車椅子の斉藤さんとパラグアイへ

第1回

斉藤さんが扉を開いた日 

2024年8月28日掲載

その始まりを思い出すと、ニヤニヤしてしまう。
斉藤新吾という名の見知らぬ人からメッセージが届いたのは2021年の夏だった。
「金井さん、はじめまして。あなたに取材してほしい人がいます」
って、ずいぶん藪から棒ではないか。何者だろう。わたしは身構えた。

社会派ジャーナリストには情報屋からネタの売り込みがあると聞くが、そういう類の連絡だろうか。あるいは小説家のエッセイによく出てくるやつ――酒場でたまたま隣り合った人が「小説のネタになるようなおもしろい話を教えてあげましょう」と言い出して、断りきれずに聞かされた話はさっぱりおもしろくなかった、みたいなエピソード――あれだろうか。いや待て、そもそもわたしには告発記事も小説も書けない。少し警戒しながらメッセージを読み進めると、どうやら斉藤と名乗る男性はわたしに、障害者に関する取材を期待しているらしい。

しょ……障害者……?

斉藤氏は「金井さんなら興味を持ってくれるんじゃないかと思いました」となぜか積極的だ。しかしわたしは日常で障害者との接点もなく、これまでそういう本を書いたこともないまったくのど素人。腰が引けた。むむ、どうしよう。話を聞いてから「やっぱり興味がもてなかったのでお断りします」と言うのも失礼だよなぁ。

「一度、お時間をいただけないでしょうか」

畳み掛けてくる斉藤氏に、わたしは穏便に返信した。

「機会があったらお話を聞いてみたいですが、目下ちょっと仕事が立て込んでいて対応できません……」

曖昧に濁して逃げた。つもりだった。しかしそれからきっかり1ヶ月後、斉藤氏から再びメッセージが来た。

「お仕事の状況はどうでしょうか? そろそろ会えますか?」

お、おう。忘れてなかったか、斉藤さん。これはもうダラダラ先延ばしにしてはいけない案件だ、とわたしは悟った。さっさと話を聞いて、断るならばさっさと断らないと。幸か不幸かコロナウイルスが蔓延している夏だったから、「まずはオンラインで話を聞かせてください」という段取りに落ち着いた。直接会うよりオンラインのほうがあとから断りやすいな、とわたしはあくまで引け引けモードであった。

「こんちは」

指定された日時にリモート画面を開くと、高めの声が流れてきた。映っているのは短髪丸顔の男性。年の頃は40がらみ。ふむふむ、この人が斉藤さんか。挨拶が済むと斉藤さんは言った。

「金井さん、C I Lとか自立生活センターって聞いたことありますか」
「……ありません」

ほんとに、まったく、微塵も知らなかった。まさかその後の人生でわたし自身がいろんな人に「自立生活センターって聞いたことありますか」と質問し、のみならず知ったかぶって説明するなんて、このときは思いもよらない。

自立生活センターとは障害者が主体的に立ち上げ、ヘルパーを雇用し、経営していく組織だという。アメリカではCenter of Independent Livingといい、それを略して「C I L」と呼ぶ人もいる。長らく重度障害者は家族に面倒を見てもらうか、あるいは施設で暮らすしか生きる道はないと考えられてきた。でも自立生活センターをつくれば、重度障害者だって一人暮らしができるし地域と繋がることができる。

「なんて言うかまあ、ビジネスの一形態でもあり障害者運動でもあるって感じですね」

斉藤さんはそんなふうに説明してくれた。わたしはぼんやりした声で相槌を打つ。はっきり言って、短い説明で理解できたわけではなかった。ただ、障害をもっている人が雇用する側で障害がない人が雇用される側って、ふつう考えるのと逆じゃん、おもしろそう、と思ったことはよく覚えている。「障害者運動」という単語にもなんとなくワクワクした。

現在、日本各地には約120の自立生活センターがある。そして斉藤さん自身も20年くらい茨城県つくば市で自立生活センターを運営しているのだという。

「へー、120もあるんですか」

と言いながら、わたしはそっとリモート画面に目を走らせた。てことは斉藤さんも障害者なのかな? 聞いてみたいけど、なんて聞けばいいだろう。障害者と付き合った経験が圧倒的に不足しているわたしはおどおどしてしまう。

「あのう、斉藤さんはつくばの出身なんですか」

遠まわりな質問。それに対して斉藤さんは、ご自身のことを朗らかに話してくれた。

「いや、ぼくは青森の出身で、大学の時にこっちにきたんです。進行性の病気で、高校くらいから車椅子で」
「あ……そ、うでしたか」

斉藤さんは明るい口調で続けた。

「病気が進んで10代で死ぬんだろうなと思ってたから、将来の夢とかもとくになかったんですよ。でも死なないまま大学生になっちゃって、困ったなーと思って、それで自立生活センターを始めたって感じですね。もう20年くらいやってます」
「はー……」
「24時間介助がついています。いまも画面には映ってないけどあっちに(と後ろを見る仕草をして)介助者がいます」

長くは生きないと覚悟して過ごす10代ってどういう感じなんだろう。起きてから寝るまで、いや寝ているあいだも、24時間介助者と一緒に暮らすってどういう感じなんだろう。斉藤さんが開いた扉の向こう側が俄然、気になった。

「そういえば、いただいたメッセージには『金井さんに取材してほしい人がいる』って書いてありましたけど……?」

わたしはそろりそろりと半歩ほど前に出てみた。斉藤さんは口元をほころばせて言った。

「自立生活センターってわりと変人が多いんスよ。障害者や介助者のなかにも、それから両者をつなぐコーディネーターって役割のスタッフにも、おもろい人が多い。もしかしたら金井さんだったら興味を持ってくれるかなと思って、それで連絡をとらせてもらったわけなんです」

フハハ、変人好きだと見抜かれていた。わたしが吹き出すと、斉藤さんも画面の向こうで笑っている。

斉藤さんの態度は一貫して「なんとなく楽しそう」だった。悲壮感も強引さもなく、ただなんとなく楽しそう。そもそもこれまでのメッセージのやりとりの中で、斉藤さんはご自分が重度障害者であるとはひとことも言わなかった。つまり「障害者」という属性をアピールしてわたしの前に現れたわけではなかった。それもこれも含めて、わたしは斉藤さんにギュイーンと惹きつけられた。

オファーを断る罪悪感を薄めるためにとりあえず話を聞いておこう、なんて事前の不遜な計算はすっかり消えていた。だからといって自分が何をしたらいいのかもよくわからなかったけど。障害者のことも自立生活センターのことも何も知らないのに、斉藤さんと友だちになれそうな、楽しいことが一緒にできそうな、そういう予感だけがあった。

そこから斉藤さんとの旅が始まったのだった。

著者プロフィール
金井真紀

1974 年、千葉県生まれ。文筆家・イラストレーター。著書に『パリのすてきなおじさん』(柏書房)、『テヘランのすてきな女』(晶文社)、『世界はフムフムで満ちている』(ちくま文庫)、『聞き書き 世界のサッカー民 スタジアムに転がる愛と差別と移民のはなし 』(カンゼン)、『日本に住んでる世界のひと 』(大和書房)、『おばあちゃんは猫でテーブルを拭きながら言った 世界ことわざ紀行』(岩波書店)など多数。「多様性をおもしろがる」を任務とする。難民・移民フェス実行委員。