ときに小学校で子どもたちと。ときに企業で大人たちと。ときにカフェで互いに見知らぬ人々と。
小学生から大人まで、いろいろな場で哲学対話をひらき、実感する対話のこわさ、わからなさ、そしてむずかしさ。
世界にまみれながら、書くことを通して、対話を探し回ることを試みる。
上田假奈代さんと一緒にもっとむずかしい対話をする
大阪の西成区にある日雇い労働者のまちと言われる釜ヶ崎に、かなよさんは根をおろしている。喫茶店やゲストハウスのふりをして「表現とであいの場」をひらくココルーム。まちを大学に見立てた釜ヶ崎芸術大学もおこなわれる。かなよさんの言葉は、生きている。勝手にうごき、勝手に入り込み、勝手にぐんぐん育ってしまう。ひとりでいるときも、かなよさんの言葉が暴れ出して、わたしを釜ヶ崎に連れて行く。わたしのからだは新幹線に乗り、御堂筋線に乗って動物園前駅で降り、おじさんたちとすれちがいながら、ココルームにはいっていく。「こんにちは」とスタッフのふうゆちゃんやげんちゃん、しょうゆさん、きょうかちゃんが声をかけてくれる。かなよさんが奥から出てきて「ご飯食べた?」とわたしとわたしのからだにきく。こんにちは。
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家事と事務
永井:最近のココルームはどうですか。
上田:ココルームって本当に「暮らし」なんだよね。生活の時間軸で動いている。朝掃除して、物運んで、お店がオープンして、昼ご飯の準備して、食べて、片付けて。掃除したり、いろんなひとが来たりして、また17時ぐらいから夕ご飯を作って、みんなで食べて、片付けて。で、ちょっと一息ついて、お茶飲んで、店を閉めるっていう。「暮らし」が毎日繰り返されて、一定のリズムが流れてるから、わたしもやれてんのかなっていう気もするな。
永井:ココルームは「家事と事務」という言葉を大切にしますよね。ここに何が込められているんですか。
上田:たとえば「イベントがあります」って言った時に注目されるのは、その場を進行しているひとであったり、ココルームだとよくアーティストが脚光を浴びるわけだけど、でもその場を作るために、地道にいろんな事柄を整えてくれたひとたちがいて、その場がやっと立ち上がってる。その場を支えているのは、家事的な振る舞いの眼差しと身体の動かし方なんだよね。ココルームはいろんなものを受け入れるっていう心持ちでしょ。そしたら、本当にいろんなものが投げ込まれてくる。で、それらをあるところの場所に収めていかないことには、ただカオスで、混乱して、何がなんだかわかんなくなっちゃうことになりかねないから、それを整える家事的な身体性が、結構大事なんじゃないのかなって思っている。得てして、それは裏方であったり、表に出てこないひとたちね。女性たちもそうだろうし、何かを大きく表せないひとたちが支えてくれてることって多いから、そこで「家事と事務」をシンポジウムっていう名付けをすることで、みんなで話してみたり、SNSで見てくれたひとが、ちょっと思いを馳せたりできるような企画を、15年くらい前からしている。
永井:わたしがはじめて参加した釜芸(釜ヶ崎芸術大学)では、かなよさんが石垣りんの「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」を朗読したんですよ。それがココルームに惹きつけられた、まず最初の衝撃だったんですよね。やっぱりどうしてもココルームは、祝祭的とか、めちゃくちゃですごいとか、そういう評価が多いと思うんですけど、一方で、家事や事務に根差し続ける。それはここの場所に根を張るってことと同時に、暮らしを続けるとか、生活を続けるということなんだって気づかせてもらって、揺さぶられたんです。
釜ヶ崎芸術大学は、まちを大学にみたてた活動だ。講座は詩、合唱、死、ガムラン、狂言、おかゆまで多種多様。一度参加すると学生証をもらえて、卒業はないが、奇妙な校歌がある。とにかく集まって、からだを動かしたり、言葉を見つけたり、一緒に座ったりする。釜ヶ崎で暮らすひとだけでなく、学生や、外国籍のひとや、子どもまで、いろんなひとがくる。
上田:いい詩ですよね。遅すぎることはないんやねって思えるよね。ココルームでは、みんなで喋るっていうの、よくやってるよね。たぶん哲学対話みたいな場だと思うんだけど。
永井:そう思いますね。話すもそうだし、きく。
上田:ききあうのもそうだよね。
はい、と言う
