一潜に賭ける ―100kgのマグロにモリ一本で挑んだ記録

この連載について

100kgのイソマグロを、素潜り、モリ一本で獲る。そんな無謀とも言える前人未到の挑戦を始めた日本人がいた。小坂薫平、28歳。世界の海を渡り歩き、まだ誰も触れたことのない手応えを追い求め、命をかけて海と向き合いつづける。現在進行形の闘いを自ら綴る、迫真のノンフィクション。

第7回

あと30秒、マグロと向き合いたい

2025年4月24日掲載

「生物として強く」あるために、はるばるフィリピンまでやってきたことは前回綴った。今回は練習日誌を見返しながら、2月28日までのフィリピン合宿を振り返ろうと思う。

「あと30秒」を克服する

「海中でマグロと向き合う時間を、あと30秒は伸ばしたい」それが今回合宿をする目的。そこで、プールでの平行潜水(ダイナミック)で150m泳ぐこと、海でのフリーダイビング・トレーニングで4分半潜ること、の二つを目標にした。その上で、他のトレーニングも継続しつつ、水深50mほどまで水圧順応をさせることができればいいかなと考えていた。

この30秒というのは2年前のある経験がベースになっている。

2023年。潮に乗って水深25mほどのところを漂っていると、大きなマグロが目の前まできた。「おっ」。右手に力をこめ、モリを握りこもうとしたその時、はるか彼方後方から、さらに一回り大きな魚影がこちらへと向かってくるのが見えた。ここで待っていれば、いずれ必ずあいつは射程圏内まで来るだろう。しかし、、、まだかなり遠い。すでに体内には二酸化炭素が充満し、息苦しさを感じ始めていた。酸性へと傾いた体液を感知した脳下垂体が鳴らす、浮上しろという警報が、脳内に鳴り響き始めていた。魚は、とてもゆっくり泳いでいた。結局、僕はそのマグロを待つことができなかった。「あと30秒待てれば--」。あの時の光景は、未だ日に何度か思い出す。

強烈な長所があっても、何か弱点が一つでもあれば、それが制限要因となって狙いの魚を仕留めることは叶わない。

その後、さまざまなトレーニングに取り組んだが、昨年のカナリア諸島での経験から、「泣きの30秒」のために今の自分に足りていないのは、どうやら単純な息止め能力そのものではなく「息を止めた状態でずっと動き続けられる脚」だろうとの考えに行き着く。

そこで、平行潜水(ダイナミック)を取り入れる事にしたのだ。ダイナミックとは、プールで浅く潜水し、一息でどれだけの距離を泳ぐことができるかを競うというフリーダイビングの一種目。より脚の筋肉に負荷をかけるために、トレーニング用の短いフィンを使ってバタ足のみで泳ぐことにした。短いフィンで、一息で150m泳ぎきることができれば、あの「泣きの30秒」に近付けるかもしれない。

「脱力」を極めるトレーニング

次に、「海のフリーダイビング・トレーニングにおいて潜水時間4分半」について。これは浅い深度(水深15mほど)までゆっくりと潜航し、底でしばらく過ごし、上がってくるというものだ。競技フリーダイビングでは、深く潜る前のウォーミング・アップとして比較的軽い強度で用いられることが多いが、僕はこのメニューを、水中での脱力技術を磨くものとして位置づけ、比較的高い強度で取り組んできた。

身体の力を極限まで抜き、「脱力」するには、実は技術が必要だ。筋繊維の一本一本まで弛緩させることで、酸素消費を抑える。やがて代謝によって二酸化炭素が蓄積し、息苦しくなってくるが、その状況でなるべく脱力に集中する。意識を弛緩に集中させ、1秒でも長く潜水時間を伸ばす、そんな練習である。

水中で魚を待つ際、なるべく全身の「力み」を排除できた方が、魚に警戒されにくい。側線や嗅覚といった鋭い感覚器を用いて我々よりもはるかに立体的に海中世界を知覚している魚たちにとって、突然上から舞い降りてきた生命体が纏う「力み」とは巨大な違和感に他ならない。「力み」のベクトルは、意識の対象の魚へと向けられる「殺気」として、彼らに必ず読まれる。それはやがて、海中を次々に伝播していく。かの武術家・宮本武蔵がその肖像画において「抜刀しているが、完全に脱力している」ように、あるいは、最強のグラップラーである範馬刃牙がそうであるように、「力み」を極限まで排除できたとき、より長く水中に滞在でき、そして魚にも警戒されない所作が可能となるのだ。 昨年はトレーニングで4分3秒まで潜っているので、今年は+30秒して4分半を目標とした。

