2025/09/19-2025/09/30
2025/09/19 金曜日
明日、大津市の認知症啓蒙イベントに出ることになっている。「義父母の介護~ホンネ150%!キレイごとゼロ!超リアルな介護奮闘記!」というタイトルでの講演。いいんですかね、私で。大津市が主催なので、会場も大きく、緊張するが、やるときはやらねばならぬので、どうにかなるだろう。司会者の方が質問を投げてくれるというスタイルだし、大丈夫のはずだ。ちょっと疲労が溜まってきているが……
今日は素晴らしいニュースがあった。中野量太監督『兄を持ち運べるサイズに』が第38回東京国際映画祭ガラ・セレクション部門公式出品だという。『兄を持ち運べるサイズに』にいいことが起きると兄のエア墓前に一輪の花が手向けられるというエア供養が行われると信じているので、静かに両手を合わせておく。
2025/09/20 土曜日
今日はとうとう、大津市主催の認知症啓蒙イベントです。アナウンサーの森田さんとともに一時間程度お話する。
なんと会場には大津市長・佐藤健司氏の姿まで(無茶苦茶ビシッとスーツを着ておられる)! 佐藤市長は私の記事も多々読んで下さっているということで驚き。次男が京都のジム前にあるカフェで、大学生のお姉さんにコーヒーをおごってもらった話が心に残っているということだった(京都新聞『現代のことば』掲載)。「でもあの、日記の連載のほうは、書きすぎじゃないですか!? 大丈夫ですか!?」と笑いながらおっしゃっていた。この日記のことでしょうか!
大津市役所のみなさん、聞きに来て下さったみなさん、本当にありがとうございました。
2025/09/21 日曜日
昨日のイベントの司会をされていたアナウンサーの森田恵奈さん、私は初めてお会いしたんだけど、とても素敵な人だった。本をとことん読み込んで来て下さっていたために、質問もすごく応えやすく、また丁寧で、楽をさせて頂いたと書いていいのかわからないけれど、リラックスできました。感謝。お父さまの介護の経験があるということで、共通の話題を楽しく話すことができた。優しいお人柄のうえに勉強熱心。ご本人の大変な努力が透けて見える、素晴らしいお仕事。
2025/09/22 月曜日
義父を連れて、義母の面会。義父は、「ここのスペースにワシも寝られるやないか(空きがないとは嘘だったのでは?)」と言い、どうしても義母の部屋で暮らすと言い張った。そういう仕組みじゃない、そういう話じゃねえという言葉をぐっと飲み込む。そして途中から、義父はむっとした表情で腕を組み、ソファに座り、「ワシを覚えているかどうか聞いてくれ」と、なぜか私に頼む。「自分で聞けばいいじゃないですか」と言うと、またしても憮然とした表情。
なんだよ文句あんのか。一人で歩いて帰ってもいいんだぞ。三日後ぐらいには街に辿りつく
2025/09/23 火曜日
訪問するたびに義母の写真をたくさん撮影している。時系列に並べていくと、この数週間というわずかな期間にも、義母はどんどん変化していることがわかる。髪が伸び、皺が深くなり、頰がこけた。頰がこけたから髪が伸びたように見えるのかもしれないし、頰がこけたから皺が深くなったのかもしれない。いずれにせよ、全体的に老いた印象がある。
実母が市立病院で病の床に伏せていたとき(彼女は認知症で膵臓癌の末期だった)、私は彼女に会うのが恐ろしくて、見舞いに行っても病室に行くことはなかった。廊下から彼女の姿を見るだけで精一杯だった。たしか四人部屋に入院していたのだが、母への見舞客はひっきりなしにやってきていたようで、同部屋の他の患者さんが辟易していたらしく、廊下のソファに集まって、せん妄が激しくなりつつあった母の噂話をしていた。もちろん、その真後ろに座っていた私はすべて聞いていたのだが、「朝から晩までお金の話をしている」とか、時々、とても柄の悪い中年男がやってくる(それはきっと兄)とか、「もう長くないよ」などなど酷いことを言われていた。
若かりし日の母はとても華やかで美しく、どこへ行っても「あっこさんは美人」、「あっこさんは太陽みたいな人だ」と言われていた。年末になると大量のおせち料理を作って、重箱ごと、多くの人にプレゼントしていた。「理子、大きくなったら優しい人になりなさい」が母の口癖。たしかに彼女自身が、誰にでも優しくできる人だった。しかし、病室で横たわってケータイを握りしめて白濁した目で窓の外を見つめる当時の母は私にとって、恐怖以外の何者でもなかった。ひっきりなしに溜まる腹水を抜く度に、死期が近づくのは明らかだった。