永井:「きくことによって自分の言葉が見つかる」っていうのが、対話だなといつも思っていて。でも、「きく」だけじゃなくて「表現」という言葉が重さを持ってきたのは、ココルームとの出会いがきっかけだったと思うんですよ。考えを話すってまさに表現だし、言葉を出そうとしてるひとの身体のあり方も表現ですよね。
上田:わたしもそういえば、話すことの始まりはきくことだっていつも言ってるね。きいて、考えて、自分の心の中が動いて、自分が変わったっていうことを表すことが表現なんだと思うのね。そして、その表現をしたら、今度はまた誰かがきくでしょ。また起こるでしょ。みんなが、ちょっとずつ、ちょっとずつ、自分を動かしている。
永井:あとね、ココルームでは、誰かが涙を流したとしても、「はい」みたいな感じ。
上田:ふふふ、そう、そう。自分が表現をする時って、いろんな意識をもたらすこともあって、ちょっとええ格好してしまったりとか、喋れている自分に入っちゃったりとか、なりがちだなとも思ってて。そうじゃなくて、みんなの表現にひらいていく。進行側としてはみんなの表現が等価にあるっていうことを示す「はい」なのよね。
永井:かなよさんの「はい」がね、すごく大事だと思うんですよね。あの「はい」は、すぐに真似できない「はい」で。でも受け止めてるんですよね。別に相手を「よしよし」してるわけじゃ全くないんだけど「受け取ったよ」っていうのがあるから、言葉が床にどさっと落ちない。場が受け止めたよねってことをかなよさんが確認するみたいな感じ。「はい。じゃあ次のひと」みたいな動きがすごく好きで。
上田:れいちゃん、そんなところ見てたの? 年に1回お盆の8月、お墓で詩を作って朗読するのをもう二十数年しててね。その時は、身近に誰かを亡くしたひともやってくるのね。で、言えなかった言葉を綴ることが多くて。号泣するよね。その場を進行しなくちゃいけないのよ。お墓暗いから、朗読終えたひとが懐中電灯でね、次のひとを照らしてあげないと手元が見れないわけね。で、朗読したひとは泣いてるんだけど、わたし「次のひとにライト当ててあげてね」って言うの。
永井:それは、そうですよね。そういうことなんだな。すごくいい話ですね。
上田:あなたは今、そうやって自分の表現ができたけど、次のひともするから「促す」わけね。次のひとに懐中電灯当てながら、息を潜めて多分クールダウンしていくと思うんですよ。自分の表したかったことが、この日、この夜にできて良かったな、とか思えていてくれたらいいな、次のひとが読んでいる横に立ってるってことがいいな、と思ってるん。
永井:語り手がひとりでいるわけじゃなくて、まずきき手がいるから語り手になれるし、語り手もまたきき手であるということが立ち現れてくるのが、場のすごみだと思うんですよね。対話が終わった後に、「あれは私の意見だったのに」みたいなことって、実は起こりづらい。自分が考えを表現できた手触りと同時に、それをみんなに作ってもらったなっていう感覚になるのが面白かった。でもね、19歳までひとまえで喋れなかったんですよね、わたし。
上田:ずっと言葉あたためてた。探してた。
言葉をあたためる
永井:そういう感じがする。でもある時、「言いたいこと」が「言えない」を超えたんですよ。パーンって言葉が出ちゃった。
上田:思い出した! 30歳過ぎくらいの時に、目の見えないひとたちの施設に行って、ワークショップをすることになったのね。特に中途失明の方たちってすごく苦しいし、自分の声を閉ざすことになりがち。輪になって子どもの時の思い出を1つずつ話すことにしたの。みんな、いろんな話をしてくれたけど、一人女性の方が全然話せなくて、沈黙の時間がしばらく続いたのね。で、彼女の肩をポンと触れて、「いいんですよ、話さなくていいよ」って感じで次のひとに移ったの。彼女は険しい表情ではあったけど最後までワークショップに付き合ってくれた。そのことが彼女にとって嫌なことだったのか、どうなったのか、わかんないまま。それからしばらくして、施設の職員さんが教えてくれたの。その日彼女のお部屋に入った時に、彼女が「自分の子供の頃の話をいっぱいしだした」って。「あ、そっか」と思った。ついつい自分が今いる目の前で起こっていることに「そういうことなんだ」って考えちゃう。でも、その時に何かが起こったり発語されなくても、心は動いてて、それをきいてくれるひとがいたら語り出すんだなと思った。