テラジの話を聞く限り、フィリピン・マビニの村は今回の合宿の理想的な環境だった。テラジのトレーニングパートナーでもある、フィリピン人のフリーダイビング選手イアン・イバーレさんがトレーニング拠点を構えており、何より彼はダイナミックのフィリピン記録保持者でもあった。

イアンと筆者

遠い150メートル

1月17日、マビ二に到着し、テラジと合流。早速翌日から一緒にプールへ。ダイナミックは久しぶりなので、目標の半分の75mからスタートしたが、まぁきつい。海よりもずっと苦しい。海とプールでは水面までの距離が違いすぎるのだ。苦しくてもはるか先にある水面まで上がらなければいけない海での潜水と違って、プールでは水面がすぐそこにあり、簡単に諦めてしまうことができる。ハートの強さが問われる。

しかし、いくらダイナミックの練習経験が乏しいからといって、もう少しいけるだろう。息止めは(この時点では)6分半以上はいけるんだし、海での潜水だって水深70mほどまで一息で潜ることができる。水深70m潜るというと、往復で140mの移動距離をこなすということだから、普通に考えればダイナミックでも同じくらいは行けるはずだろう。

そう頭ではわかっているのだが、実際にやってみると辛い。とにかく苦しい。本当に自分にできるのかすっかり自信がなくなる。150mという目標が遥か遠くに感じる。

二人にアドバイスをもらいながら練習するうち、徐々にプールと海の違いを理解し始めた。まず、プールでは海よりも小さな違いが水の抵抗をうみ、大きな結果の違いとして現れる。海では気にならなかった瑣末なことに目がいくようになった。より効率の良い動き、水の抵抗が少なくなるフォーム、水着かウェットスーツかでも大きく違う。この発見は、実際に海でのハンティングで使っている道具の細部を、水の抵抗という観点から改めて見直すきっかけにもなった。

プールでのトレーニングをほとんどやっていなかった僕は、プール用の薄手のウェットスーツも持っていなかったので水着でやっていた。水着では抵抗が大きいと二人からアドバイスをもらい、プール用のスーツを探すが、なかなか見つからない。何せ田舎町なので、在庫があるショップはない。メーカーから直接買うと二週間ほどかかるが、そんなに待っていたら合宿が終わってしまう。そんな時、たまたま現地で知り合ったイアンの友人選手アブナーさんがスーツを持っているという。彼に交渉して、スーツを安く譲ってもらった。

そうした細かい点を一つずつ修正していっても、なかなか75mでターンができなかった。25mプールなので、頻繁にターンをする。プールでのフリーダイビングをサボってきたことで、プール潜水の技術レベルが低いため、ターンのたびに酸素が削られ苦しさが高まる。

息を止め、しばらくすると誰しもが息苦しさを感じるが、この息苦しさの正体は、運動の代謝物として血中に放出された二酸化炭素が、体内に蓄積してきたことを示すサインである。この時の息苦しさをフリーダイビングの世界では、呼吸衝動と呼ぶ。実のところこの時点ではまだ、体内の酸素残量には余裕があり、苦しさを感じたことそれ自体は身体の限界点であることを意味しない。その後、呼吸筋の痙攣(コントラクションと呼ぶ)が始まる。これらの二酸化炭素の苦しみを乗り越えた先に、酸素欠乏による別の苦しみが現れる。そして体内の酸素が一定量を下回った時、身体は防衛本能として意識をシャットアウトする。これが所謂ブラック・アウトというもので、真の身体限界点である。トレーニングの目的は、この二酸化炭素の苦しみを突破し、低酸素に強い身体を作ることだ。

トレーニング中の筆者

なにより最も困惑させられたのは、海とプールで感じる、苦しさの違いだった。50mでターンをしたあと、75mに至るまでが、経験したことがないほど苦しい。たとえ同じ潜水時間であっても、プールの方がずっとずっと苦しいのである。呼吸筋の痙攣(コントラクション)も、海では体験したことがないほど頻発する。目指す150mまでの距離を考えると、思わず諦めて水面に上がってしまう。しかし、苦しくて上がっても、低酸素のての字も顔を出しておらず、身体的にはまだまだ全くの余裕。つまり諦めてしまうのはハートの問題のようだった。

