ある翻訳家の取り憑かれた日常

第68回

2025/09/05/-2025/09/18

2025年10月9日掲載

2025/09/05 金曜日

玉置浩二は古い楽曲のなかで、

あの頃はなにもなくて 
それだって楽しくやったよ

と歌っていて、なるほど、誰の人生にも等しくそのような時期があるのかもしれないと考えた。実際は荒れまくっているのに、その渦中では生活が荒れていることなんて理解しておらず、そう感じもせず、何年も後に精神的にも経済的にも自立してからようやく「あの頃は大変だったな」と思い出すとき。そして「なにもなかったけれど、それでも楽しくやってたよな」と遠い目をするとき。あるある。あるぜ。

2025/09/06 土曜日

義母、グループホーム入居日。とうとう、今日という日がやってきた。記録によれば介護サービスの利用開始が2019年、義母に認知症の症状が出始めたのがその時期よりは一年程度前のことなので、6年から7年ぐらいは、義母の日々の生活にいろいろな形で関わってきたというわけだ。長かったような、短かったような、呆然としてしまう。まだ終わってないけど。

義父には、今日義母がグループホームに入居することは繰り返し説明してきたが、きっと理解はしていなかっただろう。というのも、義父にとって、介護にまつわる専門用語なんて一切区別がついていないからだ。デイサービス、ショートステイ、グループホーム、特別養護老人ホーム、サ高住、老健……介護に関わっていない人からしたら、なんじゃそれ? な、用語ばかりだ。義父でなくてもわからないと思う。私だってわからなかった。だからきっと、義母はショートステイ(一泊とか二泊)に行くくらいの感覚だったはず。説明しようとは思ったが、とにかく入居が大変でそれどころではなかった。だから、義父にとってはあっけない別れになったはずだ。行きの車のなかで義父が妙に明るかったのは、それがしばしの別れになるのを理解していなかったからだろう。

もしかしたら最後になるかもしれない、義母が実家で過ごす姿を何枚か撮影しておいた。いや、高い確率で最後の姿だっただろう。35年の月日の流れを感じる。これが悲しくなかったら、何が悲しいというのだろう。

グループホームに到着し、荷物を運び入れた。義母は何の抵抗もなくすんなりとこれから暮らすことになる居室に入り、そして私に「あなた、子育てが忙しいでしょう? 早く帰りなさい。私、あちらへ行きますから」と、他の入居者さんたちが集まってテレビを見ているリビングを指さした。私も夫も、このチャンスを逃さず、あっさりと施設を去った(義父を急かして)。何度も手を振る義母に、何度も手を振り返しながら。

2025/09/07 日曜日

何もやる気が出ない日曜日。それでも仕事はある。今日は原稿の締め切りだった。作業をしながら、グループホームから、そして義父から電話があるのではないかとびくびくしていたが、結局、どちらからも電話はなかったので拍子抜けだ。夕方になって痺れを切らして、義母のグループホームに電話したら、めちゃくちゃ明るい施設長(男性)が出てきて、「元気でいらっしゃいますよ!」ということだった。夫に「元気でいるってよ」と報告したら、「ふーん」と言葉少なだった。私は実の子ではないので、事の成り行きが気になっているだけだろうし、夫は実の子なので私の1000倍は複雑な心境なのだろう。

2025/09/08 月曜日

歯科医院通院日。ここ一年ぐらいサボっていたので、再度メンテナンスを開始。特に悪いところはないのだが、これも自分を大切にする活動の一環としてクリーニングなどしてもらう。今日の気づき。「歯科医院ではホットフラッシュ発生しがち」

午後、義母に近しい方から電話があり、「一体どうなってんだ」みたいなことを聞かれた。もっとできる事はあったのではないか、たとえばデイサービスとか……などなど、話にならない。もっと修業を積んでから来て欲しい。私が過去数年でどれだけ介護筋肉を鍛え上げたと思っているのだろうか。介護界隈の青木マッチョだ。

最後は「今日はこれぐらいで許しといたるわ!」という吉本新喜劇みたいなオチで電話は切られた。なんだよ、物足りないじゃん。

2025/09/09 火曜日

私の日記のどこに需要があるのかはわからないが、もう60回以上も更新されていて本当にうれしい。日々の文字数の多くはこの日記に注がれていると言っても過言ではない。自分でもここまで続くとは思っていなかったが、後から読み返してみればきっと、自分にとっては有益な記録になっているのだろう。今日は締め切りもなく、淡々と翻訳をした一日だった。

2025/09/10 水曜日

テオがわが家にやってきてどれぐらいになった? もう一年は経過しただろうか。ゴールデン・レトリバーという犬種は、なんと素晴らしいのだろうと最近思う。驚くほど賢く、愛情深く、そして愉快だ。テオも素直で明るく、屈託がない。先代ハリーは分離不安が大きく(私が子犬のときにぴったりと側で過ごしすぎたのだろう)、留守番がまったくできないデカい犬だったが、テオはなんの問題もなく留守番し、そして何も壊さない。ハリーは留守番するたびに家のどこかを壊し、ケージを壊し、本をビリビリに引き裂いた。そして戻って来た私に向かって突進してきたのだった。今日、テオに一時間ほど留守番をさせたが、まったく何の問題も起こさず、玄関で寝て私の帰りを待っていた。どちらがかわいいかと言えば、まあ、両方かわいいだろう。だって彼らは犬だから。

