一潜に賭ける ―100kgのマグロにモリ一本で挑んだ記録

この連載について

100kgのイソマグロを、素潜り、モリ一本で獲る。そんな無謀とも言える前人未到の挑戦を始めた日本人がいた。小坂薫平、28歳。世界の海を渡り歩き、まだ誰も触れたことのない手応えを追い求め、命をかけて海と向き合いつづける。現在進行形の闘いを自ら綴る、迫真のノンフィクション。

第4回

人のにおいがしない自然に出会いたい

2024年7月22日掲載

今でこそフルタイムのスピアフィッシャーとして、365日、魚突き、特にいかにして大きなイソマグロを仕留めるか、で忙しく過ごしている自分だが、思えば魚突きとの出会いは何とも味気ないものだった。

人生のターニングポイントは、ドラマや小説で語られるようなセンセーショナルで目立つものではなく、その瞬間にはそうと気づかないような地味なものなのかもしれない。しかし面白いことに、これまでの人生を振り返ると、その”芽”は確実にあった。

「本物の自然」への憧れ

幼少期から外遊びが大好きだった。何か道草するといえば、もっぱら近所の森や草むら、そしてなんてことはない小さな川だった。住宅街のど真ん中ではあるものの、ほんの小さな隙間さえあれば、生き物たちは逞しく暮らしている。

小さな林ではコクワガタやカブトムシが遊んでくれた。茂みではヤブキリやカマキリが、生活排水が流れ込む川でも、自転車で上流まで旅をすればギンヤンマやドジョウがいた。道端に生えていた花の蜜や、友達が教えてくれた白くて甘酸っぱい木の実をおやつがわりに齧ったりした。そうやって生き物を見つけると、傷つけないようにそーっと採集し、虫かごに入れて持ち帰った。そして彼らを飼育し、生態を観察するのが好きだった。ひとたび生き物達の世界を覗けば、自分の予想を超えることばかり起きている。少し遠くの森から、学校の教室の中に至るまで、彼らはどこにだっていた。日常は、僕にとってはまるで宇宙だった。

「三つ子の魂百まで」とは昔の人も良く言ったもので、フィールドや取り組むことは変化したけれど、結局僕が今やっていることは今も昔も変わっていないのかもしれない。「大きな魚へ挑むという今の自分の潜りのスタイルはどこから来ているのだろう」と考えてみると、幼少期の体験や、当時抱いていた憧れと言ったものが、僕の原点であるような気がしてきた。

都内で幼少期を過ごした僕にとって、いつだって「本物の自然」には大きな憧れがあった。「本物の自然」とは、ミヤマクワガタやオオクワガタがいるような深い森であり、タガメやゲンゴロウがいる豊かな湿地帯などだ。それらは図鑑でしか見ることの出来ない桃源郷であり、「人里から離れれば離れるほど本物の自然に近づくのだ」と、当時の僕は信じ込んでいた。そんな場所に自分が立っていることを想像するだけで身体の真ん中がむずむずとしてきて、今すぐにでも飛び出したくなってきて、夜は寝付けなくなってしまうのである。

この”むずむず”は今、僕を海へと向かわせ、大物を追い求める原動力になっている。より遠くへ、もっと遠くへ。僕は、人間のにおいがしない海に潜りたい。人のにおいがしない場所で、まだ人間を知らない海の生き物達と出会いたい。そんな場所を見つけた時、しばしばまだ自分しか知らないであろう、想像もしていなかった光景に出会うのだ。そんな時、僕は海が自分だけに秘密を見せてくれたように感じて、たまらなくなる。この場所で起きている全てのことこそが真実である、そう感じるのだ。結局のところ今も、どこかにあるであろう「本物の自然」に出会いたくて、ずっと海に潜っているのかもしれない。

さて、そんな幼少期、とても苦痛な時間があった。アブラゼミのダミ声が校庭に響き渡る頃になるとやってくるアイツ、そう「プール」の時間だ。物心ついた頃から、水に入るのが大嫌いだった。気分が悪くなりそうなプールのカルキ臭も、鼻からドバドバと水が入ってくるのも、身体がうまく浮かずに苦しいのも、全てが嫌で嫌で仕方がなかった。25mプールをまともに泳げた記憶がない。それは実は今も変わらないのだが……。

海の底には何があるんだろう?

小学5年生の頃、小学館の「魚図鑑」を親に買ってもらった。

分厚い図鑑の後半で、「深海の生き物」というコーナーが目にとまった。あまり目立つ特集ではなかったが、そこに載っている魚達の奇抜な見た目といったら、少年の心を一瞬で奪うのには十分すぎるほどだった。「地球の表面積は実に70%が海である」という記述に、自らの宇宙の小ささを思い知らされた。

自分が知っているより、もっと世界は広いんだ。そして、まだ見ぬ海の底には、一体どんな世界が広がっているのだろう?

