ヘルパーだって、やりたくないことはやりたくない
「この人が馬場さんです。変人を育てる変人です」
斉藤さんはニヤニヤしながらそう紹介した。変人よばわりされた馬場真美さんは動じるふうもなく、「遠いところ、ようこそおいでくださいました」とにこやかに応じた。
ずっとオンラインで各地の自立生活センターの話を聞かせてもらってきたが、コロナ禍もやや下火になってきたこの日、斉藤さんが「自立生活センター・小平」に連れていってくれた。東京都の西側に位置する、あの「芝居やってる場合じゃねえな」の三澤勇人さん(第2回https://daiwa-log.com/magazine/maki-kanai/saitosan2/)の勤務先だ。
三澤さんは自立生活センターにハマった理由を「ぼくもう川元さんと馬場さんが好きすぎて」と語っていた。その後も取材を続けるなかで、折に触れて川元さんと馬場さんの名前を耳にした。どうやら自立生活センター界隈では伝説の名コンビらしい。その馬場さんが対面で話を聞かせてくれる。わたしは高揚していた。
馬場さんは1950年、東京都小金井市で生まれた。3人きょうだいのいちばん上で、下に弟がふたり。母親が療養施設に入っていた時期もあり、子どものころから家の仕事や弟たちや祖父の世話をしていた。
「ヤングケアラーだね」
斉藤さんが言うと、馬場さんは笑ってうなずいた。
「当時ヤングケアラーなんてことばは影も形もなかったし、苦労してる自覚もなかったけど。でもわたし、自分の気持ちを表に出さないまま大人になった気がする」
高校卒業後は写真の専門学校に行き、若くして結婚、出産。30代半ばで、ひょんなことから障害者と関わることに。
「近所の友だちに声をかけられたの。「障害者が始めた喫茶店が苦戦してるから、ボランティアで手伝わない?」って。その頃うちの子はもう中学生で、わたしは暇してたから「やるやる」って」
馬場さんは気軽に引き受けた。喫茶店は結局うまくいかずに閉店したが、その店主——ラグビーの事故で頚椎を損傷をした男性——とのつきあいはその後も続いた。やがて彼が結婚することになり、「妻と対等な関係でいたいから、介助はヘルパーさんにお願いたい。ヘルパーとして家に来てくれませんか」と頼まれる。そこから馬場さんの障害者介助が始まったのだった。
「市に登録すれば市からお給料が出るの。その時はまだヘルパーの資格もなくて、研修とかもなくて、いきなり行くの。やることは本人から聞くの。わたしはほんとに何にも知らないまま、単なるノリで始めたんです」
馬場さんは懐かしそうに言った。
勤務は1回5時間、週3回くらい。掃除したり、食事を用意したり、書類を仕分けたり。障害者の注文通り家の用事をする。そのうち別の障害者から「うちにも来てください」と頼まれて、もう1組の夫婦の家にも通うようになった。そこで馬場さんのなかに大きな疑問が生まれた。
「1軒目と2軒目で、仕事内容がぜんぜん違ったの。同じ家事でも家によってやり方が違うし、頼まれる範囲も違う。それでわたし、なんかすごくモヤモヤしちゃったのよ」
このとき馬場さんは障害者介護の仕事を「自分らしさがまったく出せない仕事」だと受け止めた。ロボットみたいに言われたことをするだけ。そこに自分の意思は介在しない。こんな仕事は長く続けられないな、と思ったという。
ところがそんな馬場さんの認識を大きく変える事件が起きる。
2軒目のご夫婦の妻・まち子さんの持病が急激に悪化して、医師から余命数日と告げられたのだ。
「ご主人と一緒に病院にお見舞いに行ったの。ご夫婦とも障害があって、わたしはご主人のヘルパーとして登録してた。で、病室に着いたらご主人がわたしに言ったんです、「ここで葬式の名簿をつくってください」って」
馬場さんは仰天した。いくら意識がないとはいえ、生きているまち子さんの前でお葬式の準備をするなんて。難色を示す馬場さんに、瀕死の病人の夫は容赦なく言った。「いざというときにあたふたしたくない。自分は障害者だから葬式の名簿がつくれない。ヘルパーならやってくれなきゃ困る」と。
ふとベッドを見ると、意識がないはずのまち子さんの目から涙が流れていた。
「まち子さん泣いてるよ。話が聞こえているんじゃないの?」
馬場さんがそう訴えても、夫は「そんなはずはない」と取り合ってくれない。だけど馬場さんは動けなかった。いくらヘルパーだって、やりたくないことはやりたくない。
「わたしには無理です。どうしてもやりたければ、本人の前でお葬式の準備ができるヘルパーを探してください」
馬場さんは初めて介護を拒否した。そして、その経験が馬場さんを開眼させた。
「ヘルパーって受け身の仕事かと思ってたけど、逆なんだ! って、そこで気づいたの」
馬場さんの明るい表情に吸い込まれるように、わたしと斉藤さんは前のめりになる。
「どういうことですか?」
「ヘルパーって人に寄り添う仕事なんだけど、どう寄り添うかは自分で考えて決める仕事なんだとそのとき初めて思ったの。わたし次第で関係や環境はどうとでも変えられる。同じ現場でも介助者によって雰囲気が違うわけだから。こんなにわたし次第な仕事って、ほかにあるだろうか? って。それでこの仕事にハマっちゃったのよ」
馬場さんは勢いよくそう言った。障害者の介助をしている、と言うと「福祉の仕事をして偉いですね」などと褒められることがある。そのたびに馬場さんは「そうじゃない!」と大きな声で反論したくなるらしい。
「わたしは誰かのためにやっているわけじゃないんです。自分の力がどこまであるか試したいだけなの。この仕事って無限大だから」
斉藤さんが「へー、知らなかった。馬場さんのこんな話は初めて聞きました」としきりに感心している。わたしはその横で黙って噛み締めていた。「この仕事は無限大だから」というフレーズ。なにそれ、かっこいい。
やがて馬場さんは盟友・川元さんと出会い、自立生活センターに深く関わるようになる。物語はさらにディープになっていく。
(次回につづく)
1974 年、千葉県生まれ。文筆家・イラストレーター。著書に『パリのすてきなおじさん』(柏書房)、『テヘランのすてきな女』(晶文社)、『世界はフムフムで満ちている』(ちくま文庫)、『聞き書き 世界のサッカー民 スタジアムに転がる愛と差別と移民のはなし 』(カンゼン)、『日本に住んでる世界のひと 』(大和書房)、『おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った 世界ことわざ紀行』(岩波書店)など多数。「多様性をおもしろがる」を任務とする。難民・移民フェス実行委員。