むき身クラブへようこそ  私の解放days

この連載について

むき身とは? 牡蠣をむいた時の中身のように、プルプルの震えている一番無防備な状態のまま、ただ存在している状態。身に纏ってきた不要なものをやさしく洗い流し、脱ぎ、ただ「むき身」になることを目指すクラブ。誰にも頼まれず結社し、むき身クラブと言い続けていたら、いつの間にか連載タイトルにまでなってしまいました。申告不要、出入り自由。それぞれの幸せをただ願い、自分を解(ほど)いて放っていく、日々の手立てを記します。

第4話

「自分をそのまま受け入れる」を本当にやろうとしてみた:セルフイメージを洗う

2023年8月7日掲載

 押し入れを整理していたら、一冊の本が出てきた。
『書込式 7週間 セルフイメージ革命』(山本トースネスみゆき著、グッドブックス)という黄色い表紙の本。ボロボロになってちぎれそうな帯には「『わたしは欠陥品』『いい年をして…』こんな言葉で自分を傷つけていませんか?」と書かれている。
 何年前だろう? 本屋で見つけて買った、書込式のワークブックだった。

ぼろぼろのセルフイメージ


 このワークブックを買ったとき、私はまだ作家としての活動を始めて間もない頃だった。自信もなく、ようやく好きなことをやり始めたはずなのに不安でいっぱい。だけど、それ以前に、ひとりの人間として孤独でしょうがなかった。
 なんで、人を信じられないんだろう? 友達もいるし、好きな人もたくさんいる。だけど、どこかずっと、消えない寂しさがある。自分と向き合ううちに、気づいた。他人を信じられないのではなく、自分を信じられないのだと。
 ワークブックのタイトルにもある「セルフイメージ」。本屋で見つけたとき、思わず手に取ったのは、私もセルフイメージを「革命」したいと思ったからだった。当時の私は、自分をよどんだ存在だととらえていた。じめっとしていて、どこか暗くて近づきたくないような、一緒にいると他の人まで不幸にしてしまうオーラを宿していると感じていた。だから、他人を信頼できなかった。自分自身を汚いものだと思っているときに、そんな自分と一緒にいたいと思う人がいるとは、想像できなかった。今たまたま一緒にいてくれている人たちも、私の本当の姿を知れば幻滅して、いつか自分のもとを離れていくだろうと心の奥底ではどこかでずっと思っていた。

「あなたが本当に欲しいもの」

 ワークブックを開いてみると、週ごとにチャレンジがいくつかあり、第1週目の3つ目のチャレンジは、「あなたが本当に欲しいものは?」という問いかけだった。
 直接ボールペンで書き込んだ、当時の自分の字が目に入る。私は、「あるがままの私を心から愛してくれて、私もその人を本気で愛しても、それを喜んでくれる人」と書き込んでいた。その答えを書くこと自体相当抵抗があったし、消えたいくらい恥ずかしかった。だけどこれはチャレンジなのだ。どうせ誰もみないんだしと自分を奮い立たせて書いてみたのを思い出す。それくらい切実に、変わりたかった。

 ワークブックの最初の方で、自分を描写する項目がある。当時の私はこう書いていた。
臆病。意志が弱い。自分を良く見せようとする。嘘を平気でつく。その場凌ぎ。怠惰。魅力がない。しょうもない。凡庸。本当は何もない。
 自分に厳しい言葉が並んでいる。確かここは、スラスラ……というかいっそノリノリで書けたのだった。それまでの私は、変わろうと努力をする限り、人として認められると思っていた。だから、自分の「改善点」を見つけるのは得意。だけど、自分自身のことを嫌っているまま、どれだけ「改善」したところで幸せになんてなれるわけがない。自分を蹴っとばして追い立てているようなものだ。本当の願いは、ワークブックに当時書き込んだように、「あるがまま」で無条件に受け入れられたかったのだ。

 本当の願いについての問いかけに続き、こんな質問があった。

「そのプレゼントをひらくための条件はただ一つ。あなたが今持っている大切な何かを手放すことです。あなたは大切な何かを手に入れるために、何を手放しますか?」

 ドキッとした。大切な何かを、手放す?
 その章にはこう書かれていた。

「本当に欲しいものを認めることには、勇気が要るものです。なぜなら、あなたはこれまで大切なものを失う悲しみや、欲しいものが手に入らない失望を体験しているからです。心を開かなければ傷つかずに済む、信頼しなければ裏切られずに済む、最初から期待しなければ失望しなくて済む、と自分を納得させてきたのではないでしょうか?」

 今まで、ほとんど自動的にやってしまっている自己否定をなんとかしたいとずっと考えてきた。だけど、もしかしたら、自分をずっと責めている状態には、それなりのメリットがあったのかもしれない。
 手放さなければならないものとして浮かんだ「大切なもの」は、不思議なことに、自分を今まで傷つけてきた自己否定の言葉だった。どうせ私は。自分には無理。そう思っている間は、私は一種のシェルターにいたのだと思った。向き合わなくてすんだのだ、誰かに本当に拒絶されて傷つく恐怖から。さらには、自分には価値がない、特別な人間ではないと本当に気づいてしまうことから逃げるために、あらかじめ予防線を張っていたのかもしれない。
 もちろん、自己否定自体本当に辛いことだし、自分の意思の力だけでどうにかなるものでもない。今苦しんでいる人に向かって、実はそうしていることでメリットがありますよね? なんて言うのは絶対に間違いだ。私が少し解放の糸口を見つけられたのは、自己否定の癖を差し出すことで、自分が望んだ「無条件で受け入れられること」に近づけるかもしれない予感だった。

