その時に咲いていた、その花の花言葉を、最果タヒが詩で見つめ、新たに捉えていく連載です。花を見つめる時、いつもそれらは「私」の人生や生活の断片としてあり、その花に一つの象徴のような言葉を見出すとき、それはいつも人生や生活に重なっていく。その淡さを詩で描けたらと考えています。
紅梅
あなたとの約束を守るのは、あなたに愛されたいからではありません。私が、あなたを愛したのは、私が、美しい心を持つから。そう断言をしたいから。
私は、誰との約束も守る、あなた以外との約束も守る、そうして、だから、あなたを愛している。あなたの瞳は、大きな海。海の光が、無数の誰か。私は、誰にも嘘をつけない、誰のことも裏切らない、そのときだけあなたに、愛していると言える。あなたの瞳を見つめていられる。あなたのことだけを愛している。あなたとの約束を、どこまでも守る。すべての人を愛するように。
冬の中に赤い記憶、赤い香り、赤い梅の花。春は一年中、土の中に隠されて、そうしてかならず約束を守ってやってくる。本当はただ一人を愛して、この花は咲くけれど、紅梅が連れてくる春は、すべての私たちを愛している。
――紅梅の詩
梅の花言葉に「忠実」というものがあり、忠実ってなんだろうとずっと考えていた。愛した人に「どうか、このことを守り抜いてほしい」と言われたら、私はきっとそれを手のひらで握りしめて頷くだろうけれど、でも、あなたのために心や理性を投げ出して、忠誠を誓うのではなくて、そんなとき、私は、きっとただ、すべての人との約束をちゃんと守りたいと思っているのと同じように、あなたとの約束も守りたいだけなのだ。愛の言いなりになるのではなく、私はむしろ愛とは関係のないところで、ただ、人が心を込めて「守って」と願ってきたことを、律儀に守り抜きたいと、愛する人を前にするからこそ思うだろう。
私はそうやって自らの心を、できるだけ、透明なままで貫いてみようとし続けるだろう。愛は愛する人のために、自らを磨くきっかけになるというより、むしろその人がいてもいなくても関係のないところで、「私」がどんどん純粋になっていくようなそんなきっかけなのだと思う。澄んで、澄んで、その先で人を愛したい、と思う。そして、愛する人がいるなら、「あなたを愛したい」と思うだろう。
愛するから約束を守るのではなく、約束を守れる私だから、あなたのことを愛すことができる。そう、断言したくなる。きっと、忠実ってそういうことなのだ。
そんなことを考えて、この詩を書いていた。