永井:うんうん、いろいろ思い出しますね。学校で対話の場をつくるとね、先生たちや教育委員会のひとたちって中に入りたがらなくて、外から見てたりするんですけど、終わったあとに「今日の対話は成功ですか」なんて聞かれるんですよね。でも「成功ってそもそも何だ?」っていうのもあるし、いま、ここの目の前で起きたことだけじゃないことがここでは起きている。「じゃあ笑顔の数が多かったら成功?」「全員が発言していたら、わいわい盛り上がっていたら、成功?」って思ってしまう。わたしは、対話は時間でぱっと終わるんですね。それは、終わらせないために、あるいは終わることはないから、時間で終わるんです。だって、もう対話しちゃったら動き始めちゃう。それが出会いの凄まじさだなと思います。
おじさんの死の立会い
永井:かなよさんはどのくらいおじさんたちの旅立ちに立ち会ってきたんですか。
上田:だいぶ立ち会ってるよね。しっかりお葬式まで行けたらいい方。死んだっていう知らせが取れるひと、取れないひと。いつのまにか顔見てないっていうひともいる。何百人かなあ。
釜ヶ崎はつくられたまちだ。日本の高度経済成長を支えるために、全国から日雇い労働者が集められた。労働環境は劣悪だった。かれらの汗を吸って、ビルはどんどん高くなり、都市はどんどん太っていった。景気が悪くなり仕事がなくなると、かれらは路上へ締め出される。「行ってはいけない」「あぶないまち」と言われ、今でも無邪気なまなざしが向けられている。さまざまな病、過酷な生の積み重ねによって、このまちは全国市町村でいちばん平均寿命が短い。
永井:どんなひとたちがいましたか。
上田:いろんなひとたちがいるよね。その生い立ち、様々ですよね。たとえば戦争に行ったひとたちを親に持っているよね。日本の歴史とも重なってる。戦後の喪失、苦しさであったり、トラウマであったり、格差であったり。親がいないとかもそうだよね。「日本」っていう場から見たら、戦争をきっかけとした傷つきの中で生きてきた無名のひとたちの人生なんだろうな、と。それらを一人ひとりは、それぞれの仕方で、一生懸命働いたり、誰かにかける優しさであったり、面白く生きる方法だったり、ユーモアだったり、たくましさをっていうものを表してくれたな。
永井:ココルームは「支援の場」って言われちゃうこともあるだろうけど、全然違いますよね。
上田:ちゃうちゃうちゃう。おもしろいからやってる。ココルームを支援の団体だと勘違いして、自分の冤罪をなんとかしてほしいってお願いに来るおじさんがいてね。もうめんどくさ!ってひとやったんですね。でも彼は、それでも何回も来るし自分のことしか喋らへんから「うち釜芸(釜ヶ崎芸術大学)っていうのやってて、みんなと話したりもするから、来たら?」って言ったら、「行かん!」って。1年目は釜芸には全く来なかったの。2年目の時に「わかった!」と。「おもんなかったら、俺は自殺するからな」。
永井:ああ! そのひとなんだ。
上田:って言うから、「…もう、してください!」
永井:ふふふ。
上田:2年、3年ぐらいした時には、皆勤ぐらい来るようになるのね。「こたね(こころのたねとして)」は二人でお互いにききあって、詩を作るん。彼はひとの話がきけへんの、きいてもらえるだけやねんね。彼が書く詩は、相手の見た目とか年齢とか、どこから来たとかっていう情報だけで、妄想で詩をつくるの。相手のひとは彼の話をきいて詩をつくってくれるのに、ひどいよね。でもね私はそのことね、とがめなかったの。ペアを組む時に、許してくれそうなひとをペアに当てて進めてたのね。で、3年ぐらい経った時かな。気がついたら彼が質問してたの。すごい。もうびっくりした。さらに、わたしが進行してんのに、彼がわたしより先に進行しはじめて。めちゃくちゃおかしい。
「こたね」とは、かなよさんの詩作のワークショップだ。二人一組になり、互いに話をききあい、それをもとに詩作をし、互いに朗読をする。わたしが生まれて初めて詩をつくったのは「こたね」だった。ペアになった常連のイトウさんは、慣れた手つきでわたしの話をあっという間にききだし、デッサンをするみたいにすらすらと詩をつくってしまった。イトウさんは釜ヶ崎にたどり着いたおじさんで、わたしの面倒をよく見てくれる。イトウさんのことは、釜ヶ崎芸術大学のチラシに「ようやく一人になる」というタイトルで書かせてもらったこともある。
永井:わあ、変化ですね。
上田:本当びっくりして。で、ある時ね「なんでここでこんなに通ってくれるようになったん?」ってきいたら、「ご飯誘ってくれたやろ」って言うの。でもわたし誘ったことないんよ。どういうことかっていうと、ココルームには小上がりがあってちゃぶ台置いてご飯をみんなで食べてたんやけど、彼はいつもカウンターに座るわけ。ご飯の時間になると、わたしが彼に「ご飯を食べますね」を沖縄風に「ご飯食べましょうね」って声かけてたのね。それをね「ご飯誘ってくれたやろ」って捉えてたのね。
