むき身とは? 牡蠣をむいた時の中身のように、プルプルの震えている一番無防備な状態のまま、ただ存在している状態。身に纏ってきた不要なものをやさしく洗い流し、脱ぎ、ただ「むき身」になることを目指すクラブ。誰にも頼まれず結社し、むき身クラブと言い続けていたら、いつの間にか連載タイトルにまでなってしまいました。申告不要、出入り自由。それぞれの幸せをただ願い、自分を解(ほど)いて放っていく、日々の手立てを記します。
自分から奴隷にならないための解放闘争:後編
人間関係で悩んでいる人に対して、よくこういうアドバイスがある。
「嫌な人なんていくらでもいるから、うまくやって関わらなければいい」
「自分にとってどうでもいい人に、好かれたって嫌われたってどうでもいいじゃない」
実際それはそうだ。だけど、それができる人は、そもそも人間関係に苦しむほど囚われたりしない。
私が特定の人間関係に苦しんでいたとき、その人たちに関わらなければすむようなものではなかった。そして、その人たちが私のことをどうジャッジするかが、そのまま社会における自分への評価を表していると感じていたように思う。その人たちに言われたことに囚われ、苦しんでいた。それくらい大きな存在だった。名前を見たり、連絡が来たりすると体が冷たくなって、身がすくむ。考えなければいいのに、言われた言葉が何年経ってもずっと頭の中を回る。何かするときも、あの人になんて言われるかとネガティブな想像でいっぱいになる。別にその人たちは物理的な暴力を振るってくるわけではない。だけど、その人たちといると、自分の内側が傷つけられるのはわかりきっているという人たちだった。会わなければいいのに、「逃げた」と非難されると容易に想像できる。周囲にも「あいつはそういうやつだ」と言いふらしているのが想像できる。そう言われるのが嫌だから、会いにいって、結局やっぱり嫌な思いをする。会っている間、私はその人たちに気に入られるようなおどけた仕草をしたり、「いじられ」たりしても自虐ネタで笑う。アドバイスをされたら、受け入れる顔をして、相手に気持ちよくアドバイスを続けさせる。帰り道は吐きそうになる。そして彼らに対して良い顔をしようとした自分を心底軽蔑し、また自分のことが嫌いになる。この繰り返し。
捕らえてくる人間関係
「逃げればいいじゃない」とみんないう。それはそうだ。だけど逃げるどころか、自ら囚われに行っていた。なぜそうなっていたのだろう。
思い返してみると、誰に対してもそうなるわけではなかった。単純に上下関係があったり、目上の人だから抑圧性のある人間関係になるわけではない。上司でも気さくに軽口を言い合いながら、なんの不安もなく安心して一緒に仕事ができる人だっていた。そして、私自身が苦手に思っている人も、他の人とは普通にうまくやっているようだった。
「嫌だったら逃げればいいじゃん」ですまなくなるのは、知らぬ間にこの抑圧関係にサインアップしてしまった場合だ。表向きにはそうは見えないことが多い。だけど、普段明るく楽しい友人たちも、ふと深い話になってくると、実は昔から親との関係が……とか、今度結婚する人がこんな人なんだけど……と、他からは見えないような抑圧関係にあることを打ち明けてくれることがよくあった。そうした関係に共通するのが、大体は力関係が強い立場にある人が、より弱い立場にある人に対して、何らかの権限があると思っているようだった。私がこれまでに聞いてきた、そうした人間関係の例を挙げてみる。
・親が子どもと自分を同一視している。あるいは、子どもの所有権をもっていて、その素行を監督する権限と必要性があると思っている。親から見た子どもの失敗は自分の失敗ととらえるため、子どもを矯正しようとする。子どもを自分の自己実現や見栄のために使ったり、自分の感情のはけ口やクッションとして無意識に使ってしまう。
・女は家庭(男)に尽くし支えるものでなければならないと思っている。あるいは、家事労働に価値を認めず、稼いでいない、扶養されているくせにと責める。
・家庭内で力関係が弱い状態にある場合でも、感情面でのケアを他の家族(例えば子ども)に求め、従わない場合、「あなたはひどい人だ」とネチネチ責めてくる。本人の不安な気持ちをそのままぶつけてくるので、例えば子どもが何か挑戦しようとしても、「あなたには無理だ」「社会は厳しい」「世間がどう思うか」と、思い留まらせようとする。その関係から逃げようとすると、「私を見捨てるのか」と罪悪感を抱かせる。
色々思い浮かぶが、こうした人たちは、シンプルに、目の前の人をひとりの人間として尊重しないことが多い。自分の一部か、社会の一部か。どんなに弱々しく見えて困っているように見えても、わかりにくくても、その人も立派に人格があり、自分の生を生きる権利のある完全な存在なのだと、そもそもそういう発想さえもないことが多い。
