秘密光合成

この連載について

その時に咲いていた、その花の花言葉を、最果タヒが詩で見つめ、新たに捉えていく連載です。花を見つめる時、いつもそれらは「私」の人生や生活の断片としてあり、その花に一つの象徴のような言葉を見出すとき、それはいつも人生や生活に重なっていく。その淡さを詩で描けたらと考えています。

第3回

紫陽花

2024年8月20日掲載

冷え切った紫陽花のように、きみだけを裏切らずにいたい。孤独は、ただ一つの方角だけにまっすぐと光ることができるから、きみだけを裏切らずにいたい。愛しているよりも、きみのことを信じていると命を懸けて言いたかった。それを恐れない人に出会いたかった。ぼくの北極星になってくれ。地上では一人でいい、永遠にこの心臓が動いて、話す言葉を聞いてくれる人がどこにもいなくなったっていい、星空の中心が見えるなら、それが一人の人ならば、ぼくはぼくが人であることも誇るだろう。孤独な命を愛するだろう。

――紫陽花の詩


 あなたは冷たい、という紫陽花の花言葉が好きだ。(それは、冷たい雨の中で咲いているから生まれた花言葉らしい)。花言葉は一つの花に対していくつも種類があって、たとえばその花の色や、国によっても異なってくるから、紫陽花にももちろんいろんな花言葉がある。そしてだからこそ、そんな中で、どこかのだれかが昔に、紫陽花に冷たさに関する花言葉を見出したというのは、とてもきれいなことだと思う。
 私は、冷たいと言われざるをえないほど、自分の信じているものを貫く瞬間が人生に多くある人が好きです。もちろん、そんな好意的に受け止められない「冷たさ」だってこの世にはたくさんあるのだろうけれど、誇り高さとは時に冷たさや厳しさとして他者に見えるだろうと思っている。冷たい雨の中で咲く紫陽花は綺麗だ。紫陽花は、なかなか花が終わらないそのしぶとさもまた、別の花言葉(辛抱強さ、とか)になっている。紫陽花はだれよりも冷たさにさらされて、だから、ひんやりとしている。ひんやりとした雨の中で傘をさして歩いているとき、遠くに咲いている紫陽花の花の群れを見つけると、私はとても嬉しい。あの大ぶりの花は、だれかの心がそっと野晒しになっているみたいで好き。そこに人が立っているような、それくらいの複雑さと存在の重さを感じる。どんなにじっくり見ても全てを把握することができない、美しいと簡単に言うのも躊躇するような「大きさ」「多さ」が好きだった。
 紫陽花のことをわかることはできない。でも、紫陽花にとっては、この季節がきっと一番美しいのだろうと思った。雨は嫌いだという人も多いけれど、紫陽花にこの天気はどう見えているのだろうと思う。

 誇りがある人が好きで、誇りがある人は、何を愛すべきか知っている人なのだと私は思う。その人が見つめるものに私がなることはなくても、その人の瞳の光が、証明している世界の美しさを、私は好きだと思える。それは、私の誇りだったりする。

著者プロフィール
最果タヒ

詩人。中原中也賞・現代詩花椿賞。最新詩集『愛の縫い目はここ』、清川あさみとの共著『千年後の百人一首』が発売中。その他の詩集に『死んでしまう系のぼくらに』『空が分裂する』などがあり、2017年5月に詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』が映画化された。また、小説に『星か獣になる季節』、エッセイ集に『きみの言い訳は最高の芸術』などがある。