100kgのイソマグロを、素潜り、モリ一本で獲る。そんな無謀とも言える前人未到の挑戦を始めた日本人がいた。小坂薫平、28歳。世界の海を渡り歩き、まだ誰も触れたことのない手応えを追い求め、命をかけて海と向き合いつづける。現在進行形の闘いを自ら綴る、迫真のノンフィクション。
ただ一つを除いて
全て完璧だった、ただ一つを除いて。
人生最大のチャンスを逃した直後、そう感じたのだった。
ある魚の気配
乗ってきた船と仲間以外、周囲10kmにわたって人間の痕跡が一切存在しない大海原を、たった一本の細い手銛(法律上は”やす”という名前だが、業界内では手銛と呼ぶ)だけを握りしめ、毎秒2mの潮流に、ただ流されている。
クラゲやカイアシなどのプランクトンが漂う海中は鈍く濁り、海底は全く見えない。自分が今どこにいるのかも見当がつかない。
この海域に多く生息する、身長よりも遥かに大きなメジロサメ達がチラチラとしつこく視界に入る。一瞬でも気を抜くと付け入られてしまうだろう。
ここでは、陸のルールは一切通用しない。自分も海洋食物連鎖の歯車として組み込まれているのだ。
生身の状態で海に浮きながら、自分よりはるかに強い存在に囲まれるというのは、何度経験しても慣れることがない。どこにも逃げ場所がないという、脳が沸騰するような独特の恐怖心をなんとか抑え込み、意識はあくまで眼前に広がる、吸い込まれそうなほどの底なしの景色に集中させる。
視覚、平衡覚、聴覚、嗅覚、そして経験知からもたらされる直感……一生物としての自分が持てる感覚を総動員し、目の前の海を感じ取り、ある魚の気配を探し当てようとしていた。
沖合特有の雄大なうねりに身を任せ、揺さぶられ、全身の力を抜いていく。
深くゆっくりと呼吸に集中し、その時を待った。眼下にはキラキラと、ムロアジの群れが流れてきた。
その時、遥か深みにうっすら、大きな魚の影を感じとった。
腹式呼吸でお腹に、次に胸式呼吸で胸へ。
これ以上吸えないところまでとびきり大きく息を吸い、ありったけの酸素を肺に溜め込む。スノーケルを外し、するりと海へ分け入る。
フィンを蹴り込み、5m、10m……水深15mに到達するまでに、血管は収縮し、手足の先から少しずつ海へと溶けていった。
水深20m、僕の身体は地上のおよそ3倍の圧力に圧縮されたことで完全に浮力を失った。
ただ潮流に乗りながら海の底へと沈んでいく。
ゆっくりと目を開け、お目当ての魚のトレードマークである、背ビレの白い目印を探していると、暗がりの向こうから数十匹が潮流を上ってきた。
イソマグロだ。
全長1.5mほど、体重50kgほどもあるがこれでも中型の個体である。
しかし、僕の狙いはただのイソマグロではない。
未だ誰も獲ったことがない超級の大物、2mをゆうに越えるであろう100kgクラスだ。
目の前の個体が実際にはどれくらいの大きさなのか、正確にはわからない。水中の物体は陸上よりも約1.3倍大きく見えることに加え、自分自身、一瞬のミスで命を失いかねない命懸けの状況によって、特殊な精神状態にあるためだ。
つとめて冷静に向き合おうとするが、今目の前に現れたマグロたちは、すでに2メートル以上の大きさに拡大されて僕の目に映し出されている。
素潜りという行為
素潜りで海に潜り、手銛を魚に撃ち込むというのは、命懸けの行為である。
陸に上がって以来数億年、我々の体は陸上生活に完全に適応している。素潜りで海に入れば己の身体能力は著しく制限され、自らが知覚できる範囲は陸上の何倍も狭く、せいぜい半径10m圏内がいいところ。踏ん張りは効かず、緩やかに見える潮流には抗えず、たかが50cmほどの魚にさえ、泳いで追いつくことは難しい。60cmほどのカンパチでも、人間を容易に海底にひきずり込むほどの力がある。
僕が使っている手銛という道具は、人類が魚を獲る道具としては最古のもので、素材こそ変われど、およそ8万年前にネアンデルタールの先輩方が使っていたものと大枠は同じものだ。3〜4mの棒の後端にゴム紐を結び、腕力で引いて狙いを定め、魚に向かって放つ。棒の先にはカエシがついていて、魚体に上手く刺さると抜けないようになっている。
魚に当たった瞬間にゴム紐が手から上手く外れなかったり、何らかのトラブルでロープに絡まれば、僕は海底に引きずり込まれ、海の藻屑と化す。
タンクを背負うスクーバ・ダイビングと異なり、素潜りの場合、水中で使える空気は肺に溜め込んだ一呼吸分だけ。酸素は僕の燃料だが、水中で手銛のゴムを腕力でひくという動作は、この限られた燃料を著しく消費する。大きな魚の魚体を射抜くためには強力なゴムを使用する必要があり、当然必要となる腕力も、酸素も増える。
つまり、狙う魚が大きくなればなるほど、命を失う可能性が飛躍的に高まっていく。特にマグロのように力が強い魚を狙うとなれば、一瞬一瞬の意思決定に、自分の生死がかかっているといっても過言ではないのだ。
イソマグロのボス