国でたとえると、あなたのことを完全な独立国家だと思っていないようなものだ。だから許可なく簡単に国境線を超えてくるし、介入してくる。頼んでもいないのに、心配と見せかけて何かと口出しをしてくる。早く結婚しないと恥ずかしい。離婚なんて恥ずかしい。こういう仕事の募集が出ていたからあなたを推薦しておいたよ。一方的に送られてくる超長文のメール。余計なお世話で、やめてというと、「恩知らず」だったり「常識がない」と非難され、自分が悪いのだと思わされる。どんなに村みたいな小国であっても、ひとつの主権国家なのに。
抑圧関係を受け入れてしまうとき
その人が自分の人生に決定権を持っていると思わず、他人との境界線を尊重しない人たちは、どこにでも、いくらでもいる。自分の人生を生きると決めた人に対して、「わがまま」だったり「自分勝手」だったり、そんな言葉を投げつける。それは個人の問題ではなく、社会的な同調圧力でもある。
問題は、そんな抑圧的な社会のルールに自ら適応してしまう場合だ。抑圧的な関係に力を与えているのは、他ならぬ自分自身だったりする。英語で、“cater for”という言葉がある。誰かが望んでいる、または必要としているものを提供することを意味だ。人間関係に苦しんでいた頃、私がやっていたことを思い出すと、この“cater for”だった。誰かが望んでいるであろうことを、無意識に自分で考えて、行動する。その人に認められないといけないという強迫観念にとらわれ、常に自分が間違っている、自分の努力が足りないのだと思うようになる。自分のあるがままを受け入れられない。本当は道なんていくらでもあるはずなのに、目の前の人が言う道だけが正しいような気がする。だからその人が思う道を歩こうとする。自分の存在を無条件に肯定できない。条件つきの愛を受け入れ、期待にこたえることで、存在を許されていると思うが、自尊心はぼろぼろだ。常に相手の顔色を伺い、「感情労働」を行うから、とにかく疲れる。
解放のきっかけ
私が対人恐怖症気味になるほど、人との関わりを避けたかったのは、私にとって人間関係とは結局「感情労働」になっていくと思っていたからだった。そんな私が、分厚い殻をおろし、やがて「むき身」になっていくまでには、いくつかのきっかけがあった。一番大きかったのは、ひとりの友人との出会いだった。
私は彼のことを「やさしいサイコパス」と呼んでいる。ちなみに褒め言葉だ。彼は仲良くなった当初、自分は感情面で人を理解したり、共感したりするのが苦手だと話していた。そんなふうには思わないよとその時は答えたが、良い意味で確かに共感したりしない人だった。彼は社会の同調圧力に対して、春風なのかというほど一切同調しない。会社で隣のプロジェクトが炎上していても、「気の毒やなあ」と思いながら、昼休みには屋上でひとり習慣の健康体操をし、何ひとつ迷わず定時で帰る。そして平気で16連休を取る(平気ではなく、16連休は言い出しにくいなぁとは一応思ったらしい)。ある種の忖度を期待されている場面で、それを完全に理解しながらも、笑って無視する。だけど、誰かが困っていて、自分にできることがあれば、別に自分の得にはならないのに、話を聞いてあげたり、手を貸したりしていた。基本穏やかなので、彼自身は特に猫に興味はないのに、よく猫が懐いていた。猫は自分に不要に干渉してこない人間を的確に見分けるのだと思った。ここまで他者の暗黙の期待に応えないですむ人もいるんだと、何かと空気を読まされがちな日本社会における珍種を見たようで、畏敬の念をこめて「やさしいサイコパス」と呼んでいた。
国のたとえでいうと、その友人は、悠々とした立派な独立国だったと思う。自分の権利に関する侵害を許さないタイプの人だった。自分の権利を大事にする代わりに、他人の権利も公平に大事にしていた。責任の所在を常に考えていたように思う。私が人間関係のトラブルを相談すると、誰にどのような権利と責任があるか整理し、その上で「筋」を通すようにといつもアドバイスをくれていた。
ある日のことだった。私はある年上の人に、目の前で怒鳴りつけられたことがあった。その人は私にとって、ずっと苦手で恐れていた人だった。その時怒鳴られたのは私に非があったのだが、一方的に怒鳴られたことで、長年感じていた苦しみが爆発しそうになり、そして自分が情けなくなって抱えきれず、その場を去ったあと、やさしいサイコパスの友人に、今日怒鳴られてこんなことを言われた、と話したら、彼はひとしきり話を聞いてこう言った。
「それは猿がクソを投げつけてきてたようなもんやな」
思いがけない反応だった。猿がクソを?