永井:偶然性や、誤読みたいなものが、また出会いを生んじゃうんですね。その方は、すごく大切に、大切に心の箱にしまっていたわけですよね。ほら、イトウさんが、かなよさんに「あんたには帰るとこあんねんで!」って叱られたことをすごく大事にしている話があるじゃないですか。かなよさん自身も意図せずに出てしまった言葉。このひとにこの言葉を真剣に手渡したいっていう時もあるんだけど、でも、そうじゃなく、何気ない振る舞いだったり、思わず言っちゃうみたいなことが、相手の身体に入って、ずっと動き続けるみたいなことってあるんだなって、ココルームにきてから思うようになった。やっぱ侮れないな、言葉って。
上田:ほんとだよね。その「ご飯食べましょうね」が、そうやって誤読されたっていうのが、大事なことやなと思う。もしかしたら、そう誤読したかった。誤読させてしまうことを、良しとしてた。逆の誤読もね、世の中にはいっぱいされてしまうわけなんだけど。
からだとことば
上田:言葉も大事なんだけど、一方で「身体」やなって。身体を動かすことから、言葉がほぐれてくるっていうのはあるよなって思うようになっててね。
永井:うんうん。たとえば?
上田:二つ、今思いついて、一つは、単純に身体を動かす。
永井:みんなで朝ラジオ体操するみたいな。
ココルームは毎朝10時にラジオ体操をする。庭ですることもあるし、商店街でやることもある。自転車や歩行器のおじさんたちが通りすがる。音源はスマホからYoutubeを流すのだが、イタリア語バージョンとか、津軽弁バージョンなので、何を言っているのかはわからない。だからとにかく、めいっぱいからだを動かす。
上田:そう。もう一つが、営みだったり、そのひとが知ってる動作を一緒にすること。「井戸掘り」とか、皿を洗うひとがいて、皿を洗うのを一緒にやってみるとか、身体を動かして、一緒に何かやってみることで出てくる言葉がちょっと変わる。
永井:それをきいて思ったのは、朗読ってすごい身体を通す行為だなと。対話でも、たとえば誰かの戦争の証言をみんなで朗読してみたり、言葉を紙に書きなおすとかも、そうだと思うんですよね。
上田:朗読はね、すごい身体ね。身体はね、嘘がつけないんだな。
永井:ああ、そうか。
上田:言葉は嘘つけるけどね。
永井:京都で一緒にやったときに、かなよさんが床に横たわって、詩を即興でつくったの、おもしろかったな。もうすごかったですね、あの日は。即興って、すさまじい偶然性の中でやっていくけども、ただカオスの中に身を浸してるわけじゃなくて、なんだろうな、出会おうとしてるんですよね。言葉とか、生の断片、他者に出会おうとしてる構えみたいなものがある。対話なんてまさに即興そのものなんだけど、それがこわいとも言われるんですよね。どうやったらひとりでやれますかってよく聞かれる。自分と向き合える時間ですねとか。なんでそんなに自分のことを考えなきゃいけないんだろう。自分のことなんて忘れてもいいのにな。
京都にある梅小路公園で、Kyoto Interchange企画であるかなよさんの即興セッション「そのために、ここで、話をする。とりわけ、働くこと、自由、表現について。お金か、時間か、損得か。何が幸福か。」があった。音楽家の野村誠さん、ダンサーの砂連尾理さんと並んで、わたしにも声をかけてもらった。とにかく何もかもが即興で、準備した紙はくしゃくしゃになり、観客は巻き込まれ、数秒先も予想できなかった。セッションは4時間近くにわたった。
上田:みんなね、おもしろいっていうことを忘れてんじゃないの。
永井:確かに。おもしろい、そうですね。
上田:「おもしろい」が一番おもしろいでしょ。だって一人でいてもおもしろくないやんね。
永井:他者がいないと一人にもなれないじゃないですか。最近「わたし」だけが単独でフォーカスが当てられてて、そこはもういいんじゃないかって思うんですよね。
上田:匿名化して自分が表せないから、自分がなくって、つまんなくてたまらないんでしょうね。
永井:自分を大切にすることって、自分を手放すことでもあるなとね。だから「きく」がある場に来るっていうのはいいなと思うんですよ。他者がなだれこんできて、自分どころじゃない、ごうごうと風が吹いているような場所にいるみたいな感じだから。
上田:コップいっぱいになったら次足せないから、一回捨てなきゃねみたいな。そんな感じだよね。これはちょっと関西的な思考なんでしょうか。おもしろいがいちばん、みたいな。
永井:そんなことないと思いますけどね、うん、 おもしろいですもんね、実際ね。
上田:消費されるようなおもしろさではなくてね。
永井:「消費」といえば、ココルームでかなよさんが抗おうとしてることって何ですか?