写真は一枚も残していない。
2025/09/24 水曜日
義父のデイサービスの施設長から、私と夫以外の誰かもう一人を保証人につけてほしいと言われ、困った。「そんな人はいませんねえ」と答えると、「そうですかあ」ということで悩んでいる様子だった。ダメ元で「犬はどうでしょう。一応大型犬です」と言ってみたのだが、施設長はしばらく考え、「犬は困るなあ……」と言っていた。
2025/09/25 木曜日
最近、ターンテーブルが欲しいと思いはじめて、悪いクセで夜中にポチっていきそうになる自分を必死に止めている。これは、明らかに父の影響だと思う。父は私が記憶する限りほとんど無職(とは言い切れないが、欠勤があまりにも多すぎる会社員)で、やってることはゴルフ、レコード収集、煙草を吸う、読書ぐらいのものだった。私はそんな父でも好きだったし、どうとも思っていなかったけど、記憶の片隅を必死に掘り返してみると、夜中に母が泣いていたような気もする。しっかり働いてと父に言い、父は母を無視してレコードを聴いていた場面が思い出される。鼻ほじもしていたと思う。きっと母は、兄と父に悩まされていた。私がいい子で本当によかった。ターンテーブルは今年中に買おう。
2025/09/26 金曜日
近所の犬を預かっている。イリスという名のゴールデン・レトリバーで5歳だ。保護された直後からテオはイリスとともに暮らしていたため、姉のような存在なのだろう。イリスがわが家に来るとテオは大喜びしてはしゃいでいる。
2025/09/27 土曜日
朝から様々な原稿。なぜ様々と書いているかというと、多すぎて自分でもよくわからなくなっているし、すべてがわかると恐ろしくなってくるので、とりあえず目の前の原稿から作業を進めている。まずは翻訳。相変わらず難解で、本当に困惑している。しかし、八章に入って徐々にスピードがあがってきた。もう大丈夫だ。次に、お取り寄せ本の原稿。「三日で書く」と豪語したというのに、進みが悪い。もう一つ、翻訳。これは短いものなのだが、とにかく急いで出さないといけない一冊なので、隙間時間に少しでも前に進もうと涙ぐましい努力を重ねる。今年中に6冊ということになってる。できる、俺なら。
2025/09/28 日曜日
義父から、「今年はおせち料理を頼まない」という連絡が来る。おせちレス正月、かなりのブレイクスルー。
2025/09/29 月曜日
もうそろそろ、SNSはいいんじゃないのかと思いはじめる。この日記を書いているくらいでちょうどいいはずなのだ。もちろん、お勧めの本だとか、どうでもいい写真とか、おいしい食べ物とか、そういうことを書くことは辞めないとは思うが、人生にはもっと大切なことがあるよなと、当然のことを考え始めた。ストレートに書けば、私は年を取り過ぎたのだ。
2025/09/30 火曜日
原稿が予定より早めに終わったので、ひとつだけ和菓子を持って、ふらりと義母の面会に行った。義母は私を見ても私だとわからなかった。二人きりで居室にしばらくいた。この人は本当に昔、私をいびり倒し散らかしていた、あの義母だろうかと不思議な気分。しばらく滞在したが諦めて、義母の上着のポケットにお菓子を入れて、それじゃあねと手を振って居室を出た。
松任谷由実は『Hello, my friend』のなかで、こう歌っている。
淋しくて 淋しくて 君のこと想うよ
離れても 胸の奥の 友達でいさせて
翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。
主な著書に『ある翻訳家の取り憑かれた日常』(2巻まで刊行、大和書房)、『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術
』(CCCメディアハウス)、『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』『ハリー、大きな幸せ』『家族』(亜紀書房)、『村井さんちの生活』(新潮社)、 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)、『更年期障害だと思ってたら重病だった話』(中央公論新社)など。
主な訳書に『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』など。

