2025/08/08-2025/08/21
2025/08/08 金曜日
東京から戻る。
映画の完成披露上映会の舞台挨拶に参加する日が来るとは、誰が予想しただろう。天国の父、母、兄よ、見ているか。理子の人生はおかしなことになっている。
あっという間に夢のような時間は過ぎ、そして現実に戻った。
今日は琵琶湖の花火大会(若者が年に一度、本気出す日)なので駅が混雑するだろうと早めに戻ったのだが、午後三時ぐらいですでに京都駅は浴衣姿の若者で溢れかえるようだった。スコールのような強い雨が降ったあとだったようで、湿度が高くてとても暑い。それでも夕食を作りたくないという思いが強かったため、人をかき分けるようにして伊勢丹まで歩き、地下2階の551HORAIで焼売弁当を家族内男子の数だけ購入する(私は自分用に鮨折りを買ったwhy not)。腕がちぎれるのではというほど重いのだ、この焼売弁当が。一緒に甘酢団子を勧められ、断り切れずに購入して余計に紙袋は重くなるのだった。いつも思うが、HORAI従業員のみなさんのオペレーションは見事だ。どの職場に移動したとしても、あの方たちはトップを走り抜くだろう。
急いで電車に乗る。弱冷車。私が何か悪いことでもしただろうか。
最寄り駅に到着したら、わずかに夕暮れ。山の稜線が夕日に照らされてピンク色に輝いていた。私が愛犬ハリーの魂を送り込んだ比良山系は、いつも通り、どっしりと構えて、私を待っていてくれた。
かなり疲れてはいたが、書かなければならない原稿がある。書き切れるとは思うけれど、新幹線のなかである程度、内容を考えておけばよかった。佐久間宣行のNOBROCK TVを観ながら爆笑しつつ戻って来てしまった。
2025/08/09 土曜日
東京で頂いたお土産と荷物を、ホテルから宅配便で送っておいた。それが到着したので、開梱。洗濯するものは洗濯し、お菓子は子どもたちに渡したりした。家全体が雑然としており、物で溢れかえっている。片づけなくちゃ、庭の雑草も刈らなければいけないと考えていたのだが、なぜうちの男たちはこれをひとつもやらないのだろうと考えたらだんだん腹が立ってきて、ふて寝した。こんなことをやっているから翻訳が進まない。一日48時間あればいいのに。
ふと、わが家に女性がもう一人いたら、家族のバランスはどう変わったのだろうと考えた。それはもちろん私に娘がいたらという想像なのだが、もし娘がいたと仮定すると、私の人生はどのように変化するのだろうか。
もう一人女性がいたら家事育児といった、女に生まれただけでデフォルトで設定されている仕事の担い手が増えるから嬉しいなどとは、もちろん考えてはいない。自分を振り返ってみても、私の十代は母にとっては悪夢でしかなかったと思う(何もやらないうえに、ひねくれ者だという意味で)。ただ、何もやらないひねくれ者だった私も、言葉には出さずとも、母と祖母からは温かな愛情を感じており、そして私も、何も言わなかったけれども、母と祖母を無条件に愛していた。特に母には絶大の信頼というか、母がいなければ私の世界は終わるのだろうと思うほど、彼女を信頼し、何かあれば100%彼女に従っていたと思う……十代はね。
そんな存在がもし、いま、私の側に暮らしていたとしたら、私はどのように考え、行動するだろう。少なくとも、男性三人と暮らす今の生活とは、まったく違う景色が広がっているはずだ。いや、妄想だろうか。娘のいるママ友にこんなことを言ったら、張り倒されるかもしれない。
2025/08/10 日曜日
ダ・ヴィンチに連載している書評入稿。読んだのは、『幽霊の脳科学』と『ラストインタビュー 藤島ジュリー景子との47時間』。『幽霊の脳科学』はとても面白いノンフィクションで、私が好きなタイプの一冊であっという間に読んでしまった。『ラストインタビュー 藤島ジュリー景子との47時間』は、藤島ジュリー景子という人物のよくわからなさ、言葉の曖昧さ、その存在の謎みたいなものが最初のページから最後のページまで一貫して漂っていて、読了してからもしばらく考えこんでしまった。
生まれてからずっと読んでいるくらい本を読んでいるけれど、時々、考えこむような一冊に出会うな。珍しいことだけれど。
2025/08/11 月曜日
翻訳。ここのところ半年以上も取り組んでいる本だが、いやはや、本当に難しい。英語が難しいというよりも、専門用語が多いので、一つ一つ、間違いがないように、ズレがないように、単語を照らし合わせていく必要があって、本当に神経を使う作業だ。内容も相当難解で、高い表現力が求められるというか、難解な内容を、ある程度スムーズに読むことができる日本語にしなければならないという、難易度の高い作業が求められる。
だからといって作業が嫌だとか、辛いというのではなく、ハイテンションになってやっているのだが(山は高いほうが興奮するみたいな感じ)、それでも、辛い! ようやく七章で100ページを超えた。でもわかる。今だからこそ、この年齢だからこそ訳すことができる一冊なのだ。翻訳の神様はちゃんと見ている。
