『きみの言い訳は最高の芸術』などがある。