むき身クラブへようこそ  私の解放days

この連載について

むき身とは? 牡蠣をむいた時の中身のように、プルプルの震えている一番無防備な状態のまま、ただ存在している状態。身に纏ってきた不要なものをやさしく洗い流し、脱ぎ、ただ「むき身」になることを目指すクラブ。誰にも頼まれず結社し、むき身クラブと言い続けていたら、いつの間にか連載タイトルにまでなってしまいました。申告不要、出入り自由。それぞれの幸せをただ願い、自分を解(ほど)いて放っていく、日々の手立てを記します。

第1話

はじめに:朝目覚めたとき、どんな気分?

2023年5月12日掲載

 真っ直ぐに続く長い長い坂を上ったところにある神奈川県立図書館本館。昨年リニューアルオープンしたばかりのモダンな建物の1階、静かだが心地よい共用スペースで作業をする中、ふと顔をあげたら特集棚に設置されたパネルにこんな言葉が書いてあった。

 「朝、ベッドや布団から起きてくる時、どんな気持ちですか?」

 ドキッとする。働き方について考える本を集めた特集の棚だった。文章はこう続いていた。

 「わくわくする気持ち? げんなりした気持ち? それとも?(後略)」

 朝目覚めたときにどんな気分か、なんてすごいことを聞いてくる。眠りから覚めたばかりの気分は、嘘がつけない。お金がないときなどは朝起きて一番に、眠っている間に溜まっていた水が滲み出るように不安が襲ってくる。支払いどうしよう、やっていけるのかな。キュ、と布団の中に潜って、不安に満ちた寒くて冷たい気分の中でうずくまる。
 朝目覚めたときの気分を水に溶かして、スポイトで採取して培養したら、顕微鏡の中に何が見えるだろうか。漠然とした不安、今日これからやることへの圧迫感、プレッシャー、恐怖、憂鬱、それが明日もそうであることへの絶望、あるいは全部通り越して、虚無。どれだけ普段明るく振る舞っていても、朝の気分の水の色はある種の自分の状態を映し出す。
 朝日の光で鳥の声と共に目が覚め、目覚ましのアラームを鳴る数分前に止めて、おはよう今日も一日愛してるよ、なんて誰に向かってかわからず囁いて、伸び上がってベッドをおり、白湯を沸かしにキッチンにいく……みたいな日々も、あるはずだけど。
 スティーブ・ジョブズが2005年にスタンフォード大学で行った有名なスピーチに、同じような一節がある。毎朝鏡に映る自分にむかって、もし今日が人生最後の日だとしても、今日これからやろうとしていることをするだろうかと問いかける。「違う」という答えが何日も続くようなら、生き方を考え直す時なのだと。
 ジョブズ方式でいくと、顕微鏡でのぞいた水が数日以上濁ったままだったら、考えるべき時なのだろう。だけど数日どころか、人生ずっと大体ずっと濁っていたような気がする、なんてこともある。何となく不安で、何となく寂しい。朝起きたときにうっすらとした恐怖がある。生活に支障はないのだけれど、幸福かといわれれば顔が曇る。魚は棲めない程度の濁りではないけれど、手で触れてみたいとは思わない、においも正直嗅ぎたくはないような水が、起きたときの毎朝の気分だったりする。それよりも早くベッドを出ないと。ゴミ捨てはもう間に合わない。寝ている間にメールが来ていた。電車には座れるだろうか。いっそ止まっていたらいいのにな……。
 週5のフルタイム勤め人生活をしていたとき、そんな朝が続いていた時期もあった。あんなに頑張って走った先には、乗りたくもない満員電車と、その更に先には機嫌が悪く、自分に当たりの強い先輩がいる。その人のことを考えるとヒュッと身体が強ばり、呼吸が止まるような気がする。会いたくない。私に嫌われる原因があるのだろうか。向かいのホームの反対方向の電車に乗ってどっか行ってしまいたい。なのになんで、乗りたくもない電車に向かって走っているんだろう。
 とにかくしんどい。How are you? と聞かれたら「一切皆苦」と答えたいのにファインサンキュー以外の答えが期待されていない。頑張ってファインサンキューを喉から絞り出し、アンドユー? まで返してみたら、もうHow are youと聞いてきた人は遠くに歩き去っているような。
 ここまで書いてきたが、「いや私そこまでじゃないな」と思う人もいるかも知れないし、「ほんとそれ……」となる一切皆苦な人もいると思う。人それぞれだし、人生のいろんな時期の中で、きっと変わってくるものだろう。朝起きた時の気分の水が、ほぼ汚水みたいになっているときもあれば、美しい山奥の湧水のように両手ですくって思わず口をつけたくなるような水のときもあるだろう。私もまた、自分を振り返ってみると、変わってきたなと思うのだ。
 汚水でも真水でも、どちらがいいとかない。だけど事実として、だんだんと、水質は変わってきた。はたらき方だけではなく、生活全般で、あらゆる点が変わっていったことで。

