変人セレクション
「とりあえず、自立生活センターで働く人に話を聞いてみますか」
「はい、ぜひ」
まずは斉藤さんが各地の自立生活センターで働く友人たちを紹介してくれることになった。と言っても当時はコロナ禍の真っ只中。厳しい感染対策がとられている自立生活センターを訪ねるのは憚られる。そこで毎月ひとり、斉藤さんが「変人」をセレクトして、オンライン取材をセッティングしてくれるシリーズが始まった。なんという贅沢。まるで黙っていても毎月おいしいものが届く通販のコースではないか。
もちろん「はじめまして」から始まる会話で、しかもオンラインで、聞ける話には限りがある。現場に行って、お仕事に密着して生の声を拾う取材には遠く及ばない。それでもこの「変人セレクション」はわたしの心の奥のいろんな部分をつつき、風穴を開け、人間のおもしろさを教えてくれた。その数々をご紹介したい。
最初に斉藤さんが引き合わせてくれたのは、東京都小平市にある規模の大きな自立生活センターで働く三澤勇人(みさわ・はやと)さん。
「ぼく、もともと芝居やってたんすよ。福祉とかぜんぜん興味なかったけど、時間の融通が効くバイトがあるってんで、自立生活センターの介助の仕事を始めたのが30ん時。そしたらもうハマっちゃって。こりゃあ芝居やってる場合じゃねえな、と」
明るい表情とざっくばらんな口調に惹きつけられた。なによりインタビュー冒頭でいきなり降ってきた「こりゃあ芝居やってる場合じゃねえな」というフレーズのパワーがすごかった。なんとまあ、好きで続けてきたことをやめて転身するほどの魅力があるのか、自立生活センターには。
三澤さんがバイトを始めた当時、小平の自立生活センターの代表は筋ジストロフィー患者の川元恭子さん。介助者の馬場真美さんとタッグを組んでセンターを立ち上げ、運営していた。三澤さんは照れくさそうに振り返る。
「ぼくもう川元さんと馬場さんが好きすぎて、毎晩のように事務所に行って、ふたりと話してたんですよ。朝の5時、6時まで。もう楽しくて楽しくて。毎晩、朝まで話を聞いてくれる人がこの世に存在するなんてね」
なんかもう、いきなり熱い話である。しかしあとからだんだんわかってくるのだが、特定の人に出会ってこの業界にハマっていく、というのは自立生活センターでは決して珍しいことではないらしい。要するに熱い人間の溜まり場なのだ。
それでもわたしはまだポカンとしていた。演劇に人生を賭けようと決めていた人が、なぜ介助を本業にしようと舵を切ったのだろう。ポカンとしながらも相槌を打っていると、三澤さんの話は核心に迫ってきた。
「障害をもっている人の暮らしのサポートをするんですけど、映画館に行ったことないとか、外食したことないとか、海を見たことがないとか、そういう人に会っちゃうわけなんです」
生まれつき重度の障害があって家の押し入れに閉じ込められて育った人や施設と病院しか知らずに生きてきた人が、自立生活センターを知って一人暮らしを始める。そういう人には、やってみたいと思いながらやってみたいと言い出すことすら封じてきた未体験が山ほどあるのだった。
「海を見たことがない? じゃあ海行こう!って。どうしたらこの人に海を見せられるか、何人でどう動けばいいか本気で考えて、気づいたらぼく重度障害者と一緒に海に入ってました、ワハハ」
自力では歩けない、ひとりで食事もできない。そういう人であっても、海が見たいと願えば海に連れていくお手伝いをする。それが自立生活センターの介助者の醍醐味なのだ。人の「初めて」に立ち会う。その刺激は、計り知れないだろうと思った。なるほど、「芝居やってる場合じゃねえな」かもしれない。
決定権をもつのはあくまで障害をもつ当事者だ。介助者は言われたことをするのが基本姿勢なので、さまざまな齟齬が発生する。
「たとえば当事者が食事を忘れてなにかに没頭しちゃうと、ついている介助者も食事できないまま過ごす羽目になる。そういうときは当事者に注意します。「あなたには介助者の健康を管理する義務があるんですよ。あなたは雇用主なんだから、雇用している人が働きやすい環境を整えなきゃダメです」って」
はー、おもしろいなぁ。障害をもつ側がもたない側の健康を気にかけなければいけない。そうやって成立する雇用関係の、一周まわった感じが味わい深い。
障害者と健常者では育った環境が違うから、わかり合えないことも数限りなくある、と三澤さんは笑いながら言った。歯磨きや洗顔に細かいこだわりのある当事者と、大雑把な介助者。乱雑な部屋が気にならない当事者と清潔好きな介助者。あらゆる組み合わせで、お互いにフラストレーションが溜まる。
「最初のころ代表の川元に、「介助って自分を見つめる仕事だぞ」って言われたんです。意味わからなかった。言われたことをやる仕事なのに、なんで自分を見つめる必要があるんだって。でもやっていくとその通りでした。俺ってこういう男なんだ、と気付くんですよ」
三澤さんはうれしそうに言った。かつて夜通し語り明かした代表の川元恭子さんはすでに亡い。でも三澤さんのなかに川元さんのいろんなことばが残っているみたいだった。
「芝居もおもしろかったんですよ、つくっていく仕事なんでね。でもこの仕事も自分がどんどん変わっていけるからおもしろいです。だからたぶん、体力が続く限り一生やるだろうと思います」
三澤さんは「変人」第1号にふさわしい人だった。こんな人にわたしはこれまで会ったことがなかったよ。
1974 年、千葉県生まれ。文筆家・イラストレーター。著書に『パリのすてきなおじさん』(柏書房)、『テヘランのすてきな女』(晶文社)、『世界はフムフムで満ちている』(ちくま文庫)、『聞き書き 世界のサッカー民 スタジアムに転がる愛と差別と移民のはなし 』(カンゼン)、『日本に住んでる世界のひと 』(大和書房)、『おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った 世界ことわざ紀行』(岩波書店)など多数。「多様性をおもしろがる」を任務とする。難民・移民フェス実行委員。