2025/09/11 木曜日

翻訳。朝からずっと翻訳の日。脳が溶けて耳と鼻から流れ出し、デスクチェアの脚をべとべとにしたのち、カーペットに大きなシミを作りそう。とにかく、一歩一歩、前進していくしかない。それにしても長い。文字数が多い。文句ではない、嘆いているのだ。因果な商売だと思う。翻訳原稿と普通の原稿と、どっちがきついかと問われたとしても答えは出ないが、とにかく翻訳はつらいということだけは確かだ。ほんにゃく仮面こと翻訳家の田内志文氏は今日、「原稿してないと、なんかすごい悪いことしてる気持ちになる」と綴っておられた。わかりみ本線日本海。

2025/09/12 金曜日

チャーリー・カークが銃撃されたが、ものすごい角度から銃弾が首を貫いていて驚いた。激動だな、アメリカは。

日経プロムナード(火曜担当)の原稿を送る。今日は京都新聞『現代のことば』の締め切りでもあったし、メンタルクリニック受診日でもあった。締め切りとか通院が重なる日は、少し早めに起きてまずは原稿を書いて仕上げてしまうことにしている。外出から戻ったら読み直し、少し手直しして入稿という手順だ。原稿は寝かせるに限る。

メンタルクリニックの井上陽水似の先生とは、たわいもない日常と夢のことを話し、そして眠剤を処方されて家に戻った。帰り道のパン屋で息子たちにサンドイッチを購入した。

2025/09/13 土曜日

義母との面会のため、グループホームへ。義母、少し動きが緩慢になっていた。とても眠そうで会話にならない。夜中の徘徊が多いため、前夜は眠剤を処方されたそうだ。それもデエビゴだということ。図らずも、義母と私はデエビゴ仲間となった。認知症の義母の脳には結構な負荷に違いない、眠気を持ち越しているのだろうと考えた。私も時々眠気を翌日に持ち越すことがあって、そんな日は昼過ぎまで眠いので、義母の状況は理解できた。私を見てもあまり反応もなく、横になりたいというので寝てもらった。義母の寝具はとてもかわいいものを選んだので、私は大変満足だった。自己満足でもいい。やらないよりはやったほうがいい。

グループホームの帰り道に、不思議な道の駅があった。立ち寄ってみると、地元の農家のみなさんが出品している場所のようで、真っ暗な木造の建物のなかに、店番のおばあさんが一人で座っていて、「もう全部売り切れた」とぶっきらぼうに言った。

田舎はドラマチックだ。

2025/09/14 日曜日

週末の二日間を完全にオフにできたことが、ここ数年あっただろうか。ないような気がした。子育て、介護と私はこの20年を誰かのために動いてきた……と、嘆きのひとつも言いたいところだが、私はほぼすべてを記録し原稿にして換金することで魂の浄化を行っているため、特に問題なしと思った。そのうえ、誰にも頼まれてないのに勝手にやってたってだけのことだ。

日中は寝転んでTikTokを見て大爆笑していた。双子は車で福井のキャンプ場に遊びに行き、不在。

夜、井上尚弥とアフマダリエフの試合を見る。井上尚弥がノーガードで両腕を下げるたびに、締め切りがあるのに頭が空っぽなのでTikTokを見ている自分と重なって辛かった。

2025/09/15 月曜日

敬老の日。これ以上敬えない。

2025/09/16 火曜日

翻訳。さあ、いつまで続くのだこの地獄は。あと何年続くのか。私がもうできないと根を上げるまで続いて行くのだろうか。他の翻訳家さんはどうやって絶望せずに作業を続けているのだろう。変な人が多いが(褒めています)、みなさん、どうしているのだろう。私みたいにギャーギャー言っている人が少ないので、私が弱いのだろうかと考えたりする。

2025/09/17 水曜日

義母の面会にグループホームへ。ご迷惑をおかけしたくないので、さっと15分の滞在。お人形を与えられて、その子の面倒を見ていた義母。「かわいいでしょ。この子も成長して行くのでしょうね。大きくなって、素敵な女性になっていくのでしょうね」

家に戻り、仕事をひとつ片づけ、そしてインターネットショッピング。COG THE BIG SMOKEのコートを買った(!)。さらりと書いてみた。

2025/09/18 木曜日

食材の配達が三箇所から来る日。配達の方のなかで一人、異様にテオが好きな人がいて、食材の運び入れが終わるとテオと激しく遊び、そしてハァハァと息を切らせながら、「また来週お願いします!」と言って去って行く人がいる。テオは彼を笑顔で相手したあと、さっと普通の顔に戻って冷静に家のなかに入って来る。テオ的にも、毎週の仕事と認識しているようだ。面白い犬だ。

夕方になり、散歩に出る。テオは秋の美しい日差しのもと、長い金髪をきらきらと光らせていた。

著者プロフィール
村井理子

翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。
主な著書に『ある翻訳家の取り憑かれた日常』(2巻まで刊行、大和書房)、『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術
』(CCCメディアハウス)、『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』『ハリー、大きな幸せ』『家族』(亜紀書房)、『村井さんちの生活』(新潮社)、 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)、『更年期障害だと思ってたら重病だった話』(中央公論新社)など。
主な訳書に『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』など。