そこで、練習前にイメトレをすることにした。イメトレと言ってもかなり具体的に、潜る前の呼吸を整えるところから一動作一動作丁寧に追っていく。75m近辺で非常に苦しいが、でもとりあえずターンだけして100mへ到達するイメージを脳内で重ねた。すると実際に朝、プールに向かう頃、精神的にはすでに「何本も100mをこなした」状態で臨むことになる。これは海で未知の深度に挑戦する際も、ルーティンとしてやってきたことだ。

するとその日、75mでターンし、100mまで行けることができた。昨日までは、75mでターンした先には、より大きな苦しみが待っているのだと思っていた。しかし実際は違った。苦しさは増幅されていくのではなく、75mをピークに100mまでほとんど変わることがなかった。すごく面白いと思った。この先に待っているであろう未知の感覚をもっと知りたいと思った。一回の潜水中に、目まぐるしく自分の身体の状態が変化していくのが、とても新鮮だった。

次の日には、あれほど苦労していた100mを、日に何度も反復できるようになった。

新しい感覚を掴み、大きな変化が起きることそれ自体は一瞬の出来事なのだろう。目の前の壁をひょいと飛び越えるその瞬間まで、諦めずにトライし続ける。

新しい身体感覚

練習が面白くなってきた僕は、プール、海、ウェイト、ランニング、、、と休みなく回し続けた。海の方は極めて順調で、すんなり目標深度までの順応が終了した。

2月上旬、テラジが帰国した。イアンは最近生徒へのコーチングで忙しいので、あまり一緒に練習できていない。一人で練習をすることが増えてきた。一人で練習している時、万が一追い込みすぎで低酸素によるブラック・アウト(意識消失)が起きた場合、レスキューされずに命を落とす可能性が高い。そういった事情もあり、追い込み切れない日が続いた。

順調に練習を重ねていたのだが、2月10日、プール練習中に今まで味わったことがない感覚に襲われた。もうこれ以上1秒たりとも息を止めたくない、そんな感覚だった。練習を中断し、少しすると強い疲労感に襲われた。昼寝から覚めても、気だるさが抜けない。休養を取ることにした。

休んでいるのは不安だ。せっかく鍛えた分が、弱くなってしまう気がする。

そういえば、テラジも帰国前はこんな感じだった。最後の一週間は、潜るたびに記録が落ちていた。二人して首を傾げたものだったが、今思えばあれは軽いオーバートレーニングだったのだろう。二人でやると、練習が楽しくて仕方なかったのだ。

二月中旬、帰国が近づいてくるが、僕はまだ100mでターン出来ずにいた。その夜、日本にいるフリーダイバーの友人たちが酔っ払って電話をかけてきた。会話は自然とトレーニングの話になった。彼らも75m手前あたりから強烈な息苦しさと闘っているらしい。ダイナミックの日本記録も持っているようなトップ選手でさえそうなのかと衝撃だった。一連の会話をきっかけに、自分が潜水中に感じている「息苦しさ」を単に「苦しい」で片付けず、もう少し詳しく観察して向き合ってみようと考えた。

次の日、100mをやるつもりで潜り始めた。25mでターンし、50mでターンし、75mへ向かう。ここまでは一切苦しくない。75mのターン手前で息苦しさが急激に高まる。コントラクションが始まる……あれ? これって本当にコントラクションだろうか? そう思い、身体の反応をよく観察してみると、海で感じていたコントラクションとは異なるものである事に気がついた。これは呼吸筋の動きではなく、呼吸衝動なのではないだろうか。海とプールで、あまりに息苦しさの感じ方が異なるので、今まで中々気づくことができなかったが、この苦しみの正体が単なる呼吸衝動であるならば、まだまだ息止めの序盤も序盤である。自分の身体限界がもっとずっと先にあるということを、これまで積み重ねてきたトレーニングによって知っていた。途端に、この息苦しさを客観的に捉えられるようになった。苦しいは苦しいのだが、どこか他人事になった。そのまま100mでターン。100mからは息苦しさが増幅する……と思いきや、今度は脚にみるみる乳酸が溜まってくる。脚が一キックごとにずっしり重くなってゆく。面白い! また出会った新たな感覚に感動しつつ、動作に集中していると125mに到達。浮上すると、まだまだ、低酸素の感覚は表れていなかった。