今年はあと残り5冊(とても短いものが2冊含まれる)。なにそれ、笑えてきた。わはははは、できる俺なら。
2025/08/12 火曜日
スランプで萎えている。
原稿が書けない。書きすぎているのか、それとも、もう単純に書けなくなってきているかはわからない。翻訳をやり過ぎるとエッセイが書けなくなるし、エッセイをたくさん書くと、翻訳のスピードが落ちる。やはり、一日に許容できる文字数というものが私にはあるのだろう。翻訳だと10000ワードぐらいかな。素の文章(エッセイ)だと4000字(原稿用紙10枚)ぐらいのような気がする。それを超えると徐々に崩壊する。
そういう時は気分を変えて、本を読む。書評の連載があるから、いくらでも読む本はある。著者の言葉を追っているうちに刺激され、頭の隅っこで文字がぐるぐる回り出す。うわ、ありがとう! とばかりに本を手放し、原稿に戻る。そんなことの繰り返し。
2025/08/13 水曜日
テオが実家(ドッグスクール)に戻り、多くの犬と日がな一日遊ばせてもらう日。テオが安全に、楽しんでいる(そのうえ、家にいない)という状況は、最高だ。夕方になるとヨレヨレに疲れたテオが戻る。素晴らしい犬とは、疲れ切った犬のことである。
今日の昼、実は義母がバスマジックリンを少量だったが飲んでしまった。何を飲んでいるのかとふと気になって見てみると、黄色い液体。すぐに洗剤だとわかった。隠していたのに、どこから出してきたのだろう。口をつけた程度だったので、お茶を飲ませて様子を見たが、異食が発生するとなると在宅の介護は本当に難しくなってくると思う。
平日のほとんどをデイサービスで過ごしていても、家に戻って過ごす数時間でこういうことが起きる。顔をバッサリ切ったのも、手首を骨折したのも、このように家に戻って過ごす時間でのことだった。24時間介護の施設に入らないと安全の確保はできない。わかってる。わかっているのだ。
2025/08/14 木曜日
午前中は必死に翻訳。
ちょっと疲れてきたので、エイミー・ブルームの『In Love 認知症で安楽死を望む夫とスイスで最後の五日間』という本を読む。配偶者が認知症となり、自分を失ってしまう前に尊厳死を求めた場合、パートナーとしてその支援をすることができるだろうか。著者のエイミーは、自分の知識と体力を駆使して夫の願いを叶えるべく、様々な機関と連携を取り、そしてとうとう彼を見送るのだった。それはそれで、素晴らしいことだとは思うけれど、著者、今ではどうしているのだろうとInstagramのアカウントを覗いてみたら、もうすでに新刊を書き上げ、そしてあふれんばかりの笑顔で日々を過ごしていた。ああ、よかった。この人は悲しみを抱えながらも、ちゃんと前を向くことができている。
午後になり、家族が戻ってくる時間が迫る。今週は忙し過ぎて食材の宅配の注文をする時間すらなかったので、冷蔵庫は空のままだ。自分ひとりだったらカップヌードルでいいところだが、さすがに19歳の息子たちにカップヌードルは出せない。久々にオムライスを作ろう。
2025/08/15 金曜日
うっかり忘れていたが、今日はメンタルクリニックの受診日ではなかったか。井上陽水似の先生にデエビゴの壮大な夢の話をしなければと思っていたというのに、なぜ忘れたのだろう。一週間後に予約を取り直す電話をしたが、また診察日が減ったようで、先生はそろそろ閉院を考えているのがわかる。ピンチだ。市内のメンタルクリニックの多くが、新規患者の受け入れをしていない。受け入れをしてくれたとしても、ここ数年コツコツと積み上げてきた先生との信頼関係を、またゼロから構築するのかと思うと気が重い。陽水先生、辞めないで。
2025/08/16 土曜日
義母を連れてグループホームの見学に行く。夫が運転する車がどんどんと山のなかへと入って行く。義母を実際にホームに連れて行くのは初めてで、どのような反応をするのか心配だったが、義母はすんなりと玄関から入り、応接室に座り、ニコニコしていた。「それでは聞き取りをさせていただきますね」と、施設のケアマネさんが義母にいくつか質問していたが、義母は一切、反応を示すことがなかった。何を聞かれているのか理解できていない様子だ。ということで、私がケアマネさんの質問に答える。
性格は非常に明るく活発で、外向的。趣味も多い。家事が得意で、家のなかは常に磨き上げられていた。認知症になる前は外出も頻繁だったが、最近は転倒が多くなったこともあり、外出はデイ以外一切していない。
義母の居室となる予定の部屋に連れて行くと、「わあ、きれいねえ」と言っていた。窓からは見事な田園風景が見える。「もうすぐ稲刈りかもね」と私が言うと、「そうやねえ」と言っていた。職員のみなさんと談笑しつつ、入居は月末あたりにしましょうかということを、コソコソと打ち合わせする。お義母さん、とうとう、月末にはここに来ることになるんですよ……と思いつつ、義母の顔を見てしまった。
