とかくこの世は生きづらい ロダンのココロ国語辞典

この連載について

小学一年生、六歳のときに初めて「あいうえお」を習ってから、その十倍近い人生を生きてきた内田かずひろ、五十八才。ひと昔前ならもうすぐ会社を定年する年齢だ。五十才を過ぎる頃には自分もちゃんとしているだろうと若い頃には思っていたと言う。しかし、マンガの仕事もなくなり、貯蓄もなく、彼女にもフラれ、部屋をゴミ屋敷にして、ついにはホームレスになり、生活保護を申請するも断念せざるを得ず…。だが、そんな内田でも人生で学んできたことは沢山ある。内田の描くキャラクター、犬のロダンの目線で世の中を見てきた気づきの国語辞典と、内田の「あいうえお」エッセイ。この連載が久々のマンガの仕事になる。

第20回「は」

はっぱ

2024年2月22日掲載

秋から冬にかけての銀杏(いちょう)並木を見ていると、すでに葉っぱがほとんど落ちているものもあれば、隣の木にはまだ葉っぱがたくさん残っていたりする。

人間の僕の目から見ると置かれている環境はほぼ同じに見えるのだけれど、実は微妙な違いがあって、日当たりとか土壌とか、そういう微妙な違いが日々の成長過程において少しずつ積み重なって、だんだん差がついていくのだろう。

そう考えると人間もまったく同じだと思う。

われわれ人間も、他者を理解しようとするとき、最大公約数を求めるように語ろうとする。
さっき僕が「銀杏並木は…」と語ったかのごとく、「最近の若い人は…、男は…、女は…」と。しかし人間はみな個人個人であり、そんなふうに分類分けして、ひとくくりに語れるものではない。自分が、こんなふうに大雑把に分けて語られた当事者になったときは「自分は違うなぁ……」などと感じることも多いのに、他者にはやってしまいがちだ。
「自分のことを棚に上げて……」という言い回しをよく耳にするのも、それだけ自分のことを棚に上げる人が多いという証だろう。

大雑把に分類分けしてはいけないのは人間の行動や言動だって同じことで、どんな行動も言動も、様々な感情が織り交ざった結果であり、とても一言で言える単純な理由があるものでない。

みんな自分のことを振り返って考えればよくわかるはずなのに、多くの場合、他人の行動を理解しようとするときに、その行動や言動のもとには、単純な一つの原因があるかのような前提で解釈しようとする。

たしかにそうやって語らなければ語りにくい事柄があるのも事実かも知れないけれど、せめて目の前にいる生身の相手には、その人個人の複雑な気持ちを尊重して、理解に努めたいと思う。

そんな気持ちで銀杏並木を見ると、一本一本がそれぞれの個性を持った別々の樹木に見えてくるのである。

著者プロフィール
内田かずひろ

1964年、福岡県生まれ。高校卒業後、絵本作家を目指して上京。1989年「クレヨンハウス絵本大賞」にて入選。1990年『シロと歩けば』(竹書房)でマンガ家としてデビュー。代表作に「朝日新聞」に連載した『ロダンのココロ』(朝日新聞出版)がある。また絵本や挿絵も手がけ、絵本に『シロのきもち』(あかね書房)、『みんなわんわん』(好学社)、『はやくちまちしょうてんがい はやくちはやあるきたいかい』(林木林・作/偕成社)、『こどもの こよみしんぶん』(グループ・コロンブス・構成 文/文化出版局)挿絵に『みんなふつうで、みんなへん。』(枡野浩一・文/あかね書房)『子どものための哲学対話』(永井均・著/講談社)などがある。『学校のコワイうわさ 花子さんがきた!!』(森京詩姫・著/竹書房)では「怪人トンカラトン」や「さっちゃん」などのキャラクターデザインも担当した。