では一体どうすれば? 手放しのワーク

 自己否定を止め、あまりにも自分に厳しくネガティブなセルフイメージを変えていくために、私がワークブックと同時並行してやっていたのは「手放しのワーク」というものだった。これは、同じ頃にたまたまAmazonのおすすめに出てきて読んでみた『セドナ新版 人生を変える一番シンプルな方法 ― セドナメソッド』(ヘイル・ドウォスキン著、主婦の友社)という本にあったものだった。
 そのワークは、以下の質問を自分に繰り返すというものだ。
①「今、何を感じていますか?」
②「その感情を認めることはできますか?」
③「その感情を手放せますか?」」
④「手放しますか?」
⑤「いつ?」
 この質問を繰り返すだけ。答えは必ずしも「はい」じゃなくて良いと本にはある。
 手のひらにぎゅっと握りしめていたものは、手のひらの力を緩めると自然に手からポトリと落ちていく。このイメージを使って、自分が大事に握りしめていた思いこみを手放していく。
 このワークをとりあえずやってみた。「手放せますか?」という問いには、「うーん、まだ」と出てくることもあった。だけど繰り返していくうちに、「はい」になる感覚があった。やっていくうちに気づいた。もしかして、すべてが思い込みだったとしたら?
 ワークブックに私が書いていた、セルフイメージ。「臆病。意志が弱い。自分を良く見せようとする。嘘を平気でつく。その場凌ぎ。怠惰。魅力がない。しょうもない。凡庸。本当は何もない。
 もしかしたら、そう思っている自分がいるだけってこと? いや、でも、一部は実際に当たってると思うけれど……もしかして、と気づく。臆病で意志が弱いのは事実かもしれない。だけど、「それではいけないんだ」については、少なくとも思い込みかもしれない。それに、他の人の基準で客観的に見たら、「みんなそうだよ」と言われるくらいのことかもしれない。思い込みだったとしたら?  私はそれを手放せる? 上記の質問を淡々と繰り返した。手放せるか。手放すか。いつ?
 このワークを日々ふとした時に繰り返しやった。私はダメなやつだ、と思ったら、ダメだと感じていること、ダメではいけないと感じていることを手放しますか? と聞く。まだ手放さない、と感じることもあった。そんなときは否定しない。オッケー、まだなんだね。そして問いかける。なぜまだその感情を持っていたいんだろう?
 自分が感じていることをそのまま受け入れ否定せず、淡々と自動音声のように質問を自分に繰り返していると、自然と「もういいや」と思える瞬間が訪れた。あれだけ嫌いだった自分自身は、実はただの影だった。握りしめていた手を開くと、影は鳥のように飛んでいく。あとにはただの、自分自身に何も求められない、ただそのままの自分がいるだけだ。

ネガティブさがあっても別に良い

 実をいうと今も、自分のことを悪しきものだと捉えてしまう傾向はある。特に疲れが溜まっていたり、なんとなく気持ちが停滞しているときは自分のことを無意識に、ボロ雑巾のように感じてしまっている時がある。
 つい先日も、朝近所を散歩をしていてふと、すれ違う人に挨拶をしてみようと思った。あまりにも天気が良くて、良い気分だったからだ。少しドキドキしたが、前から歩いてきた人に笑顔でおはようございます、と言ってみたら、驚くことにその人はぱあっと笑って、おはようございますと挨拶を返してくれた。私はそれにびっくりしたが、びっくりした自分に更にびっくりした。私は無意識に、私は気持ち悪い人で、そんな人に急に挨拶されたら嫌な気持ちになるだろうと思っていたことに気づいたのだ。
 え、まだそんな感じ? いまだにそんな観念が自分にあるんだと思ったが、別に構わないと思った。ま、そんなときもあるよ。つらかったら、ひとつひとつ解き放ってケアしていけばいい。そんな心境はとても楽だ。自分と向き合い、できるところからやっていこうと手放しのワークをしているうちに、いつしか「ネガティブな自分がいてはいけない」とも思わなくなってきたのだ。
 押し入れから出てきたワークブックには、第1週目に日付を記入する場所がある。10年以上前かと思っていたら、2016年8月15日とはっきり記されていた。思ったよりも、最近だ。だけどこの頃と今の私は全然違う。ワークブックを手に取ったときは思いもしなかったけれど、人はゆっくりとでも、変わっていく。この頃の自分に、今の私がそう思っていると届けばいいと思う。面倒くさくてしょうがなかったあの頃の自分に。あなたは今、ちゃんと、少なくとも自分自身には、無条件に受け入れられているよ、と。

著者プロフィール
安達茉莉子

作家・文筆家。東京外国語大学英語専攻卒業、サセックス大学開発学研究所開発学修士課程修了。政府機関、限界集落、留学などを経て、言葉と絵による作品発表・執筆をおこなう。
著書に『毛布 - あなたをくるんでくれるもの』(玄光社)、『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE 』(三輪舎)、『臆病者の自転車生活』(亜紀書房)、『世界に放りこまれた』(ignition gallery)ほか。