自分も子育てでいろいろ悩みながら、子どもの問題について親のカウンセリングを長年続けてきました。また、地域の診療所で外来診察や訪問診療も担当しています。育児の悩みや家庭でのコミュニケーション、そのほか臨床の現場で出会ったこと、考えたことなどを書いてみます。
スパイスカレーを黙って食べる
いつものようにカフェに行ったときのことです。おもしろい話が聞こえてくるのは、70代ぐらいの女性の二人連れの場合が多いのですが、今回は50代前半ぐらいの男性二人でした。話の内容から判断するに、二人は同業者で職場は別のようでした。話し手の男性の事務所に、若い男性が研修に来ている。彼はなかなか個性的でまったく空気を読まない。でも、人懐っこくて話し手の男性はその若者に好感を持っている。ただ、そのままではこの先いろいろ苦労しそうだ。さりとて、どこまで、どうアドバイスしてあげたらいいのか悩んでいる。そういう話をしていました。
*地の文は話し手の言葉。()の中は聞き役の言葉です。
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たとえばな、こんなことがあったんよ。〜にスパイスカレーの店があるやん。いつも繁盛してる。
(ああ、あそこな。いつも並んでるな。)
この前、その店にそいつをつれて昼メシにいったんよ。あそこは7席ぐらいのカウンターだけやろ。ちょっと並んで、順番が来て入った。席は一番奥とその手前。まあ、7番席と6番席としようか。彼は7番席に座って、作ってるマスターの手元を見てたんよ。「へー!あんなにスパイス入れるんですね!」「すごくいい香りがしますね!」「あれは何ていうスパイスなんですか?」
……みたいな感じで、マスターの動作を見ながらいちいち彼がなんやらかんやら話すんよ。それがさぁ、あの店の感じ、知ってるやろ。みんな、静かに食べてるやん。マスターもほら、ちょっと、いやちょっとどころやない、めちゃ話しかけにくいタイプやん。せやのに、彼はカレーが来てからも話を続けてたんよ。味のこととか、ほかの店のカレーのこととか。
(あそこのマスター、めちゃいかつい感じやしな。なんべんか行ってるけど、しゃべってる客とか見たことないわ)
そやねん。それやのに、彼は空気を読むとかないから。しかも結構、声が大きいのよ。しかも標準語で。俺も、まだ、そんなに長い知り合いでもないし「しー!」とか、できなくて。というか、そんな注意の仕方もなんか変やから、話に首だけ、うんうん、て反応してたんよ。
そしたらさ、入り口から2番目の席あたりで食べてたサラリーマン風のおっちゃんが急にさぁ、「こらぁ! ちょっとは黙って食えんのかぁ!」って。結構でかい声で、でかいというか、迫力ある声で言ったんよ。こっち見てたかどうか、怖くて見られんかったけど(笑いながら話している)。
それで、彼もようやく黙って食べ出したんよ。しばらくして、その怒ったおっちゃんがまた言ったんよ。「ずっと黙って食えとはいわん。けど、もっと小さい声で話すとかしたら、どやねん」
とっさに俺が謝りそうになったけど、彼が「すみません」って謝った。それで、怒ったおっちゃんは出ていった。そのあと少しして、そのおっちゃんの隣で食べてた人が席を立った。後ろの壁の上着掛けから服をとりながら、ちょっとこっちに近寄って、食べてる俺らの背中に「まあ、それほど大きな声でもなかったよ」って、小さい声で言って出て行ってん。
結局、俺は彼になんて言ってあげたらよかったんかなぁ。今もわからんままや。
(あのマスターはさぁ、そういうのにまったく反応せんやろ。あのマスターはそういうタイプやわ)
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カフェで聞こえてきたのはそういうやりとりでした。
空気を読まない若い男性は、おそらく今までの人生でもいろいろやってきたことでしょう。いじめられたり、疎まれたりもしたはず。でも、人懐っこさを失わないでやってきている。叱られることもあれば、慰められることもある。なんてアドバイスをしたらよかったのかと、誠実に考えてくれるような人や、そっと慰めてくれるような人に、この先も出会ってくれたらいいなと、親なら願うことでしょう。
その日は無性にカレーが食べたくなりましたが、話に出ていた店がどこの店かはわからなかったので、職場の近くの古い民家を改装した静かなカレー屋に行きました。
1965年東京都生まれ。医師・臨床心理士。京都大学医学部卒業。文学博士(心理学)。4人の男の子の父親。
現在は、奈良県・佐保川診療所にて、プライマリ・ケア医として地域医療に従事する。20年以上にわたって不登校やひきこもりなどの子どもの問題について、親の相談を受け続けている。
著書に『子どもを信じること』(さいはて社)、『子どもが幸せになることば』(ダイヤモンド社)、『去られるためにそこにいる』(日本評論社)、『子どもの不登校に向きあうとき、おとなが大切にしたいこと』(びーんずネット)がある。