異形とも言えるマグロの見た目が、恐怖心に拍車をかける。
ドラム缶のように太い隆々とした体躯は、海の暗がりに溶け込んでいる。何かの歯型や引っ掻かれたかのような物騒な傷跡が全身にあり、分厚い皮膚の下にある強靭な筋肉の気配が、尻尾の一振りごとにこちらを威圧してくる。自分も一飲みにされそうなほど大きな口には鋭い歯がずらりと並び、固く食い縛っている。感情の全く読み取れない、握り拳ほどもある大きな眼で睨まれれば、数秒前までたぎっていた自分の狩猟・闘争本能など跡形もなく掻き消される。
僕にとって、マグロは自分の命を奪いかねない恐ろしい存在でありながら、憧れの存在でもある。その美しさと強さに、畏敬の念も抱いている。
この猛々しい海の獣に、自分の都合で銛を放つことには何より葛藤がある。
だから、僕はほとんどマグロに銛を放たない。
海の底にひきずり込まれ命を失う可能性があったとしても、己の命を、自分の全存在を賭けてみたい、そう覚悟が持てた時。すなわち、100kg超えと思われる群れのボスと対峙した場合を除いて。
周囲を見渡し、群れの中で一番大きなマグロを探していると、向かって左手方向、群れの後半部、一際大きなマグロがこちらに向かって真っ直ぐに泳いでくるのが見えた。
存在を認識した時点で、確信した。
こいつだ。
丸々と太り、信じられないほどに大きい、群れのボス。
100kgではきかないかもしれない。今までの潜り人生で見たどのマグロよりも立派に見えた。 間違いなくこれまで見てきた中で最大の獲物だ。
意識の全てがこのマグロに集中する。景色はスローモーションとなり、キュッと狭まった視野からはターゲット以外のありとあらゆる存在が消え失せた。
まだマグロとの間には距離がある。
警戒心を与え、マグロが進路を変えてしまわないよう、所作の隅々にまで気を配る。ウェットスーツと皮膚の間にわずかに紛れ込んだ泡の音でさえ、時に魚達を警戒させることがある。たった一匹の魚を驚かせてしまうことで、警戒の波はたちまち伝播し、マグロ達は一気に散ってしまう。そうなれば、あたりは砂漠のような虚無と化す。
マグロはそのまま進路を変えず、真っ直ぐ泳いでいる。
リラックスしているようで、僕との間に特段ピリついた空気は感じない。
どこを狙おうか。
力の強いマグロには通常の魚突きの常識が一切通用しないことを、これまでの経験から僕は知っていた。
マグロと自分との距離や角度、マグロの泳ぐ速度、潮流の向きと強さ、海底の構造とマグロが逃げるであろうルート、手銛のわずかなしなりとそれが元に戻るまでのタイムラグ、そして個体ごとに異なるマグロの骨格――こうした無数の要素を吟味し、魚体のどの場所に、どの程度の角度をつけて、どのくらい深く銛を撃ち込むべきか、瞬時に判断する。
見覚えのある間合い
考えている間にも、マグロとの距離は縮まり続ける。
このまま変わらずこちらへ向かってきたとして、おそらく僕の3mほど下を通過するだろう。
マグロとのこの位置関係に、僕は見覚えがあった。過去に何度か、同じ間合いからマグロに銛を打ち込んだ経験があったのだ。そしてこの間合いの時はいつも、僕の中で一瞬の迷いが生じた。
一見、マグロの全身どこへでも銛を撃ちこめるように思える簡単な間合いだ。しかし、熟慮してみると、銛先がしっかりフックしそうな場所は首筋の一箇所しか見当たらない。ただ撃ち込む角度によってはうまくフックしないので、ただ首筋に打ち込めばいいという単純な話ではない。
事実、一年前にはこの距離から撃ち込み、バラして(逃がして)しまっている。いつも確信が持てない、苦手意識のある間合いだった。
その間にもマグロは近づいてくる。
僕は、今回も同じ場所へと銛を撃ち込むことに決めた。どう考えてもそこしかない。
ここから先は、マグロと僕との”運動神経”の勝負だ。
マグロの運動神経よりも速く僕が銛を放つことができれば、銛はマグロに当たる。コンマ1秒、わずかでも遅れを取れば、銛は狙った場所を外れてしまう。
渾身の力でゴムを引き込む。ゴムが銛のシャフトと擦れギュギュっと鳴る。それまで気配を悟られまいと体の後ろに隠していた手銛をそっと突き出し、マグロの首筋に狙いを定める。
異物の接近と、ゴムを引き込んだ異音を、マグロの側線(体側面に並んだ、水圧変化や水流を感知する鋭い感覚器官)が敏感に感じとり、脊髄のシナプスを通じて脳へと伝わる。マグロの瞳がぎょろりと動き、目線が僕自身から銛先へと滑る。マグロが、銛に気づいた。
マグロの動きに沿って滑らせた銛先が潮流に煽られ、わずかにしなる。
しなりが元に戻り銛先がピタリと狙った場所を指した、その瞬間だった。
「本当にここでいいのだろうか」
銛を撃ち込む場所に、一瞬の迷いが生じた。
「ここしかないだろう!」
僕は己の全存在を乗せて、渾身の一撃をマグロの首筋目がけて放った。銛は寸分の狂いなく狙った場所へと吸い込まれていく。
鈍い感触が掌に伝わってきた。
バーン!
