組織のほぐし屋

この連載について

日曜夕方、「明日は仕事だ~!」「月曜最高! 学校たのしみ~!」とワクワクしている人はどれほどいらっしゃるでしょうか。
人が二人以上集まって目的に向かって何かを成そうとするとき、その集団を私は「組織」と呼んでいます。夫婦や親子など家庭も組織・チームですし、学校、病院、企業、スポーツチーム…などは、どれも立派な組織。
ですが、この「組織」というのが、ややこしい。人生において大きな意味を持つ一方で、「組織」こそが人々の悩みの種ともいえるのです。
巷には「〇〇力」を身につけることで組織でサバイブできる!とうたったり、逆に組織でうまくいっていないのは「あなたに○○という問題があるからだ」との言説もあったりしますが、実際のところ、私たちは「組織」とどう付き合うとよいのでしょうか。

教育社会学という、学校くらい当たり前の社会のしくみを疑ってみる学問を修めたのち、ビジネスの現場にどっぷり浸かった組織開発コンサルタントである私が、組織にまつわる凝りをときほぐすのが、この連載です。

第6回

部下との対話が失敗した、と悩むクライアントに見えていないもの

2024年3月8日掲載

まばたきする間に……3月に。言い訳ですが、大和書房より書籍が今夏出ます。その執筆に集中させていただいていました。だいぶ見えてきたので、「組織のほぐし屋」業に戻りたいと思います。久々ですがよろしくお願いします。

さて、その間も、続々と組織運営に関する相談を寄せていただいています。そのたびに、「う~ん惜しいなぁ。ボタンを掛け違ったまま歩み寄るって、そりゃ難しいよなぁ」ってな気持ちになります。そんな気持ちがつい先日した、組織開発のとあるクライアント(経営者)からのご相談について、少し脚色してお伝えします。設立10年、社員40名ほどのシステム開発会社さんです。

対話失敗!? 社長の困りごと

「テッシーさんこんにちは。先日もご相談した社員Oについて、です。かねてより立ち上がり(入社後の適応、成長)に懸念のあった Oですが、テッシーさんから『お互いの頭の中を交換しないことには始まらない』とのアドバイスを受けて、<対話>してみたのですが……さらに関係が悪化していて困っています。

というのも、「頭の中の交換」と聞いていたので、相手Oが思っていることをざっくばらんに話してほしい、と聞きだすことに徹しました。するとOは、『自分(社員O)は社内でおそらく最も仕事量も多く、しんどい。原因は役割分担の偏り、つまり職場の環境にある』というような話をとうとうとしてきたのです。

あまりに環境要因ばかり話し、自分自身のスキルアップに触れないOに、途中から『おのれ、黙って聞いてりゃ……』的な怒りがこみ上げてきてしまい(笑)。耐えようとしたのですが、ついに、『もっと自分の能力を上げようとか思わないの?』と切り出したら最後。Oも私のことを『そればかりだ、いつも。こちらのエンゲージメント(社員が仕事にどのくらい熱中しているかの指標)を引き上げるような経営体制がとれていないじゃないですか!』とのカウンターパンチを食らい、会話終了。<対話>なんてしなきゃよかった、くらいに思っています。この先どうすればいいでしょうか?」

というものです。程度の差はあれど、非常によくあるご相談です。

ボタンの掛け違い=「問題設定」のすれ違い

まずお気づきのとおり、経営者(相談者)とOさんとは、現状についてまるで違う景色を見ているようです。簡単に言うと、経営者(相談者)はOさんのスキル・能力不足を「問題」と考えていて、Oさん側は組織の環境・体制こそが「問題」だと考えている。——「問題設定」自体がすれ違っているのです。解くべき「問題」が違えば、当然その後噛み合いようがありません。

したがって「問題設定」は組織開発の中でも最も重要なポイントの1つです。

こんな大切なことこそ往々にしてズレが生じやすいのが人間です。明確な指針を持たずに闇雲に話を進めず、以下の点に留意していくことをおすすめします。ざっくり6ステップを考えています。

相手の語りを聞いたあと、聞いたまんまを自身の感情で処理しては、端からすれ違っている人同士、にっちもさっちもいきません。Oさんの解釈を聞いて、「いや違う。それは君の能力の問題じゃないか!」と返すことで、いったい何を得られるでしょうか。糾弾や詰問は、対話ではありません。それが組織開発で必要とされる場面は、皆無なのです。

そうではなく、次のようないわば「介入」が必要不可欠だと私は考えています。

■対話に必要な6つの「介入」ステップ

ステップ① 受容

ステップ② 整理

ステップ➂ 視点の共有

ステップ④ 論点設定

ステップ⑤ 実践案出し

ステップ⑥ 観測・振り返り・微調整……つづく

どういうことでしょうか。たとえば①から②へのステップでは、こんなことばが出てくるイメージです。

「なるほどなぁ。そうOさんの目には映っているというわけだね。そうか。『問題』だと思っているものがお互いに違うってことなんだなぁ」

このように、何はともあれ「現在地」を示すわけです。

せっかく相手が話してくれているのに、こうした、お互いに“かけているメガネの違い”をむげにしたまま突っ走ると先の社長のような「水掛け論」に終わり、空中分解します。

厳しいようですが、下手に「話せばわかる」のような甘えた根性論で入らないように。すでに相当「すれ違っている」前提で、慎み深く話をすすめましょう。お互いが感じる違和感や、ともするとイライラは、お互いのどんな違いが生み出したものなのか? これこそ問いたいところです。

「正しいのは誰か?」は悪手

間違っても(でもよくあるのですが)、「正しいのは誰か?」という問いを浮かべながら、話さないようにする、ということ。さもなければ、対話どころかむしろ、対立を生みます。

みんながみんな、「自分は正しい」と思って「自分なりにやっている」のが組織ですからね。

次回はつづきの③「視点の共有」フェーズからお届けします。また来週水曜にお会いしましょう。

著者プロフィール
勅使川原真衣

1982年横浜生まれ。東京大学大学院教育学研究科修了。BCGやヘイ グループなどのコンサルティングファーム勤務を経て、独立。教育社会学と組織開発の視点から、能力主義や自己責任社会を再考している。2020年より乳がん闘病中。著書に『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社)がある。朝日新聞デジタルRe:Ronにて「よりよい社会と言うならば」連載中。