一潜に賭ける ―100kgのマグロにモリ一本で挑んだ記録

この連載について

100kgのイソマグロを、素潜り、モリ一本で獲る。そんな無謀とも言える前人未到の挑戦を始めた日本人がいた。小坂薫平、28歳。世界の海を渡り歩き、まだ誰も触れたことのない手応えを追い求め、命をかけて海と向き合いつづける。現在進行形の闘いを自ら綴る、迫真のノンフィクション。

第3回

「磯のダンプカー」イソマグロを追って

2024年7月2日掲載

遠征を終えて

今、2024年の6月25日。10日ほど前まで、イソマグロを追いかけていた。現在取り組んでいるドキュメンタリー映画「Mission100」の第5回遠征だ。僕と船長以外は全員カメラマンで、このメンバーでの挑戦も、もう4年目となった。

遠征の10ヶ月前から入念に計画を立て、日々身体を鍛えた。たくさんの魚と海底で向き合い、技術を磨いた。ようやく遠征が始まると、本当に辛い日々の幕開けだ。毎日毎日、とにかく揺さぶられるのだ。決して好転などしない天気予報と睨めっこ。たまに海が凪ぎると沖へ出て、暗い海の底にマグロの気配を追いかけた。刻一刻と、海は驚くほど違う表情を見せる。マグロたちは、そう簡単には姿を見せない。「今、一体マグロたちはどこにいるのか」去年とはまた違う海を前に、ただただ、それだけを考え続けた60日間だった。

遠征から戻るといつも、糸が切れたかのように何も手に付かなくなってしまう。友人の医師に相談したら、「脳内伝達物質が枯渇したんだよ」と言われた。どうしたらいいの?と聞くと、「待つしかない」と言われてしまったのだった。

腑抜けていたら、ちょうど編集者さんから連載の件で連絡があった。遠征が近づいてきたことで僕自身すっかり余裕がなく、事実上の休載状態になってしまっていた。愛想を尽かされてしまう前に、続きを書かないといけない。今回は、僕が熱心に片思いしている「イソマグロ」についてお話ししようと思う。

磯のダンプカー、イソマグロ

スズキ目サバ科イソマグロ属イソマグロ。マグロとは名ばかりで、分類学的にはサバやカツオに近い魚だ。そう大きくはない群れで、外洋に面した沿岸部を回遊する。多くの個体は1〜1.5mほどだが、最大のものは2m以上、体重は100kgを超える。釣りのオールタックル世界記録はタンザニアで釣り上げられた107kg、スピアフィッシングではタヒチで仕留められた109kgというのが、公式に残っている最大である。その口にはズラリと鋭い犬歯状の歯が並び、英語圏ではDogtooth Tunaと呼ばれている。アフリカの方では、Devil fishと呼ぶ地域もあるらしい。それは流石に言い過ぎな気もするが。

イソマグロは、スポーツフィッシングの対象として世界中で人気だ。ひとたびフックすれば、長距離を猛スピードで走り続ける、その強烈なファイトが理由のようだ。海で出会った釣り人曰く、イソマグロは「止まらない」らしい。止まらないってなんだよ、と釣りのことが全くわからない僕はその時そう思ったが、とにかく「止まらない」らしい。一度走り始めると、ドラグ(釣り糸がスルスル出て行かないように魚に負荷をかける仕組み)をかけても、お構いなしに沖へ一直線。すると、あっという間にラインが出されてしまい、たった数十秒でリールに巻いてあった何百mもの糸を使い切ってしまう。ドラグの値を強くすれば、糸が切れたり、自分の体が耐え切れずに吹っ飛んでしまう。だから、「止まらねぇヤツ」なんだと。釣り人はそんな彼らに、「磯のダンプカー」とあだ名をつけた。なかなか粋な名前だ。

同じくスポーツフィッシングの対象魚として人気の魚にGTというのがいる。GTというのはGiant Trevellyの略で、早い話がアジのオバケだ。

アジのオバケ「GT」 photo: Daichi Motoki

イソマグロがいるような場所では、GTもよく見かける。僕は釣り人目線での両者の違いが気になって、先ほどの釣り人に「GTは止まるの?」と聞いてみた。曰く、「GTは止まる。右に左に走るので、釣り上げるのは超難しいけど。」海中で両者の振る舞いをよく見ている僕は、その言葉が「GTとイソマグロの違いをよく表してるなぁ」と感動したものだ。両者とも、とても大きくパワフルな魚だ。筋肉質で粒々としており、その大きな尻尾が水を掻くとき、グォングォンと音が聞こえてくるようだ。