体に異常を感じたマグロが尻尾を大きく一振りする。それによって生じた衝撃波を合図に、途端に眼前の景色が現実の速度で動き出した。
熱いものが沸き立つ。一瞬の迷いはあったものの、経験を総動員してベストを尽くした一突きだった。
100kg超えは間違いない。やり切った……。
ロープに絡まないよう細心の注意を払いながら、急いで20m上にある海面を目指してフィンを蹴り込み浮上する。浮上する途中、数匹のメジロザメの群れが遠巻きに見えた。彼らも”騒ぎ”に気がつき始めている。
浮上すれば、海面でのマグロとの綱引きが待っている。それはマグロの血の匂いに気づいたサメ達との競争でもある。起こりうるあらゆる事態を想定しながらも、あくまで頭は冷静だった。
このまま何事もなく綱引きを終えることができれば、おそらく数十分後には100kgのマグロは僕の手にわたる。20代の全てを捧げた挑戦に、ついに決着がつく。
海面に到着すると、大きく一呼吸し、肺胞の1つ1つに新鮮な酸素を叩きつける。すかさず、吹っ飛んできたブイに取り付き、ロープをたぐる。第2ラウンド、命懸けの綱引きが始まった。
その時だった。
ロープのテンションがふと緩んだ。手の中に感じていた生命の躍動が一切感じられなくなった。
海底へと一直線にのびるロープをたぐっていく。全く質量を感じない。
銛先にマグロが付いていないことは明白だった。
いったい何が起こったというのだ。今後自分が直面しうるあらゆる困難を想像した。「銛が折られた?」「ロープが切られた?」「サメに食われた?」現実と向き合うのが恐ろしかった。心底、恐ろしかった。「どうか間違いであってくれ」
訳のわからぬ精神状態で過呼吸気味になりながら、暗く澱んだ海の底からロープを全て引き上げた。意外にも、銛先を含め道具は一切の破損なく、数分前までと全く同じ状態で手元へと帰ってきた。
「なんで?」理解不能な状況に直面し、現実を受け止めることができない。頭の中が疑問符で埋め尽くされる。全て完璧だったはずなのに。「なんで?」泣きそうな情けない声が溢れ出し、全身の力が抜けてしまった。
これまで、寝ても覚めてもマグロのことだけを考えてきた。前人未到、100kgのマグロを素潜りで仕留めるためには、全てが完璧である必要があった。
道具、潜水能力、技術はもちろんのこと、海況、天気、サメといった自然条件、船長との連携やマグロの群れの状態など、自分でコントロールできない様々な要素に至るまで……それは例えるならば100個のピースで構成されるパズルのようなものだ。
マグロを追いかけ始めて9年間、今まで、数えきれないほど挑戦してきた。そもそもピースが全て揃わないことがほとんどだった。今回初めて、99個のピースが揃い、正しい位置にピタリとはまった。
全てを突き詰めたその先に、たった1つ、欠けていたピースがあった。
そこにあったのは「自分が、どうするのか」。ただそれだけが存在していた。
あの、一瞬の迷い――。
暗い海中でマグロに銛を向け狙いを定めたあの瞬間、僕は巨魚の向こう側に自分自身を見たのだ。
全て完璧だった、ただ一つ、自分自身を除いて。
人生最大のチャンスを逃した直後、そう感じたのだった。
(第2回へ続く)
1995年秋田県生まれ。東京海洋大学卒。素潜りで世界中の海を潜り続ける、スピアフィッシャー。2019年に日本人初となるスピア・フィッシングの世界記録を樹立(コクハンアラ、18.3kg)。以降、2020年に184cm、63kgのイソマグロ、2021年には86.1kgのイソマグロを突くなど、現在までに4つの世界記録を樹立。ここ数年は「前人未踏、100kg超えのイソマグロを仕留める」ことをテーマとして放浪生活を送り、年250日を国内外の海で過ごしている。フリーダイビングにも取り組み、国際大会でのセーフティ、インストラクターとしての普及活動も行っている。素潜り55m、息止め6分30秒。