とかくこの世は生きづらい ロダンのココロ国語辞典

この連載について

小学一年生、六歳のときに初めて「あいうえお」を習ってから、その十倍近い人生を生きてきた内田かずひろ、五十八才。ひと昔前ならもうすぐ会社を定年する年齢だ。五十才を過ぎる頃には自分もちゃんとしているだろうと若い頃には思っていたと言う。しかし、マンガの仕事もなくなり、貯蓄もなく、彼女にもフラれ、部屋をゴミ屋敷にして、ついにはホームレスになり、生活保護を申請するも断念せざるを得ず…。だが、そんな内田でも人生で学んできたことは沢山ある。内田の描くキャラクター、犬のロダンの目線で世の中を見てきた気づきの国語辞典と、内田の「あいうえお」エッセイ。この連載が久々のマンガの仕事になる。

第16回「て」

でんしんばしら

2023年12月15日掲載

小学三年生の時、学芸会で「電信柱の兄弟」の劇で、主役の電信柱の弟を演じた事がある。
電信柱の兄役は、クラスで一番背が高かったIくんで、一番背の低かった僕が弟役に選ばれた。

どんなストーリーだったのか覚えていないが、印象的だったワンシーンのセリフを覚えている。

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(雪の降りしきる夜)

電信柱弟「兄さん、寒かろう」
電信柱兄「おまえも、寒かろう」

(そして、抱き合い暖め合う電信柱の兄弟)
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大人になって、マンガやお話を考える仕事をするようになって、その時の劇を思い出し、それが一体何の話だったのか知りたくなった。

雰囲気としては『月夜のでんしんばしら』という電信柱を擬人化した童話もある宮沢賢治の作品かと思って調べたけれど、そうではなかった。

そんなある時、「まんが日本昔ばなし」で放映された『ふとんの話』に同じセリフがあったのだ。
その昔話が、小泉八雲によって、怪談『鳥取のふとんの話』として再話されていることを知るが、それは人間の兄弟の話で、電信柱ではなかった。

結局、いろいろ探したが見つけることはできなかった。

しかし、そのセリフのことを考えると、担任のM先生が『鳥取のふとんの話』や、いくつかの話を下敷きに創作したオリジナル脚本だったかも知れないと思うようになった。

そして、ずっと電信柱の兄弟の話と思っていたけれど、もしかしたら電信柱の兄弟は脇役だったのかも知れない。
そうだとしても、今でもセリフを覚えてるくらいだから、きっと一所懸命練習したのだろう。

主役を演じたような思い出になっている。思い出というものも、きっとそうやって脚色されていくものなのだろう。

著者プロフィール
内田かずひろ

1964年、福岡県生まれ。高校卒業後、絵本作家を目指して上京。1989年「クレヨンハウス絵本大賞」にて入選。1990年『シロと歩けば』(竹書房)でマンガ家としてデビュー。代表作に「朝日新聞」に連載した『ロダンのココロ』(朝日新聞出版)がある。また絵本や挿絵も手がけ、絵本に『シロのきもち』(あかね書房)、『みんなわんわん』(好学社)、『はやくちまちしょうてんがい はやくちはやあるきたいかい』(林木林・作/偕成社)、『こどもの こよみしんぶん』(グループ・コロンブス・構成 文/文化出版局)挿絵に『みんなふつうで、みんなへん。』(枡野浩一・文/あかね書房)『子どものための哲学対話』(永井均・著/講談社)などがある。『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!!』(森京詩姫・著/竹書房)では「怪人トンカラトン」や「さっちゃん」などのキャラクターデザインも担当した。