秘密光合成

この連載について

その時に咲いていた、その花の花言葉を、最果タヒが詩で見つめ、新たに捉えていく連載です。花を見つめる時、いつもそれらは「私」の人生や生活の断片としてあり、その花に一つの象徴のような言葉を見出すとき、それはいつも人生や生活に重なっていく。その淡さを詩で描けたらと考えています。

第4回

金木犀

2024年11月22日掲載

人は、死んだら金木犀の香りを纏って、川を渡るのだと、誰かが言っていた。川を渡るその後ろ姿を見ることができない私たちは、毎年、金木犀の香りに出会うたびに懐かしくなり、そうして、失った人を思い出すかわり、遠い過去の秋の中で、金木犀の香りに包まれて、駆け抜けていた子供のころの時間を思い出す。まだ大切な人が一人も消えていなかったころ、私は、今より幸せだったでしょうか。今の秋も愛しています。さみしさに美しさを感じる人の心に、金木犀はよく似合う。忘れません、という言葉より、愛している、という言葉を差し出せても、悲しみは心に穴を開けて。さみしさを愛してはいない、秋を愛している。そう呟くために、この香りを愛している。

ーー金木犀の詩




 金木犀の花言葉に「幽世」があり、要するに、あの世のことだった。調べていると、金木犀の花言葉は怖い、と書かれた記事がいくつも出てくるが、私はこの花言葉が好きだし、怖いとはあまり思わない。(詩には金木犀の香りに包まれてあの世に行く、という話を書いたけれどそれは正式なものではないです。金木犀の香りは強く、魔除けとしても用いられていたから、そこからきた花言葉ではないか、とされています。)人は必ずいなくなってしまう、そうして、その世界について語る花があるとして、それが必ず毎年私の前に訪れるあの香りの花であるならば、なんて美しいのだろうと思う。
(美しいけれど、でも、人がいなくなることは寂しい。)

 金木犀は私にとって、懐かしさを伴う花です。それは幼少期から秋には金木犀があり、そうして、金木犀はまだ「香り」というものに対して興味のなかった子供時代の私にもわかりやすく美しい香りだったから。美しい香りだとわかることが嬉しかったのです。香りにときめくことができた、という思い出として心の中に刻まれている。何年経っても、秋は必ず金木犀の香りに気付き、そのことにはしゃいでもいた。そのとき心を満たすのは「幼い頃の私」としての喜びだった。金木犀は愛されている香りで、いろんな理由でその香りを好きな人がいるのだろうけど。少なくとも私は、今でも金木犀の香りをかぐと、自分の幼少期を思い出します。変わらずに同じ香りを美しいと思える自分が嬉しくて、金木犀の香りがしたことを誰かに話したくなるのです。
 年をとるごとに、幼い頃に見ていた世界の眩さには慣れていき、金木犀の香りも、良い香りと思うより、「懐かしい」と思って愛でているような気がする。懐かしさが、私の中で美しさとして磨き抜かれている感じがする。そうして、もう会えなくなった人が何人も増えていく。失ったもの、懐かしいものが増えて、それでもあの頃の自分のほうが幸福だったかというと、そうではないようにも思い、きっと過去を眩しい思い出として思い出すことは、長く生きていく上での強さそのものなのだ。けれど、それでも、何かを失うことを美しいと言うのは私はいやだ。いやで、いいのだと思う。季節は物悲しさや、失われたものを思い出させる。そのたびに、確かにその季節は特別に、美しく輝いても見えて。それは本当にただ季節が美しいからなのだ。それだけを見つめることが私には難しくなっただけで。失ったもの、わすれてしまったこと、もう会えない人、破れてしまった約束、おしまいになった関係性、そういうものを美しいと言いたくない代わりに、それらをすべて包んで、けれど直接は何も言わない季節のことを、私は美しいと言っていたい。

著者プロフィール
最果タヒ

詩人。中原中也賞・現代詩花椿賞。最新詩集『愛の縫い目はここ』、清川あさみとの共著『千年後の百人一首』が発売中。その他の詩集に『死んでしまう系のぼくらに』『空が分裂する』などがあり、2017年5月に詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』が映画化された。また、小説に『星か獣になる季節』、エッセイ集に『きみの言い訳は最高の芸術』などがある。