車椅子の斉藤さんとパラグアイへ

第13回

これはサシ飲みか?

2025年5月14日掲載

こうして「変人」セレクション7連発が終わった。わたしがもっと話が聞きたいと言えば、斉藤さんはさらにインタビューを設定してくれただろう(どうも自立生活センターには変人が無尽蔵にいる気がしてならない)。とはいえ斉藤さんの、そしてわたしの、目標は本をつくることだ。永遠にインタビューだけをしているわけにはいかない。いったん区切ってこれまでに聞かせてもらったはなしを原稿に書こう、とわたしは思った。思ったのだけど、ぼんやり昼寝をしているうちに1年くらい経ってしまった。

斉藤さんは「金井さんは仕事が遅いっすねぇ」などとは一切言わず、ときどき「飲みに行きませんか」と声をかけてくれた。原稿は書けないくせに飲みの誘いにはホイホイ乗るわたし。お店は斉藤さんが指定してくれることもあったし、わたしが探すこともあった。そのとき初めて思い知った。

この国には、車椅子では行けない酒場がたくさんある!

わたしが好むごちゃごちゃした赤提灯や座敷でくつろぐ居酒屋に、斉藤さんを連れていくことはできない。狭い階段をのぼっていくバーなんて論外だ。エレベーター完備のビル内の、テーブル席がある店を探す。それでも安心はできない。ビルの入り口の段差にスロープがついていなかったり、店内に敷居があったり、どこにトラップが仕掛けられているかわからないので、事前のお店に電話して確かめる。

「うちはトイレに行くとき階段を降りなくちゃいけなくて……」

電話口の向こうで申し訳なさそうに告げる店員さん。わたしには「そうですかー。じゃあ別のお店を探します」とほがらかに電話を切る。ここでごねても仕方ない。斎藤さんたちはいつもこうやってお店を探しているんだなーと実感する。

日本の法律(障害者差別解消法)では、店側が車椅子の入店を拒むことは禁じられている。それから「過度な負担にならない範囲で」障害者への合理的配慮が義務付けられている。たとえば車椅子ユーザーの来店に備えてエレベーターの設置工事をするのは大変すぎるから、そこまではしなくていい。でもテーブルをずらして車椅子の通り道をつくるくらいの配慮はするべし、というわけだ。まあ、そのあたりが落とし所なんだろうなぁ、と当時のわたしは思っていた。後日この基準は国によって差があると知るのだが、そのはなしはまたいずれ。

「かんぱーい」

わたしがビールジョッキを差し出すと、介助者が斉藤さんのジョッキを持ち上げてカチンとぶつけてくれる。介助者さんはそのまま斉藤さんの口元にジョッキを持っていき、斉藤さんは口を少し突き出してビールを受ける。ごくごく、ぷはーっ。流れるような連携プレーだ。

わたしと斉藤さんは向かい合って座り、介助者は斉藤さんのとなりにぴたりと寄り添う。

「今日は暑かったですね」
「ビール日和ですな」

なんて、斉藤さんとわたしは、いかにも飲み会らしい会話を始めるのだけど、そうやって話しながらも斉藤さんがコロッケに視線を投げれば、介助者は黙ってそれをひとくちサイズに切って斉藤さんの口に運ぶ。お刺身に目配せすれば、介助者は一切れつまんで醤油につけて、斉藤さんの口に運ぶ。その「あ・うん」の呼吸にほれぼれする。

介助者ご自身は「仕事中なので」とノンアルコール飲料を注文することが多い。基本的には黒子に徹しており、わたしたちの会話に割り込んでくることはない。こちらから「よかったら○○さんも、コロッケ、熱いうちにどうぞ」と促すと、控えめに箸を伸ばす。他人の目には3人の飲み会に映るかもしれないけど、じつは飲み会モードなのは斉藤さんとわたしだけという、ふしぎな設定なのだった。

この設定に慣れていないわたしは、ときどき「あれ?」となる。

いまわたしは、サシ飲みのノリで話していいのかな? 

でもやっぱり介助者がいるから1対1ではないよね? 

会話の深度を図りかねて、ほろ酔いの頭で自問する。長く生きて、人づきあいの甘さ苦さをくぐり抜けてきたわたしのなかには「この流れで1対1なら、ちょっとした秘密を開示するのも可」とか「第3者がいる場面で、この手の質問はしないほうがいい」などの暗黙のルールができあがっている。それが一瞬、バグるのである。けっきょく正解はよくわからない。でも逡巡すること自体が新鮮だった。

斉藤さんのように24時間介助者と暮らしている人たちは、どういうふうに捉えているんだろう。介助者に聞かれたくない話だってあるだろう。そこはもう割り切るのだろうか。障害者と介助者の関係への興味は尽きない。

斉藤さんは介助者が口元に運んだきゅうりの浅漬けをポリポリとかじると、言った。

「このあいだスイスに行ってきたんすよ」
「あー、その話を聞きたかった!」

その年ジュネーブの国連本部で、日本の障害者の現状を審査する会合が開かれた。日本は障害者権利条約を批准しているけど、ちゃんとその方向で社会は改善されているかね? と国連の障害者権利委員会が審査する、初めての機会だった。斉藤さんはそれに合わせて仲間と一緒にスイスへ出向いたのだった。介助者連れでヨーロッパまで行くだけでもたいへんだろうに、「週末は自由行動だったんで、マッターホルンを見に行った」「さらにイタリアのミラノまで鉄道旅をした」なんて、斉藤さんの行動力はすごい。聞いているこちらまでウキウキしてきて、緑茶ハイが進む。

どんな旅にもトラブルは付き物だが、斉藤さんが
「いやー、たいへんでした」
と言うとき、そのエピソードは毎回こちらの予想を超えてくる。ホテルのエレベーターが狭過ぎて乗れず車椅子を一部解体したとか、ホテルのヒューズが飛んで呼吸器の充電ができなかったとか。

「えー、それほんとに、たいへんじゃないですか」
「そうなんすよ」

と苦笑する斉藤さん。なんだかちょっと楽しそう。冒険をする以上、というか生きていく以上、たいへんなことが起きるのは折り込み済みなのかもしれない。わたしは思わず言った。

「わたしも斉藤さんと一緒にどっか行きたいなー」
「いいですねー。どっか行きましょう」
「どこがいいですか?」
「せっかくなら行ったことがない国がいいかな」

こういうはなしをしているときが一番楽しい。いやはや、緑茶ハイが進むぜ。

緑茶ハイは進むが原稿は一向に進まないまま2023年の春を迎えた。いろんなところで「最近、重度障害者の飲み友だちができて」と自慢していたら、「斉藤さんに会ってみたい」という編集者と映像ディレクターが現れた。じゃあ一度、みんなでつくばにある斎藤さんの仕事場を訪ねてみようという話が持ち上がった。事態はそこから急展開するのである。

著者プロフィール
金井真紀

1974 年、千葉県生まれ。文筆家・イラストレーター。著書に『パリのすてきなおじさん』(柏書房)、『テヘランのすてきな女』(晶文社)、『世界はフムフムで満ちている』(ちくま文庫)、『聞き書き 世界のサッカー民 スタジアムに転がる愛と差別と移民のはなし 』(カンゼン)、『日本に住んでる世界のひと 』(大和書房)、『おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った 世界ことわざ紀行』(岩波書店)など多数。「多様性をおもしろがる」を任務とする。難民・移民フェス実行委員。