組織のほぐし屋

この連載について

日曜夕方、「明日は仕事だ~!」「月曜最高! 学校たのしみ~!」とワクワクしている人はどれほどいらっしゃるでしょうか。
人が二人以上集まって目的に向かって何かを成そうとするとき、その集団を私は「組織」と呼んでいます。夫婦や親子など家庭も組織・チームですし、学校、病院、企業、スポーツチーム…などは、どれも立派な組織。
ですが、この「組織」というのが、ややこしい。人生において大きな意味を持つ一方で、「組織」こそが人々の悩みの種ともいえるのです。
巷には「〇〇力」を身につけることで組織でサバイブできる!とうたったり、逆に組織でうまくいっていないのは「あなたに○○という問題があるからだ」との言説もあったりしますが、実際のところ、私たちは「組織」とどう付き合うとよいのでしょうか。

教育社会学という、学校くらい当たり前の社会のしくみを疑ってみる学問を修めたのち、ビジネスの現場にどっぷり浸かった組織開発コンサルタントである私が、組織にまつわる凝りをときほぐすのが、この連載です。

第8回

なぜ上司は、できる部下に言いくるめられるのか

2024年3月22日掲載

今週も「組織のほぐし屋」におかえりなさいませ。

前回は、自組織内の部下のストレス度が軒並み高いことを知ってしまったあるマネージャー(非常におとなしい、いわば朴訥としたタイプの方であることを付言します)が、

「今からメンバー(部下のこと)が何に困ってるのか? ざっくばらんに話すよう、1 on 1してきます!!」

と目をキラキラさせて私におっしゃるので、全力で止めにかかりました、というところで終わりました。なぜでしょうか? 読者の皆さまには簡単すぎる問いですよね。

仮に、“ストレスは組織生産性の悪しき敵!”とばかりに、巷のストレス×組織生産性の理論を耳にしたマネージャーが、ストレス撲滅を掲げて、自分の部下たちを1 on 1に根こそぎ誘った(いざなった)ら……どんなことが起きそうでしょうか? よくある、怖気づきながらもとりあえずやらなきゃ、とやっている1 on 1。しばしばこんなことばから始まるわけですが、

——「最近どう?」

平成のナンパか!と思ったりしなくもないのですが、まぁ、中には、喜ぶメンバーもいるかもしれません。しかし中には、「このクソ忙しいときに……勘弁してくれ」という人もいるでしょう。「誰かに話してどうにかなるならとっくにそうしてるわ。言っても仕方ないし」という方も少なくないでしょう。

そもそも「ストレス」くらいみんなある

何が言いたいかというと、「対話」は言われているほど、簡単で誰でもできることでは、今のところありません(それは朝日新聞デジタルでの連載にも書いたので詳しくはお読みいただきたいのですが)。

ある組織で「対話」が機能するには前提条件が、しかと存在しています。それなのに、その前提はさして語られぬまま、方法論としての<対話>だけが独り歩きしているからだと私は考えています。

<対話>が仮にうまくできないときは、それは管理職や一般社員個人の<対話力>の問題ではない。組織構造的にも情報共有の面でも、権力階層の意味でも、勾配・格差があったままでは、「対話」のスタートラインに立てないのです。

まずは、地ならし、場の設定を見直すべきです。拙速に、中途半端に、“「話せばわかる」(かもしれない)”なんて、対話ハラスメントになりかねません。

また、もっと言ってしまえば、「ストレスが組織生産性を下げる」と言われますが、うーん。職場環境のうち特に物理的なものは環境改善したらいいのですが、ストレスは家庭にも、通勤時にも、自身の体調にも……何にでも、まぁまぁ、つきまとうものです。ストレスチェックなるものがあるからといって、その撲滅の責任を、会社のマネージャーが遮二無二負うのは違うんじゃなかろうか? とも私は思います。

では、なすすべがないのか?

