2024/11/25-2024/12/08
2024/11/25 月曜日
翻訳。もうどれだけ訳しただろう。終わりが見えないとは翻訳者がよく言うセリフだが、本当に終わりが見えない。連日、平均して1万ワード程度は訳していると思うけれど、なかなか追いつかないと焦る。とある一冊はすでに100ページを超えて、文字数は137302(原稿用紙で340枚程度)。しかし、まだ全体の6割。スピードを上げないといけないが、連載原稿もあって、なかなかどうして大変だ。これで家事がなければ楽なのだが、それはもう、言いっこなしだと自分に無理矢理言い聞かせている。
終わりが見えないと書いたが、6割できたということは、実は終わりは見えていると言ってもいいと思う。翻訳は、半分まで到達したら、ある程度は安心できる。折り返しの後は下り坂が多いからだ。翻訳する対象の書籍とは、ほぼパートナーみたいな関係になり、著者とは友人ぐらいの関係性を築いているタイミングだ(すべて妄想かもしれないが)。だから、あとは勢いと粘り強さだけ。粘って粘って、寄り切って倒して、ようやく一冊が終わる。
2024/11/26 火曜日
この日記も、あっという間に二年だそうだ。書きはじめは日記にしては妙に多い文字数だったが、最近は若干落ち着きが出て、文字数も減少傾向にあるそうだ(担当編集者さんが文字数をカウントしてくれた)。大和書房担当編集者の鈴木さんは、続けて下さいと言ってくれたし、編集長もOKを出してくださったというので、三年目も私の特に珍しくもない日常を書かせて頂こうと思う。ただ忙しいだけの日記だが、日々記録している日常が連載記事になるというのはありがたいこと。自分にとっても、貴重な記録となるので諦めずに続けたい。私のたったひとつの特技、それは「淡々と続けること」なのだ。
2024/11/27 水曜日
書評を依頼され、大苦戦。今日は調子が悪い日だったのかもしれない。原稿用紙4枚程度を、さっと書ける日と、まったく書けない日がある。午前中すべてを使ってようやく書いて、送った。その後は、一人お疲れさん会(インターネットショッピング)を開いた。今日はSunDiskの外付けSSDを購入。容量が2TBなのに、ものすごく薄くて小さいらしい。それだけではなんとなく気分がぱっとしなかったので、本を数冊購入した。すべてノンフィクションだ。
2024/11/28 木曜日
土曜日に出演するラジオ番組の事前質問の答えを書いてディレクターさんに送る。北野誠さんが出演しているラジオ番組だ(CBCラジオ「北野誠のズバリサタデー」)。北野さんと話をすることになるが、学生の頃の自分に会えたら、伝えてみたい。あなたは将来、北野誠さんとラジオで話すことになるのだと。関西に住んでいる人間としては、それほどの衝撃である。内容は高齢者介護についてで、これも学生だった頃、将来自分がぶち当たりまくる大きな壁になるとは想像もしていなかった。
質問事項はいくつかあったが、事前にディレクターさんから、北野さんはもしかしたら質問の内容以外のこともお聞きになるかもしれませんので、よろしくお願いしますと言っていた。大川総裁も出演するそうだ。
2024/11/29 金曜日
今日はメンタルクリニックの診察日だったのだが、締め切りがあったので大変不本意ながら、予約の変更をしてもらった。受付の人が大変怖いので、細心の注意を払いつつ、電話をした。予約時間は11時半だったが、9時5分頃、開院直後に電話をして、まず、用件を言った。そうしないと途中で遮られ、名を名乗れと言われる。しかし、最初に名乗ると、用件は何かと遮られる(様子を待合室で聞いたことがある)。今日はどのパターンかわからなかったが、とにかく用件を優先した。
「すいません、予約の変更をお願いし……」
「いつの予約ですか」
「今日の11時半から予約しておりm」
「お名前は?」
「むむむ、むら…」
「いつがよろしいですか?」
どれだけ気をつかっても、結局、怒られるのだった。予約の変更はあまりしないほうがいいなと思ったが、最後に「お薬は大丈夫ですか?」と聞いてくれたので、看護師さん、優しい……となった。
2024/11/30 土曜日
