組織のほぐし屋

この連載について

日曜夕方、「明日は仕事だ~!」「月曜最高! 学校たのしみ~!」とワクワクしている人はどれほどいらっしゃるでしょうか。
人が二人以上集まって目的に向かって何かを成そうとするとき、その集団を私は「組織」と呼んでいます。夫婦や親子など家庭も組織・チームですし、学校、病院、企業、スポーツチーム…などは、どれも立派な組織。
ですが、この「組織」というのが、ややこしい。人生において大きな意味を持つ一方で、「組織」こそが人々の悩みの種ともいえるのです。
巷には「〇〇力」を身につけることで組織でサバイブできる!とうたったり、逆に組織でうまくいっていないのは「あなたに○○という問題があるからだ」との言説もあったりしますが、実際のところ、私たちは「組織」とどう付き合うとよいのでしょうか。

教育社会学という、学校くらい当たり前の社会のしくみを疑ってみる学問を修めたのち、ビジネスの現場にどっぷり浸かった組織開発コンサルタントである私が、組織にまつわる凝りをときほぐすのが、この連載です。

第7回

無邪気な〈対話〉が危険なワケ

2024年3月15日掲載

お約束どおり今週もお目にかかることができました。前回は、<対話>をしたら、関係が悪化したんですけど!という切実なお悩みを扱いました。 

頭の中の交換、の入り口には往々にして「溝」が横たわっている。つまり、互いが見ている世界(解釈)のズレが存在しているのです。そこを素通りして、早く核心に触れよう! なんなら相手を変えてやろう(説得しよう)なんていうのは無謀である。そんなことを伝えしました。 

今回はそのつづきです。 

対話に必要な6つの「介入」ステップ 

ステップ① 受容 

ステップ② 整理 

ステップ➂ 視点の共有 

ステップ④ 論点設定 

ステップ⑤ 実践案出し 

ステップ⑥ 観測・振り返り・微調整……つづく 

ステップ③「視点の共有」に入ります——。こちらが見えている景色を伝える/自分に聴こえているトーンやリズムを伝える、ということです。ポイントは、自分からはそう「見えている」「聴こえている」と念頭に置く点です。ファクト、真実、本質……などなど、巷ではけっこうさらっと言ってしまうのですが、そんなものは人それぞれの価値観によっていかようにも「見え方」も「聴こえ方」も変わると考えます。つまり、私もデカルトあたりに倣うわけではありませんが、唯一解なる真理なぞ存在しないのが、真理だと、そう思って生きています。 

なので、自分が何かを思ったとき、それは言うまでもなく尊い主観ですが、あくまでその瞬間に相手のことが「そう見えた」「そう聴こえた」という「自分の解釈」の話なのです。何ら絶対的ではない。このことはいくら肝に銘じても銘じすぎることはありません。 

ここが崩れると……脅すわけではないのですが、関係性の土台が危ぶまれます。「間違いなく〇〇だ」「いつもあなたって」「なんでそうなるの?」……これらはいずれも一方的な他者へのジャッジメント(評価)です。これらを続けることで、相手と頭の中の交換をし、協働が促進され、創造性を発揮し合える職場に……なるわけないですよね。

職場に限らず、学校や家庭でもしばしば飛び交ってしまうことばたちである気もします。いずれにせよ、それらのことばはいつだって、水掛け論への嚆矢(こうし)にしかなりません。 

たとえば、以前こんなことがありました。ある上長から部下について、 

「1 on 1? する必要ないですよ、あいつとは。やるべきことやってからの話でしょ? 基本ができてないもん。そんなやつと悠長に<対話>? 勘弁してくださいよ、このクソ忙しいのに」 

と。 どこが危ないサインか、おわかりですね?  この上長は、無自覚に2つの前提を抱いていることがわかります。 

・部下のことを「やるべきことができていない」と評価(ジャッジ)している 

・<対話>は、「やるべきこと」ができている者に与えられた機会である 

という点です。ここに無自覚だと、ズレありきで始まる対話(1 on 1 、おしゃべり……呼び方はなんでもいいのですが)が進行し得ません。 

対話はすべからく、ズレありきな状態からスタートするのですから、ズレの言語化・可視化が何はなくとも最優先です。それも、「あくまで自分は今……」という慎みをもった現在地の表明です。先ほどの例で言えば、 

「悪いんだけど、私が期待していることをスムーズにこなしてくれているように見えてないんだ。きっとその【期待】とやらが伝わっていない部分もあるんだと思うんだよね。今日は改めて、こちらの期待と、〇〇さんが仕事に求めるものや今のタスクについて思っていることを聞いて、双方の期待値調整(すり合わせ)の時間にしたいと思うんだけど、いいかな?」 

そんな「視点の共有」が必要なのです。 ここをすっ飛ばしたり、重要性に無自覚でいたりすると、前回の例のような、 

「黙って相手の主張を聞いていたら腹が立ってきて、つい相手の不備を『指摘』してやった」 

「話を聞けど聞けど、相手とは一生理解し合えないことだけがはっきりした」 

などの絶望的な時間に終始してしまうのだと考えます。 

✓「私にはこう見えているけど、〇〇さんの視点を教えて」 

✓「僕、今、〇〇さんがXXと言っているように聴こえたんだけど、それって意図と違う? どうかな?」 

こんな素朴な、<対話>とわざわざ呼ぶまでもないような、他愛のないやりとり。ズレの自覚と、その表明から、職場をはじめ、組織での協働は始めたいものです。 

関連して、次回はこんな事例への対応からお届けしようと思います。 

「なるほど。頭の中の交換はズレの表明とそのすり合わせからはじめるのですね。わかりました。うちの社員で、先日やったストレスチェック(2015年より従業員数50名以上の組織で実施が義務化されたストレス度合いを測るアンケート)で、プライベートでのストレスが非常に高いと出た者がおりました。1 on 1をしなきゃですよね? 彼の悩みを聞きだすといいんですかね? やってみますね!!」と仰るとある別のマネージャー。 

危なっかしくて私は全力で止めました。なんででしょうか?  来週につづく。 

著者プロフィール
勅使川原真衣

1982年横浜生まれ。東京大学大学院教育学研究科修了。BCGやヘイ グループなどのコンサルティングファーム勤務を経て、独立。教育社会学と組織開発の視点から、能力主義や自己責任社会を再考している。2020年より乳がん闘病中。著書に『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社)がある。朝日新聞デジタルRe:Ronにて「よりよい社会と言うならば」連載中。