2025/08/17 日曜日
義父がメソメソしているので、二日連続で実家に行く。あまり刺激しないように、義母の入居が決まりつつあるということを話す。理解しているのか、していないのかわからないが、一応納得はしているようだ。昨日、義母を帰宅させた時のことだが、私が注文しておいた転倒防止用スリッパを指さして義父が、「履かせてくれ」と私に言ったことを、私は今日もまだ根に持っていて(というか憤慨していて)、もちろんすぐに断ったのだが、こいつだけは一発どうにかしてやらんと気が済まないとイライラしていた。
「お母さんが施設に行ったら、ワシの着替えはどうするんや」と言う義父。要介護3の重度認知症患者が、要介護2の夫の介護をするという捻れた老老介護も、もうすぐ終了になるはずだ。
2025/08/18 月曜日
翻訳。午前中いっぱい集中して翻訳していたら、本当に疲れてベッドに倒れ込んだ。そのまま二時間ほど昼寝。頭が沸騰するというのは、こういうことなのだろう。うとうとしながら、ずっと昔、中学生のころのことを考えていた。
私の実家は喫茶店で、電車で通学していた学校から戻ると、駅前にある母の店に直行していた(父はその時点ですでに無職だった)。理由は当然楽しいからで、次から次へとジュースは出てくるし、ケーキは出てくるし、アイスは出てくるし、母がホットサンドの試作品をたくさん食べさせてくれるし、店の中央部分には大きな書棚があって雑誌、新聞、マンガ、小説などが山のように並んでいた。大人はみんなそれを読み耽っていた。そんな大人に交ざって、セーラー服を着た私もエロい雑誌や新聞や小説などを読み漁っていたというわけ。
ほとんど全部読んでしまうと退屈するので、母に「本を買ってくるからお金ちょうだい!」と言うと、母は躊躇することなくレジをチーンと開けて、千円札を何枚も手渡してくれた。それを持って店を勢いよく出て、数十メートル先にあった書店に行き、何冊も本を買った。それをニッコニコ顔で店に持ち帰り、母に見せる。母は「やった! 椎名誠の新刊だ!」などと言い、嬉しそうにしていたものだった。
あの頃ほど文字を読んだ時期ってあっただろうか。毎日が物語との出会いだった。そんなセーラー服姿の私を学校に通報する大人が大勢いたのだが、子どもが大人の本を読むことを許せなかったのだろう。通報者が危惧したとおり、私はこんな大人に成長しました。そう、ずいぶん昔の記憶を掘り起こして嫌味を書くような大人にね……。満足でしょう?
2025/08/19 火曜日
翻訳。もう嫌だってぐらい翻訳。私は翻訳をやると、だいたい、原書の著者を好きになるのだが、この一冊の場合、「ちょっと顔を見せてくれ」という心境になっている。「あれ、ここにこの単語を使うの?」とか「というか、もっと単純でよくない?」とか、「その言い回し!」とか、そんな感情が浮かんでくる。どんだけ! どんだけ! と叫びながら翻訳するのも久しぶりだ。逆に愛が溢れてきた。と言うか、題材選びは天才だ。
2025/08/20 水曜日
スーパーでママ友を見かけたのだが、声をかけないでおいた。私にも声をかけてもらいたくない日がある。機嫌が悪いとか、腹が立っているとか、そういうことではなくて、どうしても明るく振る舞うことができないほど疲労していることがあるからだ。なんとなく今日は、彼女にとってはそんな日ではないかしらと思って、そのまますーっと通り過ぎて、ささーっとレジに並んでいると、当のママ友から「ちょ! なにしてんの、自分!(関西弁で「自分」とは「YOU」の意)」と大声で声をかけられたのであった。元気なんかい。
2025/08/21 木曜日
最近Zoom会議が多い。翻訳、Zoom会議、原稿、もう毎日が作業ばかりで嫌になる。フリーランスに定年はないが、ある程度の年齢になったら仕事は日記だけにしたい。それが夢だ。そんなことを言いつつ、また翻訳の仕事を請けてしまったりするのだろう。もうこればかりは仕方がない。翻訳が好きなのだから。
翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。
主な著書に『ある翻訳家の取り憑かれた日常』(2巻まで刊行、大和書房)、『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術
』(CCCメディアハウス)、『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』『ハリー、大きな幸せ』『家族』(亜紀書房)、『村井さんちの生活』(新潮社)、 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)、『更年期障害だと思ってたら重病だった話』(中央公論新社)など。
主な訳書に『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』など。