そんなこともありませんよね。連載第5回から提示している「対話に必要な介入ステップ」に、ここで戻りたいのですが、闇雲に<対話>を急いて仕損じるくらいなら、まずはステップ④「論点設定」の話です。これは簡単に申し上げると、

✓「誰が(どっちが)<正しい>か?」「<正しいこと>を自分は言わねば」

の呪縛に気づき、まず自らを解放することです。

対話に必要な6つの「介入」ステップ

ステップ① 受容

ステップ② 整理

ステップ➂ 視点の共有

ステップ④ 論点設定

ステップ⑤ 実践案出し

ステップ⑥ 観測・振り返り・微調整……つづく

<正しさ>から自由になる

今日はこのステップ④「論点設定」についていきましょう。

論点設定とはつまり、「誰が(どっちが)正しいか?」という問いを立てることをやめてみましょう、ということです。

以前、とある大手人材開発コンサルティング会社が提供する「リーダーシップアセスメント」の現場に居合わせたことがあります(参与観察のお願いを快諾くださいました)。

あるメーカー中小企業の部長職以上約50名の「リーダーシップ力」を測るための、丸2日間に分けたアセスメント(=いわば「テスト」)が、複数人のアセッサー(審査員といっていいでしょう)が、対象者の一挙手一投足を観察・スコアリングする、というものでした。

ちなみにそのテストとはざっくり言うと、「頭もデキもよいが部内の方針はとことん無視、自分さえよければ的な仕事の進め方をする仮想の部下(部下役をそのコンサル会社の社員が演じる)」に模擬1 on 1の場で、どうフィードバックするか?の実演でした。

注目したいのは、約50名の精鋭メンバーとて、部下との対話がままならないこと。それは<対話力>が低いわ、なんて単純化した話ではなく、

✓「誰が(どっちが)正しいのか?」を見極めなきゃ

✓自分は管理職として「正しいこと」を言わなきゃ

という一般論でがんじがらめになった様子が見てとれました。具体的には、約50名のうち、その会社では約6割が、こともあろうに部下役に言いくるめられていました。そして、残りの3割ほどは、必死にこれもこともあろうに「説教」していた!!1割ほどが、「お互いに状況の見え方に齟齬がありそうだから、意見交換したい」と切り出していました。ちなみに「説教」とはこんな感じです。

「そういう態度ってさ、部門の士気を下げるって、気づかないかな?」

などと、語尾は(審査員の面前もあり)やわらかですが、まるで不良生徒を叱る生活指導の先生のような謎空間になっていました。ただこれ、無理もありません。というのも、私たちは、先の、

✓「誰が(どっちが)正しいのか?」を見極めなきゃ

✓自分は管理職として「正しいこと」を言わなきゃ

にあまりに慣れ過ぎてきたからです。そうあれ、そうじゃなきゃダメだ、と幼少期から大人になるまで絶えず教えこまれてきたんですから。それが大人になったら急に、小器用に<対話>しろ、って難しい。<正しさ>にとらわれる限りにおいて。

コンフリクト(葛藤)マネジメントは学んでいきたい

この<正しさ>から自由にならねばなりません。

<正しさ><全世界に通用する真理とは何か>そんな壮大な話ではなく、自己と目の前にいる他者との「解釈の違い」なのだと、前回まででお伝えしてきました。その上で、

「見えている景色がズレていそうな感じがするから、今日は意見交換しませんか」

これを場の冒頭で提示したいのです。これは<正しさ>への闘争ではなく、コンフリクト(対立や葛藤)をいかにマネージするか?という話でしょう。

とても大事なところなので、長くなりましたから次回、詳述してまいりましょう。ごきげんよう。

著者プロフィール
勅使川原真衣

1982年横浜生まれ。東京大学大学院教育学研究科修了。BCGやヘイ グループなどのコンサルティングファーム勤務を経て、独立。教育社会学と組織開発の視点から、能力主義や自己責任社会を再考している。2020年より乳がん闘病中。著書に『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社)がある。朝日新聞デジタルRe:Ronにて「よりよい社会と言うならば」連載中。