海で見かけるGTからは、どことなく知性を感じる。その動きからは明確な意志を感じるし、警戒心と好奇心のバランス感覚が極めて人間的だ。手銛で突いたりすると、撃たれた箇所を珊瑚や海底の岩盤に擦り付けながら逃げる。おそらく、銛を外そうとしているんだろう。簡単には死なないタフさがあり、極めて賢い魚だ。

一方でイソマグロはまず、目つきが独特だ。思慮深くも、あるいは何も考えてないようにも見える。感情が読み取れない、吸い込まれそうに真っ黒な瞳。銛で突くと、海底へ一直線。イソマグロを水面まで上げてくると、すでに瀕死の状態であることが多い。体力を全て振り絞って、死ぬまで抵抗するのだ。そしてその腹からは、大きな魚が丸ごと出てくることも少なくない。立派な歯があるくせに、丸呑み。いかにもこの魚らしい潔さ。

究極のターゲット

歴史上、最高峰のプロスピアフィッシャーの一人であるCameron Kirkconnellは、イソマグロについて、”Dogtooth Tuna. What I have always preached as the most challenging and difficult fish in the world to land. ”(イソマグロ、最もチャレンジングで、困難な魚。)と語っている。数十年にわたって世界中の海を潜り渡り、幾多の巨大魚と命の削り合いをしてきた彼は、”Nothing compares.”(他と比べようもない)と付け加える。

魚突きは自然相手のハンティングだ。生き物が相手であるし、波や潮流といった外的環境も含めて、コントロールできない要素だらけだ。それは、魚種による難易度の比較が一概には難しいということでもある。それに、単純な大きさで言えば、イソマグロは最大のターゲットではない。カジキやクロマグロは、大きなもので300kgを超える。イソマグロの最大が100kg前後と考えると、3倍以上もの大きさになる。当然、力の強さは比べるまでもないはずだ。

それなのになぜ、Cameronはイソマグロを”最難関”と表現したのだろう。

理由の一つが、彼らが生息している場だろう。イソマグロは、沿岸の岩礁帯、中でも一際潮流が激しく、時に渦を巻くような場所にいることが多い。そういった場所には、潮波という潮流由来の波が立つ。海中はまるで洗濯機のように水がかき混ぜられており、身を投じると、四方八方からもみくちゃにされることもある。それはまるで、海という巨人につままれ、空中を振り回されているかのような感覚だ。抗うことができないという、独特の感覚。そして大型の個体ほど水深が深い所(素潜りで狙うには)にいることが多い。時に6kt(ちなみに、北島康介の全速力は3.2ktほどだ)を超える激流の中、背丈を超える波に揉まれ、息を整え、そして深い水深まで潜って、仕留める。それは決して容易なことではない。そしてそんな場所には、当然大きなサメも多い。

そして、撃てたとしても、回収するのがまた難しい。ひとたび突かれたイソマグロは、一直線に海底へと向かったかと思うと、ひたすらに岩の間をフルパワーで駆け抜ける。「体重1kgあたりの力が最も強い魚」とも呼ばれるイソマグロの泳力で海底の岩に擦られれば、細い手銛や水中銃のラインなど、いとも簡単に真っ二つになってしまう。砂煙を上げながら猛烈な勢いで暴れまわる様は、まさに「磯のダンプカー」の名にふさわしい。確実に仕留めた!と確信できた時でさえ、もう何度逃げられたかわからない。ある時は手銛の仕掛けをズタズタに破壊され、またある時は、全てを海の底へ失った。

それでも、Cameronの話はあくまで、海外のダイバーが水中銃でイソマグロを狙った場合の話だ。(水中銃と手銛の違いは第2回を参照)

当然だが、僕が使っている手銛という道具は、水中銃と比べてパワーも射程も、取り回しだって劣っている。

世界屈指のスピアフィッシャーを以てして最高難度と言わしめる、巨大イソマグロ。そんな究極のターゲットに、日本伝統の漁具「手銛」で挑んだら、一体どうなるのだろう?

これから綴るのは、世界的にも前例のない、「手銛を使った巨大イソマグロ突き」に情熱を注いだ、僕自身の記録である。

著者プロフィール
小坂薫平

1995年秋田県生まれ。東京海洋大学卒。素潜りで世界中の海を潜り続ける、スピアフィッシャー。2019年に日本人初となるスピア・フィッシングの世界記録を樹立(コクハンアラ、18.3kg)。以降、2020年に184cm、63kgのイソマグロ、2021年には86.1kgのイソマグロを突くなど、現在までに4つの世界記録を樹立。ここ数年は「前人未踏、100kg超えのイソマグロを仕留める」ことをテーマとして放浪生活を送り、年250日を国内外の海で過ごしている。フリーダイビングにも取り組み、国際大会でのセーフティ、インストラクターとしての普及活動も行っている。素潜り55m、息止め6分30秒。