プール練の合間を縫って、海で脱力の練習を続けた。こちらはスムーズに目標を達成したので一旦一区切り。ここから先はプールに集中する事にした。

陸上での息止めでは、昨年度の自己ベストを上回るタイムを達成することができた。終了時の血中酸素分圧は45ほどと、昨年度よりも高くなっていた。

苦しみの先へ

2月24日、帰国まであと5日。この日は久々にイアンが一緒に練習できるタイミング。追い込むにはトレーニング・パートナーの存在が不可欠だ。「ブラザー、125mのターンに近づいたら、この棒でこうやって合図するから、気張れや」と、どこからか拾ってきた竹の棒切れ片手にイアンが言う。

呼吸を整え、潜水を開始。25mでターンし、50mでターンし、75mのターン手前、65mあたりで苦しくなってきた。これはいつもより少し早いタイミング。75mでターンすると、一気に、強烈に呼吸をしたい衝動に襲われる。相変わらずめちゃくちゃ苦しい。「ここが一番きつい」と言い聞かせ、100m。一瞬躊躇するが、ここで諦めた時に感じるであろう惨めな気持ちを思い出し、気合いでターン。100mのターンをすると、苦しさの山場は越えた感じがあった。ついに本物のコントラクションが起き始め、肋間筋が痙攣し、息苦しさの種類が変わってくる。ようやく海での感覚により近くなってきて、気持ち的に落ち着いてくる。脚に乳酸が溜まってくる。脚が急激に動かなくなる中、淡々とキックに集中し、距離を重ねていく。ビャンビャン!と、イアンの”バンブー・スティック”がプールサイドで爆ぜる音が聞こえ出す。もう苦しいとか辛いとかなく、やけくそである。125mに着き、ターン。水の抵抗を減らすために組んだフォーム(ストリームライン)を維持するのがキツくなってきた。なるべく全身の力を抜いて、脱力して進めるように意識する。次第に両手の指先に力が入らず、感覚がなくなってくる。鉛のように重たい脚を、一キック一キック、なんとか体幹から動かし、這うように進む。頭が熱くなってくる。これは、陸上の息止めトレーニングで、限界近くまでやった時と同じ感覚だ。つまり、血中酸素分圧が低下し、低酸素の領域に片足を突っ込み始めているという兆候だった。ここから先は、非常にシビアだ。血中酸素の値が毎秒目まぐるしく低下しゆく中で、ブラックアウトの前に水面へ上がらなければいけない。ダイナミックでどこまでプッシュできるのかがまだ見極められず、ここで水面に上がることにした。プールサイドにしがみつき、目一杯、リカバリー呼吸で、肺胞一つ一つに酸素を叩きつける。まだ限界ではなかったが、血中の酸素分圧がそれなりに低下したのか、前回よりはやや低酸素を感じた。記録は140m。150mは、もうすぐそこだった。悔しかったが、150m到達はもう時間の問題だ。クールダウンで少し泳ぎ、良い気分でプールをあとにした。

目前と思えた150mだったのだが、、、 その後、またもや息を止めたくない病(おそらく、神経系の疲労)が再発してしまい、とうとう期間中に150mに到達することは叶わなかった。

しかしまぁ、トレーニングを区切るにはちょうどいいタイミングだった。そう言い聞かせる。日本食が恋しくなってきていたし、何より、魚が恋しくてたまらない。潜るだけじゃなく、魚の尻尾を追いかけたい。海中での、彼らとの駆け引きが恋しくて恋しくてたまらない!

アスリートからハンターへ、脳みそを切り替える時が来た。

著者プロフィール
小坂薫平

1995年秋田県生まれ。東京海洋大学卒。素潜りで世界中の海を潜り続ける、スピアフィッシャー。2019年に日本人初となるスピア・フィッシングの世界記録を樹立(コクハンアラ、18.3kg)。以降、2020年に184cm、63kgのイソマグロ、2021年には86.1kgのイソマグロを突くなど、現在までに4つの世界記録を樹立。ここ数年は「前人未踏、100kg超えのイソマグロを仕留める」ことをテーマとして放浪生活を送り、年250日を国内外の海で過ごしている。フリーダイビングにも取り組み、国際大会でのセーフティ、インストラクターとしての普及活動も行っている。素潜り68m、息止め6分45秒。