「その人の本音は、その人が言った言葉どおりやない。気に食わんかったり、とても寂しいと思ったことを、怒りとして投げつけてきてただけや。だから、何を言っていたか、その言葉自体は、あまり聞く必要がない」
なるほど、と思った。友人は続けた。
「それはそれとして、まりこさんがどうするのが良かったのかは、考えた方がいい。どうするのが筋やったか。それで謝罪が必要やと思ったら謝る。人としてこうした方が徳が高いことやったら、そうしてやったらええ。相手がどうだったとか、その時の感情がどうだったかとかはいらん」
30数年生きてきて、初めて出会った考え方だった。これまでとはまったく違う、対人関係の結び方があるのだと思った。私にとって苦手だった人は、あまりにも自分の中でストレス源になってしまっていた。だけど、その時初めて、相手がこうだから自分はこうしようとひたすら相手に「反応」し続けていくのではなく、相手はこう言っているが、それはそれとして私はこうすると、私の「判断」で動いていいのだと思った。
そして思い至った。もしかしたら、今まで、私は全部相手のせいにして、自分の判断をしてこなかったのかもしれない。苦手な人はいくらでもいる。その人たちのせいにして、ずっと被害者でいることはできる。だけど、それは、抑圧関係に力を与え続けることと一緒だった。もうそんなのは嫌だった。相手がどう振る舞おうと、それにかかわらず、私は自分の国を幸せにしないといけない。
その人もまた、同じただの人
実は、友人にも言わなかったが、怒鳴られている間、不思議な感覚があった。私に向かって怒鳴っている相手が、なぜか自分自身に見えたのだ。怒鳴られている間、もしかしたら、と思った。自分自身の中にも、怒鳴り散らしたいことがあって、誰かに投げつけたいクソがたくさんあって、それをこの人は代わりにやってくれているのかもしれない。突飛な考えかもしれなかったけれど、その時以来、私はその人に対する苦手意識が減った。この人もまた私と繋がっているという感覚を覚えたことで、その人を特別視しすぎていた自分に気づいたのかもしれない。自分と同じように、この人にも抑えきれない悲しみや怒りがある。弱さを抱えた、ただの人なのだ。<そんなふうにあなたがたを支配しているその敵には、目が二つ、腕は二本、からだはひとつしかない。>*
また別の場面で、別の人に言われた。
「あなたが本気でキレないから、舐められてるんだと思う。一回くらい本気でキレて暴れてみろ」
このアドバイスをしてくれたその人の声は本気だった。私は想像してみた。過去に自分に対して失礼な冗談を言ってきた人に対して、確かに私はへらへらと受け入れてしまっていた。は? と本気でキレて、暴れる想像をした。実際に額に血管が浮き上がり、顔が真っ赤になるくらい本気で想像してみたら、想像の中で、相手はびびっていた。あんなに大きな存在だと思っていた相手が急に小さく思えた。<そんなふうにあなたがたを支配しているその敵には、目が二つ、腕は二本、からだはひとつしかない。>
それから少し時間がかかったが、いろんな人に対して私が感じていた抑圧的な関係性は、少しずつ消えていったように思う。その人が私に対してどう接したとしても、私は私の国を幸せにする。意図的に距離を置き、自分のことに集中した。私は自分を守ることにエネルギーをつかう。時折過去がフラッシュバックするように、その人に言われたことが重くのしかかったりした。私はその人と縁を切りたいのだろうか? 自問自答した。いや、多分違う。私は、健康的な関係を築き直したいと思った。ひとりの人と人として、適切な距離感で。難しい場合は、残念だがしょうがない。だけど、私が私の信念において、間違った行動を取っていなければ、それで十分やるべきことはやったのだと思えた。
目の前にいる人は、どんなに威圧感を発していても、自分の内側に侵入して支配してくるように思えても、よくよく見るとただの人だ。自分と同じ、ひとりの人間だ。
「猿がクソを……」があまりにもパワーワードだったので、その後自分に対して何か威圧的に接してきたり、感情的になる人がいても、「これは猿がクソを……」と思うと、恐怖がなくなった。そして考えた。私は、どう対応すべきだと思う? 一国の主として。
過去の記憶がフラッシュバックしてきても、今の私はこう言えるようになった。
「あなたは私に、あなたのことをどうにかして欲しいと思っている。残念ながら、私はあなたの幸せに責任を負わない。あなたが私の存在を勘定に入れていたとしても、私はそれに同意しない。」
これまではずっと、自分を守るために他者に対して壁を築いていた。だけど、私に本当に必要だったのは、壁ではなくて、一本の線だったのかもしれない。ここからこっちは、私の境界。私は私のことを幸せにします。あなたにも、あなたの国がある。あなたはあなたのことに取り組んでください。困った時は国同士、お互い助け合いましょう。だけど、あなたはあなたのことをまず満たしてください。
そんなふうに、ちゃんと線を引けるようになった。自分で自分を守れるようになった。ここまではできます。でもこれ以上はできません。自分を他者に明け渡さないとわかってから、私は私に対して安心するようになった。自分のことが頼もしく、誇らしくなった。私は私のことを、しっかり守ることができるようになったのだ。
*エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ『自発的隷従論』(ちくま学芸文庫)
作家・文筆家。東京外国語大学英語専攻卒業、サセックス大学開発学研究所開発学修士課程修了。政府機関、限界集落、留学などを経て、言葉と絵による作品発表・執筆をおこなう。
著書に『毛布 - あなたをくるんでくれるもの』(玄光社)、『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE 』(三輪舎)、『臆病者の自転車生活』(亜紀書房)、『世界に放りこまれた』(ignition gallery)ほか。