CBCラジオ「北野誠のズバリサタデー」出演。『義父母の介護』(新潮社)を北野誠さんが読んで下さったようで(確かにしっかり読んでくださっていた)、話は盛り上がったように思える。北野さんは、認知症の症状はだれでも同じだと思っておられたということ。もの忘れが激しくなり、同じことを何度も言い、徘徊し……という経緯を誰もが辿ると思っていたのだけれど(実際、北野さんのお母様がそうなんだって)、『義父母の介護』を読むと、「いろいろな症状があるんですね」と驚いておられた。そして、事前に答えた質問事項については、一切聞かれずにあっという間に終わった。北野さんのトークが冴える番組であった。大川総裁は、私が言った「介護はプロに任せたほうがいい」という発言に対してひと言、「その通り!」とおっしゃっていたように思う。
2024/12/01 日曜日
朝からずっと掃除。双子が出て行ったのを見計らって、二人の部屋を掃除する。もちろん、連絡を入れて了承を得なければならないので、LINEでぶっきらぼうに「掃除するよ」と書いておいた。二人とも、「頼む」ということだったので、集中して、思い切り片づけた。次男の部屋からは靴下が10足程度、長男の部屋からはお菓子のゴミが45リットルの袋1枚分ぐらいは出た。ペットボトル、缶、その他のゴミも大量に出た。よくぞここまで溜め込んだものだと一息ついた夕方になって、突然、不整脈が出た。Apple Watchを確認すると、いつもよりも随分心拍が早い。どうしたのだ、疲れたのか? それとも?? と焦ったが、薬の飲み忘れに気づいた。すぐに飲んで、しばらく休んだらいつも通りになった。薬の飲み忘れに気づくのは、いつも不整脈が出てからだ。気を抜くなということだと思う。
2024/12/02 月曜日
昨夜不整脈が出たことで、少し憂鬱だった。薬を飲み忘れたぐらいで不整脈でるかよ……と、落ち込んだのだが、よくよく考えてみれば、私は二度も心臓手術をしているのだから、それぐらいの実力なのだということで納得すべきなのだろう。そもそも、手術して復活していることが幸運で、今の状態で100点満点のはずだ。
この年になると、人間はいつ死ぬかわからないということが、切実に理解できるようになってくる。知り合いが何人も亡くなった。私の順番がいつ来ても不思議はない。そう考えて生きていると、不思議と様々な物事が人生から削ぎ落とされ、身軽になっていくものだ。これを開き直りと呼ぶ人もいるらしいし、私もそう思う。
2024/12/03 火曜日
最近の私の最大の楽しみは、夜9時頃に寝室に行って、しばらく一人でインターネットをすることだ。一時間ぐらい楽しんで、そこから眠剤を飲んで翌朝までぐっすり寝てしまう。寝る前に見ているのはだいたいTikTokで、世界中の動物の動画を見ているわけだけれど、おせっかいな機能があって、時々、なんの脈略もなく、衝撃映像が流れてくることがある。そのたびに、iPadを投げ出す勢いで拒絶している。
20年ぐらい前からだろうか、「どっきり」とか、「衝撃事故」みたいな動画を一切受け付けなくなってしまった。いじめとか、虐待とか、戦争とか、フィクションであっても苦手になった。ホラーも積極的に見ようとは思わなくなった。しかし……わが家の男性たちはそんな映像が大好きで、私が寝室のドアをきちっと閉めて、静かに動物の動画を見ているときに、真横の部屋でドラレコに残った事故映像だとか、どっきりだとか、おもしろ映像を、時には大爆笑をして見ているのだ。私には、そういう図太さが一切なくなってしまった。
2024/12/04 水曜日
ほんにゃく仮面こと翻訳家の田内志文氏が、キーボードのリアルフォースは車で言うならレクサスと発言されていて、爆笑してしまった。まさに、車で言うならレクサスだ。私はすでにリアルフォースを一台持っているが、サブマシンのマック用にもう一台欲しいと突然思って(仕事が忙しいときに発症するいつものやつ)購入したところだ。到着が大変楽しみ。
2024/12/05 木曜日