想像するだけで胸が高鳴り、いてもたってもいられなくなった。いつか自分の目で直接確かめてみたい。自分が上手く泳げない分、余計に憧れは膨らむばかりだった。将来は海洋学者になると決めた。

中学に入ると、自転車競技に没頭した。そのうち一丁前に社会人チームに混ぜてもらい、生意気なクソガキながら実業団のレースにも挑戦させてもらった。毎週末はチーム練で、熱血スパルタ爆走チームだったので、力不足でついていけなくなると、ただただ置いていかれた。練習場所は大抵が山だったので、しばしば山梨や埼玉の峠道で途方に暮れた。誰も助けてくれない、家に帰るには自分でなんとかするしかないという状況に、人生で初めて置かれた。

当時はスマホなどなかったので、家を出る前に地図を頭に叩き込んで出発した。晩秋に奥秩父の山中で道に迷った時は、休暇で渓流釣りに来ていた自衛隊のお兄さん達に麓の国道まで送ってもらったりもした。それでも、そんな状況が僕は好きだった。自分の脚だけで何十キロも離れた場所まで来れるという事実にずっと興奮していたし、現在地も判然としない場所に置かれて自力で状況を打開するのは、とても楽しかった。当時は真面目に選手を目指していたつもりだったが、数年続けると自分に才能がないことに気がつき始めていた。同時に、「もっと速く走りたい」という純粋な気持ちが薄れていく。高校二年の終わり頃、僕は自転車を降りた。

「うちは魚突きサークルや」

中学の入学以来、自転車に乗ることしか知らなかった自分から自転車を取り上げると、途端に空っぽになった。部活には入っていなかったので、友達もそう多くはなかった。家と学校の往復だけの日々のなかで、ある時、自室の本棚にあった一冊の本が目に止まった。

『深海生物図鑑(同文書院)』というその本は、小学生の頃、神保町の古本屋で親に買ってもらったものだった。そこでは深海生物の驚くべき生態が、重厚感のあるイラストと共に紹介されていて、ページをめくるたびに、かつて抱いていた大海への憧れが鮮明に蘇ってきた。これだ!と思った。色々調べて、日本で唯一にして最先端の海洋科学が学べる専門大学である、東京海洋大学へ進学することに決めた。再び、日常に色が戻ってきた。

東京海洋大学へ無事合格すると、入学前の4月2日に新入生オリエンテーションがあった。新一年生が大学生活へスムーズに馴染めるように、大学の授業履修システムの説明が一通りあった後、サークル紹介があった。もともと大学でやりたいサークルや、紹介を聞いて特に興味をそそられるサークルもなかった。

さて家に帰るべ、と初めてできた友人(出席番号が一個後ろの黒木くん)と講義棟を後にしようとすると、イケメンで長身小顔の先輩が「バディどう?!」とかなり食い気味に声をかけてきた。バディというサークルの先輩らしい。周囲にはすでに何人か新入生が集められており、この後居酒屋でご飯を食べるようだ。

「うちは魚突きサークルや。こないだはメーターカンパ(※1)、突いたで」

と別の先輩。メーターカンパが何かわからない自分には、わけがわからない。

続けざまにタブレットで彼が撮影した水中の映像を見せられる。しかし、画面に映し出されたそれが一体何なのか、また自分にはわからない。とにかく真っ青な画面の奥に、ひどく小さく魚がかろうじて写っている(※2)。これが〝メーターカンパ〟らしい。とにかく何もわからないが、先輩は悪い人じゃなさそうだ。タダメシが食えるなら……と僕と黒木くんはとりあえず先輩について、居酒屋へいくことにした。

居酒屋で先輩たちは、海がいかに面白く、魚突きがいかに素晴らしいのかを、僕ら新入生に熱く説いた。

一体、モリで魚を突くことの何が面白いというのだろう? 先輩たちの話から細かいことはいまいち伝わってこないのだが、いわくそれは「とにかく最高」らしい。今思えば、「何がどう最高なのか」先輩自身も答えを持ち合わせていなかった気もする。それでも、魚突きはどうやら「最高なもの」であると僕に納得させるには、居酒屋で先輩と過ごした数時間で十分だった。海中での体験について熱く語る先輩の目が、とにかくキラキラ輝いていたからだ。

気がつけば、当時国内に二つしかなかった「魚突きサークル」の一角である、東京海洋大学Buddy!へと入部したのだった。

※1:1mオーバーのカンパチの略称

※2:水中では赤色が吸収されやすいので、映像は色補正をしないと青っぽくなる。また、アクションカメラのレンズは超広角なので物が小さく映る。

著者プロフィール
小坂薫平

1995年秋田県生まれ。東京海洋大学卒。素潜りで世界中の海を潜り続ける、スピアフィッシャー。2019年に日本人初となるスピア・フィッシングの世界記録を樹立(コクハンアラ、18.3kg)。以降、2020年に184cm、63kgのイソマグロ、2021年には86.1kgのイソマグロを突くなど、現在までに4つの世界記録を樹立。ここ数年は「前人未踏、100kg超えのイソマグロを仕留める」ことをテーマとして放浪生活を送り、年250日を国内外の海で過ごしている。フリーダイビングにも取り組み、国際大会でのセーフティ、インストラクターとしての普及活動も行っている。素潜り55m、息止め6分30秒。