(私の)「生活改善運動」と共にあった、内面の改革

 2022年の秋に『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE』(三輪舎)という本を出した。生活改善運動とは、日本の歴史の中でも実際にあった運動だ。私がその言葉を知ったのは、2016年頃のこと。仲良くなった知人との何気ない会話の中で知った。彼は言った。「あるときな、気づいてん。どうせ死にゆくんやったら、綺麗な部屋で死んでいきたい。豊かな生活をして死んでいきたいって。そこからな、生活改善運動を始めてん」
 その言葉のインパクトに影響され、なんとなく私も、私の生活改善運動を始めた。私の定義としては、それは、自分にとっての心地よさ、快・不快を判別し、より幸福なほうに向けて生活の諸側面を「改善」していく、自主的で内発的な行動だ。その頃の私のマンションの部屋は、同居していた人が持ち込み残していった家具や服、中に何があるかわからない段ボール箱などでいっぱいだった。自分のものは、値段だけを見てネットで買ったような「とりあえず」の家具や、3回洗濯したらテロテロになるような服しかない。
 知人の助力もあって、そうした「本当は好きじゃないもの」を捨てて、本当に好きなもの、良いと思える愛せるものだけを取り入れていく生活に変わっていった。日々のささやかなことをひとつひとつ変えること。それは単に個人のクオリティ・オブ・ライフ(QOL)を高めるだけではなくて、意図せず、私そのものが大きく変化して変容していくことになった。
 あるだけで気が滅入っていた重たい家具に粗大ゴミチケットを貼りつけて、運び出した後の部屋は、見違えるように明るくなり軽くなった。軽くなったのは部屋だけじゃない。家具にまつわる苦い記憶やわだかまりもまた一緒に運び出されていった。そんなふうに、私の内面はどんどん軽くなっていった。自分の中の開いていない部屋を開けて、中を洗うように。
 20代から30代前半くらいまでのあいだ、例外や程度の差はあれ、多かれ少なかれ私の内面の状態は私の部屋よりひどかったと思う。ぐちゃぐちゃしていて、やすまらない。誰かに言われた言葉がずっと残り、何かするたびに自分を否定するような言葉が絶えず浮かんでくる。誰かに褒められてもそれを受け入れられない。許せない人が多い。苦手な人に会うことを恐れ、逃げ続けるが、自分からは逃げられない。自分のことを汚いと思っているので、新しい人に出会ってもどうせがっかりされるのだと思ってなかなか心を開けない。そもそも人に会うのがしんどい。
 それでも生きていかなければならないから、そんなものは全部見えないところに押し込んで、明るく陽気に振る舞う。社会に適応していけば安心感もある。だけど笑ったつもりが「顔がすごく疲れてるよ」と心配される。前から知っている人が歩いて来たら、思わず隠れて気づいてないふりをしてやり過ごしてしまう。そのくせ、向こうも同じように気づかないふりをしたことを目線の端で認めて寂しくなる。家に帰るといつも、動けないくらいどっと疲れている。それでも、生きていかなければならない。
 今だと大きなフワフワのくまさんになってこの頃の自分を「もういい休め!!」とぎゅっと抱きしめてあげたいが、自分を大事にすることを知らなかったあの頃、きっとそんなくまさんがいても気づかなかっただろう。いたとしても、その温かさを受け取ることはできなかっただろう。

ひとつひとつ解いて放っていく

 この連載では、私が、ずっと抱えてきた生きづらさを解(ほど)いていくために持続的におこなってきた、内面の改革と解放の活動について綴っていこうと思う。自分を否定する癖を止めてみるための日々の工夫、繰り返し再生される誰かの言葉から離れること。それが役に立つかはわからないけれど、読む人が自分を楽にしていく「手立て」のひとつになったら嬉しい。
 今これを書いている私は、朝起きて、何も恐れていない。まるで牡蠣の殻をぱかっと割って、中にある柔らかくて無防備で、プルプルと震えていて、脆い本体のように、「むき身」で、一番弱いままで、あるがままで生きることができる。自分以外の何か別のものになろうとは思わない。だけど変わり続けていく。ただ生きて、その喜びを感じていたい。
 むき身クラブ、現在会員はどれくらいいるかわからないが、どこかにいるかも知れないと思えればそれで十分だ。ひとりじゃない。目指す先は、そんなに劇的な変化ではない。だけど、朝起きたときの気分が、あたたかい真水のように心地よいものになるかもしれない。あるいは、誰とでも労なく話せるようになるかもしれない。どんな場所にも気後れせず入っていけるようになり、ただその場の出会いを楽しめるようになるかもしれない。恋をしているかもしれない。自分をただ愛せるかもしれない。それを全部、楽しんでいるかもしれない。
 新しいことを始めるのは怖い。それが、“自由に”あるいは“幸せ”になっていくことであっても。どんなものであっても変化は怖いし億劫だ。
 今の自分を否定するのではなく、ひとつひとつ解いて、むきだしのひとになっていこう。むき身クラブへ、ようこそ。

著者プロフィール
安達茉莉子

作家・文筆家。東京外国語大学英語専攻卒業、サセックス大学開発学研究所開発学修士課程修了。政府機関、限界集落、留学などを経て、言葉と絵による作品発表・執筆をおこなう。
著書に『毛布 - あなたをくるんでくれるもの』(玄光社)、『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE 』(三輪舎)、『臆病者の自転車生活』(亜紀書房)、『世界に放りこまれた』(ignition gallery)ほか。