新しいリアルフォース(キーボード)が到着。早い、早いぞと言いながら打ちまくっていたら次男にキモいと言われる。キーボードに関しては、あまり気にしないという方も多い。翻訳家のなかでも、特にこだわりがないという人も多いだろう。私も実は、数年前まではそうだった……のだが、やはり寄る年波には勝てなかった。年間、何十万語と打つのだから、わずかな差が大きな差となるのだ。それから、よいキーボードは打つときの感触というか、音というか、なにかこう、心地よい。仕事をやっていますという気持ちになる。いろいろなところに書いてはいることだけれど、翻訳に携わる人達の集まりに行くと、キーボードやらマウスの話になることが多くて、彼らの博識ぶりにはいつも感激してしまう。そして、その有り余る知識を惜しむことなく誰にでも気軽にシェアしてくれる彼らは素晴らしいと思う。いつもそう思う。
2024/12/06 金曜日
ミポリン(中山美穂さん)死去という衝撃のニュース。ミポリンといえば、我々の世代を代表する俳優、そして歌手。気づいたときにはミポリンがテレビのなかで笑顔を見せ、雑誌に掲載され、化粧品のCMに出て、結婚して、出産して、なんとなく一緒に年を重ねてきたような気がしていた。ミポリン、最近なんだか肩の力が抜けて、すごく素敵だった。何が起きたのかはわからないけれど、妙に寂しいよ、ミポリン。とても悲しいじゃないか。ミポリンの旅立ちがこんなに悲しいなんて……。
2024/12/07 土曜日
ミポリン死去のショックで悪夢連続。デエビゴ(睡眠薬)の有名な副作用が悪夢なのだが、眠れない時に服用している筋金入りの不眠症の私は、あまり悪夢を見ることがない。ただし、長い夢を見る。とんでもなく長い夢を見る。現実は、たぶん一瞬というか数分の夢なのだろうが、とても長く感じられる。
入眠時の状態も独特で、眠気が出て、いつの間にやら落ちるというよりは、様々なことを考え続ける。あれをやらねば、そしてこっちもやらねば、あの人にこれを渡さねば……妙に現実的なことばかり思いつくというのに、実際は、そのうちのたったひとつも必要なことではなくて、脳内でランダムに思いついていることなのだ。「これはデエビゴによってよくわからないことになっている脳内で起きているバグのようなものだわ」と考えつつ、不思議だなあと思いながら眠る。これが、よく発生している。
それでミポリンの死去のショックで見た夢は、詳細は記憶にないが、とても長く、辛い夢だった。起きた時は、よく寝たなあという思いと、長い夢だったなあという不快感が混ざり合っていた。デエビゴが苦手な人は、この悪夢が苦手だそうだ。私はとにかくよく眠ることができるし、翌日に眠気を持ち越すこともないので、いつもウキウキしながら服用している。
2024/12/08 日曜日
昨日、長男から「明日は服を買いに行きたいから付き合って」と言われたため、ついでに次男も誘って買い物に行き、詳しくは書かないが、最終的に次男と大喧嘩した。冷たい雨が降るなか、次男は車から降りてどこかへ行ってしまった。時間は午後6時過ぎ。極寒。
私と次男は性格が似ているとよく言われるが、それが理由なのか、とても友好的な親子関係だと思えた次の瞬間、ものすごい勢いで衝突をする。どちらも一歩も引かないので、結果は壊滅的だ。
次男が車から降りたのは、琵琶湖大橋を東側に渡ったあたり。わが家に戻ろうと思ったら、琵琶湖大橋を戻り、西側に行かなければならない。雨の降る中、真っ暗な琵琶湖大橋を徒歩で渡るのは大変なことだ。
長男だけを車に乗せた状態で、一旦は西側に戻ったものの、スーパーの駐車場に車を止め、次男に連絡を取った。結局、もう一度橋を渡って東側に行き、ふて腐れた次男を拾って、家に戻った。私たちは一体何をやっていたのだろう。結局、LINEで何度かコメントし合い、仲直りした。
翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。
主な著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術
』(CCCメディアハウス)、『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』『ハリー、大きな幸せ』『家族』(亜紀書房)、『村井さんちの生活』(新潮社)、 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)、『更年期障害だと思ってたら重病だった話』(中央公論新社)など。
主な訳書に『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』など。