上田:自分でもちょっと厳密すぎるかなと思うのはココルームを消費しようとしてるひとについては、やっぱりちょっとイライラしちゃう。この場を自分に都合よく解釈してるひとや、あるいは、他ではお金を使うのにココルームを無料使いするひと。そういうひといると嫌やなと思う。
永井:そういうのはかつて何度もあったんですか。
上田:そうやねえ。「支援してくれて当たり前でしょ」とかも困る。そのひとにも、きっと支援されたいぐらいには、色々困ってることあるんでしょうけど、その言い方されると、ムカつく。いきなり都合よくされてもな、嫌だなと思うな、やっぱり。
永井:今の話で思い出したのが、ココルームはちゃんとイライラしますよね。おもしろいとか、朗らかなイメージを外から見られることあるかもしれないけど。これもよく思い出すのが、釜芸で順番にしりとりをしながら自分で自分に名前をつけようってなって、かなよさんの番が「る」だったんですよ。そしてね、かなよさんが「ルンルンなんかでやってられるか!」って名前をつけたの。ココルームのね、そのままならなさっていうか、長く生活に根差してやってるぞっていうことを感じたんですよね。おもしろかったな、あれは。
上田:でもそうやって聞くと、ちゃんと、自分の持ってる感覚をその場で言えるタイミングが色々ある場所なんですね。
永井:確かにね。思ったこと言うっていう。かなよさんはおじさんともちゃんと喧嘩してる。
上田:それ大事だよね。なかなかね、気遣って、みんな言えないもんね。
永井:釜芸の理念「のびのび自由に責任を果たす」にも通じるところがありそうです。
上田:ついついクレーマーになってみたりとか、これが悪いでしょっていう指摘だけすればいいと思ってる態度って、このところ顕著だなと思ってる。でも、自由にサービスを受けようって思うことは、実は誰かが責任を果たしてるわけだから、じゃあ自分は何の責任を果たしてるのかなって考えたいと思う。ここでのびのびするっていうことは、みんながのびのびできるっていう責任をみんなで背負おうねっていう重たい言葉なんだけど、のびのびという言葉でなんとか跳躍しようとしてる。で、一方、どうしても責任取れないことってある。でも、そのことを心配してたら何にもできないよって思っているの。責任果たすっていうこと自体も、無理かもしれへんけど、でも、できることはするから、できなくてもやってみることはするから、のびのびやりましょうって思ってます。
永井:かなよさんが出会ったおじさんたちの遺骨のことまで考えるっていうのは、そこに繋がってくる気がするんですね。責任っていう言葉ってすごく怖いけど、応答するってことだろうなと思ってて。しかもそれが「応答すべきだからするのだ」っていうよりは、「もう出会ってしまったので、応答せざるを得ません」みたいな感じ、自分で握り返すようなものだなっていう感じが、今きいていてしましたね。
ココルームはお葬式もする。「銀河鉄道をつくった」と言っていた常連のアンドウさんは、ココルームの庭で見送られた(その写真は2024年前期の釜芸のチラシの表紙にもなっている)。このときのかなよさんは、釜芸最後の一期生であるサカシタさんの遺骨をどうするか奮闘している最中だった。アンドウさんもサカシタさんも、忘れられないひとたちだった。
そしてやはり、おじさんたち
永井:サカシタさんが天国に卒業されて、それ以外で残ってらっしゃる方って少ないですか。
上田:もういないに等しいかもしれない。なかなか気難しいのが一人いるんですけど。いろんなおじさんいたよなあ。オオツボさんっていうクマちゃんみたいなおじさんがいてね、そのひとが突然、釜芸に参加してくれた。本当、喋らないひとだったのね。写真の講座に参加してくれて、講座が終わった翌年に、今も写真撮ってるっていうから、何撮ってんですかって聞いたら、部屋にある花を撮ってるって言っていたの。忘れられないの。でもいつ死んだかもわかんない。サカモトさんっておじさんも釜芸の初期のひとなんだけど、このひとも本当に喋んないひとで、座布団代わりに段ボールを持参してやって来るの。1時間ぐらいは先生が喋って、後半みんなで喋る講座も多かったんだけど、 喋るの苦手みたいで、前半だけ参加して、後半帰る。詩の講座も来てくれるんだけど、詩は朗読してくれないわけよ。私、彼と組んだことがあって、サカモトさんの話を聞いたの。トラック運転手だったの。土砂運んだりして、あちこち行ってるんだよね。信頼されてた運転手やって感じたわ。地名を散りばめて詩を作ったんだけど、私の詩は作ってくれなかった。そのサカモトさんが、 何年かして、詩の講座のときにね、いきなり窓辺に歩いていって、外向いて、自分が作った俳句を読んでくれたん!めっちゃびっくりしたん。よかったなあ。
永井:言葉を出した。
上田:勇気です。勇気出した。
永井:場をひらきつづけていると、そういうことが起こりますね。あまりお話されない方が多かったですか。
上田:うん。でも、おしゃべりなひともいるんよ。市民館の下の玄関のとこで、ずっと飲んでるおじさんがいてて、すごい機嫌のいいひとなので、釜芸にもやってきて。「詩かくんやで」って言ったら、サラサラサラって自分の思ってることを書いて帰っていくようなひともいた。釜芸が2時間あるんだけど、最初はその時間座れないんだけど、 だんだん長く座れるようになっていく。そういうことって、本当ね、大事なんよね。『星の王子さま』といっしょよね、慣れるっていうこと。このおじさん、通天閣のペンキ塗ったってのが自慢でね。そうそれで、ここのゲストハウスのペンキ塗りに来てくれないかなって誘って、キッチンのところの青いのを結構塗ってもらったん。酔っぱらってるのと、足腰が弱くなってたこともあって、梯子から落っこちてね。
永井:おもしろいなあ。「おもしろい」っていろんな色がするんだなって思いますよね。ままならなさでもあるし、爆発するような笑いでもあるし。アンドウさんとかそうでしたけど、「もう大変」みたいな笑いもあるし。
上田:でも「大変」が時間経ってからおもしろく感じるの不思議だよね。
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わたしたちの話はいつもいきなり終わる。ぷつんと糸がきれたみたいに、ああ、そろそろ終わりだな、と互いにわかって、終わる。あるいは、ココルームに泊まりに来たゲストや、店頭のバザーからきこえる「これなんぼ?」の声にこたえるようにして、終わる。わたしたちは立ち上がり、かなよさんは家事と事務に、わたしはおじさんたちとすれちがいながら歩いて御堂筋線に乗り、東京に戻っていく。そして生活はつづく。つづいていく。
上田假奈代(うえだ・かなよ)
(詩人) 1969年・吉野生まれ。3歳より詩作、17歳から朗読をはじめ、18歳から京大西部講堂に出入りし、今から思えばアーツマネジメントを学ぶ。「下心プロジェクト」を立ち上げ、ワークショップなどの企画、場作りを開始。2001年「詩業家宣言・ことばを人生の味方に」と活動する。2003年、大阪・新世界で喫茶店のふりをしたアートNPO「ココルーム」を立ち上げ、2012年に開講した「釜ヶ崎芸術大学」はヨコハマトリエンナーレ2014に参加。2016年ゲストハウス開設。釜ヶ崎のおじさんたちとの井戸掘りなど、あの手この手で地域との協働をはかる。大阪公立大学都市科学・防災研究センター研究員、NPO法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)代表理事。堺アーツカウンシル プログラム・ディレクター。大手前大学非常勤。
哲学者・文筆家
人びとと考えあう場である哲学対話をひらく。政治や社会について語り出してみる「おずおずダイアログ」、せんそうについて表現を通して対話する写真家・八木咲とのユニット「せんそうってプロジェクト」、Gotch主催のムーブメントD2021などでも活動。著書に『水中の哲学者たち』(晶文社)『世界の適切な保存』(講談社)。第17回「わたくし、つまりNobody賞」受賞。詩と植物園と念入りな散歩が好き。